日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファイザー」の意味・わかりやすい解説
ファイザー
ふぁいざー
Pfizer Inc.
アメリカの大手医薬品企業。2000年にワーナー・ランバートを買収して医薬品売上高で世界のトップに立った。
[田口定雄]
医薬原末メーカーとしての発展
創立は1849年、ドイツ移民のチャールズ・ファイザーCharles Pfizerとその従兄弟(いとこ)のチャールズ・エアハルトCharles Erhartがニューヨークのブルックリンで始めた化学会社チャールズ・ファイザーCharles Pfizer & Co.にさかのぼる。19世紀後半に輸入品に代替する食品添加剤など特殊化学品の国内生産を手がけ、寄生虫駆除用のサントニンなど医薬原末(バルク)の製造に進出。苦い味のするサントニンにアーモンドの香りを加えた錠剤を発売して成功を収めた。
第一次世界大戦中、当時の主力製品であったクエン酸の原料はイタリアからの輸入がほとんどであったため、戦乱によって原料輸入がとだえたのを契機に製法研究に着手。1923年砂糖を原料とする発酵法を開発してクエン酸の量産化に成功した。1936年ビタミンCの生産を開始。1928年に発見されたペニシリンの殺菌作用は、すでにその10年後には医薬品としての利用可能性が確認されていたが、量産が困難であった。しかしファイザーは1942年、クエン酸製造で確立した発酵法を利用してペニシリンの工業生産に先鞭(せんべん)をつけた。第二次世界大戦のさなか、連合軍の戦時需要をまかなうため、アメリカ政府は競合メーカー19社にこの方法によるペニシリン生産を認可したが、大部分はファイザーが供給した。
[田口定雄]
自社ブランド薬の確立
第二次世界大戦後、抗生物質の広範囲な探索により、1945年ストレプトマイシン、1950年テラマイシンを開発した。これを機に1世紀にわたる医薬原末販売から自社ブランドの医薬品企業へと転換、1950年代にはこれらの抗生物質の知名度を武器にしていち早く世界的事業網を構築し、国際的医薬品大手の地歩を築いた。1960年代と1970年代には新抗生物質の継続的開発に加え、有機化学合成による関節炎、糖尿病、うつ病、心臓病などの治療薬の領域に範囲を広げ、積極的マーケティングによって成長した。この間、ビタミンやワクチン、診断機器など関連分野はもとより、1963年の化粧品のCoty社や、特殊金属、農薬などの企業買収により多角化を図った。
1990年代は事業の中心を医薬、動物薬に絞り込み、クエン酸を含む15の事業から撤退するとともに、医薬品事業では新薬の研究開発を強化、販売部門を増強した。これにより性機能改善薬の「バイアグラViagra」など自社開発新薬がヒットし、さらに強力な販売力を背景にした他社大型薬の共同販売も加わって急成長を遂げた。また1995年にスミスクライン・ビーチャム(現、グラクソ・スミスクライン)の動物薬事業を買収したほか、2000年にはワーナー・ランバート買収を敢行した。2001年の売上高は322億ドル、純利益は78億ドル。部門別では、医薬品が81%、消費者向け製品が19%を占めた。
[田口定雄]
日本での活動
日本では、1955年(昭和30)ファイザーの95%出資による台糖ファイザーが設立され、テラマイシンの国内一貫生産をはじめ、抗生物質を中心とした自社供給網を構築してきた。同社は1983年にファイザーの100%出資に変更され、1989年(平成1)ファイザー製薬、2003年(平成15)ファイザーに改称した。
[田口定雄]
その後の動き
2009年1月に、同じくアメリカの大手医薬品企業のワイスを買収することを発表し、同年10月に統合が完了した。2008年の売上高は482億ドル、純利益は81億ドル。部門別では、医薬品が91%を占める。
[編集部]