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ヒルデスハイム Hildesheim

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヒルデスハイム
Hildesheim

ドイツ北西部,ニーダーザクセン州ハノーバーの南南東約 30kmにある都市。8世紀にケルン-マクデブルク間の貿易ルートの中継地として建設された城塞が起源。 815年に司教座が置かれ,11世紀までにこの地方の文化の中心地に発展。のちハンザ同盟に加わり,1300年に都市権を得た。近隣のブラウンシュワイク,ハノーバーより歴史は古いが,工業の発達はこの2市より遅れた。金属,電気機器,家庭用品,食品,農業機械などの工業が立地。第2次世界大戦末期に市街の約半分が破壊されたが,ゴシック様式の市庁舎など多くの歴史的建造物が修復されている。 11世紀のザンクト・マリア大聖堂,12世紀の天井画のあるザンクト・ミハエル聖堂は,1985年世界遺産の文化遺産に登録。人口 10万 5291 (1991推計) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

ヒルデスハイム【Hildesheim】

ドイツ北部,ニーダーザクセン州の都市。人口10万6000(1995)。ハルツ山地の北西縁に位置し,太古以来重要な東西交通路がインネルステInnerste川に交わる地点に発達した古い商業都市。最古の集落は8世紀にまでさかのぼるが,815年ルートウィヒ1世により西方15kmのエルツェElzeからこの地に司教座が移され,布教の中心地とされた。司教座教会(大聖堂)はザクセン朝の諸王のもとで著しく重要性を高めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヒルデスハイム
ひるですはいむ
Hildesheim

ドイツ北部、ニーダーザクセン州の司教・県庁所在都市。人口10万3900(2000)。中位山地北縁に位置し、中世の最重要軍事道路ヘルウェークはここで北ドイツ低地に出た。815年に司教庁が置かれ、中世に商業と手工業が栄えたが、その後、現州都ハノーバーの陰で停滞し、19世紀に入りドイツ統一後ふたたび発展した。ミッテルラント運河の支線を利用する石炭、砂糖、穀物、カリ塩などの積み換え、金属加工、電子機器、製紙などの工業がある。[齋藤光格]

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世界大百科事典内のヒルデスハイムの言及

【オットー美術】より

…建築においては,西構え(ウェストウェルクWestwerk)と二重内陣形式(東西に内陣をもつ)などカロリング建築の伝統を継承した。ゲルンローデGernrodeのザンクト・ツィリアクス女子修道院教会,ヒルデスハイムのザンクト・ミヒャエル修道院教会がザクセン朝治下の代表的建築。後者は東西に袖廊(トランセプト)をもつ多塔形式をとり,とくに交差部の正方形がプランの基準となる明確な構成はオットー建築の典型をなし,ドイツ・ロマネスク建築へ受け継がれていく。…

【ドイツ美術】より

…建築では二重内陣形式がカロリング朝から継承された。その典型的なロマネスク初期の例は,ヒルデスハイムのザンクト・ミヒャエル教会(1033)である。身廊と袖廊(トランセプト)の交差部(フィールングVierung)を規準単位とする身廊の梁間独立の構想は注目すべきである。…

※「ヒルデスハイム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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