ウィーン生まれのオーストリア・マルクス主義者で、ドイツ社会民主党の理論的・政治的指導者として著名。青年時代にウィーン大学で医学を学ぶとともに、社会諸科学にも深い関心を抱いて、いち早く学生社会主義団体に所属していた。1902年以降、カウツキーの勧めに応じてドイツ社会民主党の理論的機関誌『ノイエ・ツァイト』Neue Zeitの編集・執筆に参加し、1906年には同党の党学校の教師、1907~1915年には党の中央機関誌『フォルベルツ』Vorwärtsの編集者として活躍した。1914年第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)の際には党内左派の立場にたっていたが、翌1915年軍医として従軍した。戦後ドイツに復員、時の独立社会民主党の指導者となる。1922年新たにドイツ社会民主党が結成されると、その指導的理論家として迎えられ、1923年、1928~1929年には財務大臣に就任したこともあった。しかし、1933年にナチス政権が成立するとヨーロッパ各地に亡命を続けることとなり、ついに1941年マルセイユ近郊で捕らわれ、同年2月11日ゲシュタポによる過酷な監禁下で非業(ひごう)の死を遂げるに至った。
生前きわめて多彩な著述活動を展開しているが、その理論的業績の最高峰を示すものは主著『金融資本論』Das Finanzkapital(1910)である。これは、マルクス『資本論』体系の論理に立脚して、独占資本主義段階の特殊な経済諸現象を、銀行資本と産業資本との融合として現れる金融資本の運動のなかにとらえ、この金融資本の経済諸政策を包括的に鋭く批判した古典的労作であり、その主張には幾多の大きな誤りがみいだされるにもせよ、しばしば「『資本論』以後の『資本論』」と称せられるほど、帝国主義論研究史上不朽の名著の一つとされている。
[古沢友吉]
『『金融資本論』(岡崎次郎訳・岩波文庫/林要訳・大月書店・国民文庫)』
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1877~1941
ドイツの経済学者,政治家。社会民主党機関紙の編集に従事し,1910年『金融資本論』を著した。独立社会民主党の結成に参加,22年右派を率いて復党,23年および28~29年財政相。ヒトラー政権成立とともに亡命した。
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