ドイツ北部,ニーダーザクセン州の都市。人口10万4013(1999)。ハルツ山地の北西縁に位置し,太古以来重要な東西交通路がインネルステInnerste川に交わる地点に発達した古い商業都市。最古の集落は8世紀にまでさかのぼるが,815年ルートウィヒ1世により西方15kmのエルツェElzeからこの地に司教座が移され,布教の中心地とされた。司教座教会(大聖堂)はザクセン朝の諸王のもとで著しく重要性を高めた。また,有力な修道院が建立され,商人,手工業者の活動も促され,急速に司教都市型の商業都市へと発達した。13世紀から都市は司教に対して自立性を高め,14世紀にはハンザ同盟に加入したが,三十年戦争後は衰えた。現在は電子・電気器機,化学・薬品の製造など先端的産業も行われている。
執筆者:山田 欣吾
ザンクト・ミヒャエル教会,大聖堂,ザンクト・ゴデハルト教会の3教会堂が中世の創建として知られる。いずれも第2次大戦中大きな被害を受けたが,戦後すぐ再興された。とりわけ有名なのは,1000年以降(1010年か)司教ベルンワルトBernwaldによって着工され,彼の死後,33年に献堂されたザンクト・ミヒャエル教会で,ドイツ初期ロマネスク建築の最も重要な作例に数えられる(オットー美術)。3廊式バシリカで,東西それぞれに袖廊(トランセプト),内陣,クリプト,交差部塔をもつ東西相称形式をとる。交差部の正方形を単位として身廊の長さをその3個分と定め,1本の角柱と2柱の円柱の柱列によって堂内空間をリズム化する,いわゆる支柱交替がみられる。平天井を飾る〈エッサイの樹〉の壁画や内陣仕切りの浮彫は,13世紀初頭のもの。なおベルンワルト当時制作されたブロンズの大扉とキリストの円柱は,現在大聖堂に所蔵される。このほかベルンワルト時代のヒルデスハイムは写本製作でも知られた。
執筆者:勝 國興
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ドイツ北部、ニーダーザクセン州の司教・県庁所在都市。人口10万3900(2000)。中位山地北縁に位置し、中世の最重要軍事道路ヘルウェークはここで北ドイツ低地に出た。815年に司教庁が置かれ、中世に商業と手工業が栄えたが、その後、現州都ハノーバーの陰で停滞し、19世紀に入りドイツ統一後ふたたび発展した。ミッテルラント運河の支線を利用する石炭、砂糖、穀物、カリ塩などの積み換え、金属加工、電子機器、製紙などの工業がある。
[齋藤光格]
…建築においては,西構え(ウェストウェルクWestwerk)と二重内陣形式(東西に内陣をもつ)などカロリング建築の伝統を継承した。ゲルンローデGernrodeのザンクト・ツィリアクス女子修道院教会,ヒルデスハイムのザンクト・ミヒャエル修道院教会がザクセン朝治下の代表的建築。後者は東西に袖廊(トランセプト)をもつ多塔形式をとり,とくに交差部の正方形がプランの基準となる明確な構成はオットー建築の典型をなし,ドイツ・ロマネスク建築へ受け継がれていく。…
…建築では二重内陣形式がカロリング朝から継承された。その典型的なロマネスク初期の例は,ヒルデスハイムのザンクト・ミヒャエル教会(1033)である。身廊と袖廊(トランセプト)の交差部(フィールングVierung)を規準単位とする身廊の梁間独立の構想は注目すべきである。…
※「ヒルデスハイム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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