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ビゴー ビゴーBigot, George

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ビゴー
Bigot, George

[生]1860.4.6. パリ
[没]1927
フランスの画家。日本では漫画家として知られる。美郷,美好とも書く。パリの美術学校に学び,日本美術研究のため 1883年頃来日,一時陸軍士官学校の教師をつとめたが,のち『郵便報知』『改進新聞』の挿絵,また,藤田鳴鶴訳『繋思談』,佐野尚重訳『想夫恋』などの挿絵を描いた。 1887年前後に漫画雑誌"Tôbaé"を創刊。日本の風習や時事問題を取り上げて評判になった。同誌廃刊後は"Tôbaé Sport" (1890) ,"Vie Japonaise" (1890) ,"Potin de Yoko" (1890) を出した。日清戦争のときはフランスの新聞社の通信員として活躍したが,1899年には筆禍のため日本を去った。

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デジタル大辞泉の解説

ビゴー(Georges Bigot)

[1860~1927]フランスの画家・銅版画家。ゾラの「ナナ」などの挿絵で活躍。明治15年(1882)日本美術研究のため来日。漫画雑誌「トバヱ」などで、日本の風習や時局を辛辣(しんらつ)に風刺した。

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百科事典マイペディアの解説

ビゴー

フランスの画家。1882年来日し,画業のかたわらフランス語を教え,一時陸軍士官学校に勤務。日本の風俗を漫画に描いて新聞に発表し,漫画雑誌《トバエ》を発刊した。1899年帰国。
→関連項目漫画

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ビゴー Bigot, Georges Ferdinand

1860-1927 フランスの画家。
1860年4月7日生まれ。エミール=ゾラらの影響で日本に関心をもつ。明治15年(1882)来日し,陸軍士官学校でおしえる。のち風刺漫画雑誌「トバエ」や風刺画集を刊行。また「改進新聞」などに挿絵をかく。日本人と結婚し一子をもうけたが,32年の条約改正による居留地廃止にともない,官憲の弾圧をおそれ離婚し帰国。1927年10月10日死去。67歳。パリ出身。エコール-デ-ボザール卒。画集に「日本素描集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

ビゴー

没年:1927.10.10(1927.10.10)
生年:1860.4.7
明治期に来日したフランスの画家。パリ生まれ。エコール・デ・ボザールでカロリュス・デュランらの指導を受けるが,アカデミックな教育にあきたらず1876年同校を中退。銅版画の師フェリックス・デュオ・ゴンクール,レガメーらを通してジャポニスムに触れ,明治15(1882)年来日。この年から2年間陸軍士官学校画学教師を勤めたのち,中江兆民の仏学塾でフランス語を教える。また15年最初の漫画集『斥候』を刊行し,以後風刺漫画雑誌『トバエ』(1884,1887~89)や銅版画集『クロッキ・ジャポネ』(1886),石版画集『東京芸者の一日』(1891)など,数多くの風刺雑誌や画集を刊行した。『団団珍聞』『改進新聞』などにも挿絵を描き,日清戦争にはイギリスの雑誌『ロンドングラフィック』の特派員として従軍した。27年佐野マスと結婚。しかし政局や日本人を痛烈に風刺したその漫画は官憲の注視を受け,治外法権が撤廃された32年の条約改正を機に帰国,晩年はパリ郊外ビエーブルに住んだ。<参考文献>酒井忠康『ビゴー画集』

(佐藤道信)

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世界大百科事典 第2版の解説

ビゴー【Georges Ferdinand Bigot】

1860‐1927
明治期に日本で活躍したフランスの画家。パリのエコール・デ・ボザール卒業後,ゾラの小説《ナナ》の挿絵を描いたりしていたが,ゾラや美術批評家L.ゴンスらとの交際を通じてジャポニスム(とくに浮世絵)の影響を受け,日本に関心を抱いた。1882年1月,日本美術研究のため来日,同年10月から2年間,陸軍士官学校の画学教師を務める。85年《団々(まるまる)珍聞》に漫画を寄稿,また日本をテーマにした3冊の銅版画集を出版した。

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大辞林 第三版の解説

ビゴー【Georges Ferdinand Bigot】

1860~1927) フランスの画家。挿絵画家として活躍後、1882年に日本美術研究のため来日。日本の風俗を版画に表し、また漫画雑誌「トバエ」などを刊行し、時事問題や風習を風刺的に描いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ビゴー
びごー
Georges Ferdinand Bigot
(1860―1927)

フランスの画家。パリに生まれ、エコール・デ・ボザールに学ぶ。ゾラやフェリックス・ビュオらとの交際によりジャポニスムの影響を受け、日本に関心をもつ。ビュオに銅版画技術を学び、1882年(明治15)1月、日本美術研究のため来日。当初は横浜で画塾を開くが、同年10月から2年間、陸軍士官学校の画学教師を務め、83年から86年にかけて四冊の銅版画集を刊行。87年ころ帰国を決意するが、西欧ジャーナリズムの通信員の仕事を得て長期滞在するようになり、同時に『トバエ』(1887~90)などの風刺雑誌や風刺画集を刊行し始めるが、条約改正、内外政局、日本人の辛辣(しんらつ)な風刺で官憲にマークされる。日清(にっしん)戦争にはイギリスの新聞『グラフィック』の特派画家として従軍。94年に日本女性佐野マスと結婚して息子モーリスをもうけるが、条約改正による「居留地廃止・官憲の弾圧」を恐れ、マスと離婚し、99年6月モーリスを伴って帰国。パリ郊外ピエーブルに没。[清水 勲]
『清水勲著『明治の諷刺画家・ビゴー』(1978・新潮社) ▽清水勲著『絵で書いた日本人論――ジョルジュ・ビゴーの世界』(1981・中央公論社) ▽清水勲編『ビゴー日本素描集』(岩波文庫)』

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世界大百科事典内のビゴーの言及

【漫画】より

… 明治以後の日本ではしばらく江戸末期の遊びの精神は衰え,まじめに一直線に西洋近代に学ぶことに関心が集中した。明治以前からの漫画を描き続ける河鍋暁斎(かわなべぎようさい)のような作家はいたが,明治以後の漫画はむしろドーミエやホガースの漫画をヨーロッパからひきよせて,民衆に対していばりちらす日本の成上り官僚の姿をおかしく描いた,イギリス人C.ワーグマンとフランス人G.ビゴーによって新しくおこされた。イギリスの漫画雑誌《パンチ》にならって,ワーグマンの発行した日本最初の漫画雑誌《ジャパン・パンチThe Japan Punch》(1862創刊,87廃刊)は,〈ポンチ絵〉という名を日本に残した。…

※「ビゴー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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