ランバート(読み)らんばーと

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランバート」の意味・わかりやすい解説

ランバート
Lambert, John

[生]1619. ヨークシャー,カートン
[没]1684.3. セントニコラス島
イギリス,清教徒革命期の軍人護国卿政権の中心人物。清教徒革命勃発後,姻戚にあたる T.フェアファックス指揮下の議会軍に参加,戦功により昇進し,軍幹部の一員となった。 1648年の第2次内乱には北部軍司令官に任じられ,O.クロムウェルと協力してプレストンの戦いに国王派のスコットランド軍を破った。 50年スコットランド派遣軍副司令官となり,ウースターの戦いに活躍。 52年 H.アイアトン後任としてアイルランド派遣軍司令官。翌年ランプ議会の解散を支持し,統治章典起草。これに基づいて成立した護国卿政権においてはクロムウェルに次ぐ実力者として活躍したが,57年クロムウェルへの王位提供と新憲法に反対して解任された。クロムウェルの死後復帰し,59年復活したランプ議会を解散させたが,G.マンクとの抗争敗北王政復古後の 62年死刑の判決を受けたが,減刑,プリマス沖合いセントニコラス島に 20年余獄中生活をおくった。

ランバート
Rambert, Dame Marie

[生]1888.2.20. ワルシャワ
[没]1982.6.12. ロンドン
ポーランド生れのイギリスの舞踊家。本名 Cyvia Rambam。パリで J.ダルクローズ,E.チェケッティに学び,S.ディアギレフに招かれてリトミックを教えたのが縁で,バレエ・リュスのコール・ド・バレエに入った。 V.ニジンスキーの『牧神の午後』『春の祭典』は彼女の手助けによってできたといわれる。 1920年ロンドンにバレエ学校を設立。またカマルゴ協会を運営し,30年ランバート・バレエ団を組織,イギリスのバレエ界の発展に寄与した。振付師ではなかったが人材の発掘と教育にすぐれ,F.アシュトン,A.チューダー,A.ハワードらの振付師を育てた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランバート」の意味・わかりやすい解説

ランバート(Dame Marie Rambert)
らんばーと

ランベール


ランバート(Johann Lambert)
らんばーと

ランベルト

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