ワイス(読み)わいす(英語表記)Rainer Weiss

デジタル大辞泉 「ワイス」の意味・読み・例文・類語

ワイス(Peter Weiss)

[1916~1982]スウェーデン国籍のユダヤ系ドイツ語小説家・劇作家。ドイツに生まれ、ナチス時代に亡命。「マラー/サド劇」で成功をおさめた。小説に「御者のからだの影」「両親との別れ」。

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精選版 日本国語大辞典 「ワイス」の意味・読み・例文・類語

ワイス

  1. ( Peter Weiss ペーター━ ) スウェーデン国籍のユダヤ系作家。ドイツに生まれ、ナチス時代に亡命。「マラー/サド劇」で国際的成功を収めた一九六四年以降、急進的な政治姿勢をとり、「追究」「ベトナム討論」など記録的政治演劇を発表。小説「消点」「抵抗の美学」など。(一九一六‐八二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイス」の意味・わかりやすい解説

ワイス(Rainer Weiss)
わいす
Rainer Weiss
(1932― )

アメリカの宇宙物理学者、実験物理学者。ナチス政権下のドイツのベルリン生まれ。神経学者の父がユダヤ人であったため一家は、チェコのプラハに強制退去させられた。ドイツ軍のチェコ侵攻を機に、1939年1月ユダヤ教徒のつてをたどりアメリカのニューヨークに移住。1955年マサチューセッツ工科大学(MIT)卒業、1962年に同大学からPhD(博士号)を取得した。1960年からタフツ大学で講師、助教授として物理学を教え、1962年からプリンストン大学の研究員、1964年にMIT助教授、1967年から準教授。1973年から2001年までMIT教授。現在は同大学名誉教授。

 ワイスは、アインシュタインが1916年に存在を予言した重力波の観測に、長年かかわった。重力波とは、大きな質量をもつ物体が動いたときに時間、空間のゆがみ(時空のゆがみ)が、さざ波のように伝わる現象である。ワイスがMITでアインシュタインの相対論を教えていた1969年に、アメリカのメリーランド大学教授ジョセフ・ウェーバーJoseph Weber(1919―2000)が、「重力波を検出した」と発表した。それは、長さ1.5メートル、直径0.9メートルの円柱型のアルミ共鳴バーで検出するもので、多くの研究者が追試を試みたが、その後、数年経ってもだれも再現できなかった。ワイスは、1973年に共鳴バーではなく、干渉計による重力波の検出のアイデアを思い付き、1.5メートルの腕をもつ干渉計を制作した。この装置は、レーザー光を直角(L字型)の2方向に分け、一定の距離を置いたところで鏡に反射させ、戻ってきた光を干渉させるものである。この際に干渉縞(じま)が観察されるが、この2方向の距離に変化が生じると、干渉縞が変化するという原理である。ワイスは2方向の腕の長さを5メートル、30メートルと伸ばしていったが、うまくはいかなかった。しかしその干渉計は、今日のレーザー干渉計装置につながるものとなった。

 その後、ワイスとは別に重力波検出実験を行っていたカリフォルニア工科大学教授(当時)のキップ・ソーンと手を組み、1980年代に、重力波を検出する大型のレーザー干渉計重力波観測装置「LIGO(ライゴ)」(Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatory)計画を立ち上げた。1989年から建設が始まったLIGOは、長さ4キロメートルのパイプ2本が直交するL字型の施設で、アメリカ北西部ワシントン州のハンフォードの大草原と、そこから3000キロメートル離れた同南部ルイジアナ州リビングストンの湿地帯に2基設置された。LIGOでは、同時に発射されたレーザー光が先端の鏡で反射し、光の到達時間から長さの変化を観測している。重力波が到達すると、時空のゆがみで、パイプが伸び縮みし、光の到達の時間差に変化がみられる。レーザー光の正確な制御、精度の高い鏡の反射、誤差が許されない巨大実験施設の管理を仕切るために、1994年から高エネルギー物理学の実験家でもあるカリフォルニア工科大学教授(当時)のバリー・バリッシュが、LIGOの責任者として計画に加わり、1000人規模の研究者が参画する巨大科学プロジェクトに発展。ワイスはバリッシュの下(もと)、科学協力チーム(LSC)を率いた。2002年から観測を開始し、しばらく重力波の観測はなかったが、検出感度を高めた改良型の「Advanced LIGO(アドバンスドライゴ)」の本格運用を始める数日前の2015年9月14日に、約13億年前に二つのブラックホールの合体で生じた重力波の観測に成功した。最初はリビングストンで観測され、その7ミリ秒後にハンフォードで観測された。重力波によるゆがみは、わずか250兆分の1ミリで、これによってブラックホールの性質や宇宙誕生直後のようすなどが解明されると期待されている。

 ワイスは、全天から降り注ぐマイクロ波(電磁波)である「宇宙マイクロ波背景放射」(CMB=Cosmic Microwave Background Radiation)を観測する測定器のパイオニアでもある。1989年に打ち上げられたNASAの宇宙背景放射観測衛星「COBE(コービー)」(Cosmic Background Explorer)衛星の実験部門の責任者としてかかわった。

 2006年COBEチームの一員としてグルーブ賞、2007年アインシュタイン賞、2016年LIGOチームとしてグルーブ賞、ショウ賞、カブリ賞。2017年「LIGOへの決定的な貢献と重力波の観測」により、アメリカの物理学者キップ・ソーン、バリー・バリッシュとノーベル物理学賞を共同受賞した。

[玉村 治 2018年2月16日]


ワイス(Wyeth Corp.)
わいす
Wyeth Corp.

アメリカの大手医薬品会社。旧社名はアメリカン・ホーム・プロダクツAmerican Home Products Corp.(略称AHP)。2002年現社名に改称した。

 アメリカン・ホーム・プロダクツは、1926年ワイス・ケミカルWyeth Chemical(1909年創立)とその子会社3社の持株会社として設立されたが、その起源は、1860年創業者ジョン・ワイスが兄弟のフランクとペンシルベニア州フィラデルフィアに開業した小さな薬局にさかのぼる。1931年AHPはジョン・ワイスの息子スチュアートがハーバード大学に遺贈した企業であるジョン・ワイス・アンド・ブラザー社John Wyeth & Brotherを買い取った。1943年にはホルモン剤(複合エストロゲン)や麻酔薬などを扱っていたカナダの企業を買収してエアスト・ラボラトリーズAyerst Laboratoriesとし、また医薬品企業を統合してワイス・ラボラトリーズ部門を形成した。さらに1944年、海外販売強化のためワイス・インターナショナルを設立した。

 1957年には大衆薬・トイレタリー製品、化粧品部門を設立。1960年代にかけて、多数の家庭用品メーカーや食品企業を買収、多角化を推進した。1982年シャーウッド・メディカルを買収して医療機器市場に参入。1987年ブリストル・マイヤーズ(現ブリストル・マイヤーズ・スクイッブBristol-Myers Squibb Co.)の動物薬部門、1988年パーク・デービスParke-Davisの動物薬部門を買収してAHP動物薬部門に統合、動物医薬品分野で全米3位に浮上した。1988年には、著名な大衆薬をもつ中堅医薬品企業A・H・ロビンズを買収ののち、1994年11月有力な医薬・農薬企業であるアメリカン・サイアナミッドを買収、世界最大手の医薬品企業の一つになった。

 以後、1996年に食品事業を売却、1997年から1998年には医療機器や病院用品事業から撤退、2000年には農薬部門のサイアナミッドをBASFに売却するなど、多角化路線を修正した。他方、1996年の、バイオテクノロジー企業ジェネティックス・インスティテュートGenetics Instituteの完全取得、ベルギーの医薬品・化学会社ソルベイSolvay SAの動物薬部門買収、1998年の栄養補助薬品会社の取得などにより、医療用医薬品、バイオテクノロジー、大衆薬・栄養補助・ハーブ製品、動物薬の4分野で世界的展開を図っている。2001年の売上高は141億2850万ドル、うち医療用医薬品が81%を占める。

[田口定雄]

その後の動き

2009年1月にアメリカの同業大手ファイザーにより、総額680億ドルで買収されることが発表され、同年10月に統合が完了した。2008年の売上高は228億3390万ドル、うち医療用医薬品が41%を占めた。編集部


ワイス(Piere-Ernest Weiss)
わいす
Pierre-Ernest Weiss
(1865―1940)

フランスの物理学者。チューリヒ工科大学、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)に学び、磁気の研究を行う。1918年ストラスブール大学の物理学教授となる。ランジュバンの常磁性に関する熱統計の理論を拡張して、強磁性体の原子磁気モーメントは分子磁場とよばれる磁場のために平行に整列しているという強磁性の理論をたてた。その後に量子力学が成立してから、分子磁場はスピン間の交換力にほかならないことが明らかにされたが、この理論は第一次近似として磁性研究に応用され、たとえばL・ネールによる反強磁性フェリ磁性の研究において発展的に活用されている。分子磁場は、しばしばワイス磁場ともよばれている。

[今野 宏]


ワイス(Peter Weiss)
わいす
Peter Weiss
(1916―1982)

ユダヤ系のドイツ語作家、劇作家。11月8日、ベルリン郊外に生まれる。ナチス時代に亡命し、国籍は1945年以降スウェーデン。46年ころから内向的な実験小説や戯曲を書き始めるが認められないまま、50年代はおもに絵画や映画製作に携っていた。60年、8年前に書いたヌーボー・ロマン風の小説『御者のからだの影』が認められて、作家活動を再開する。まず小説『両親との別れ』(1961)、『消点』(1962)で、孤独なアウトサイダーとしての自らの生い立ちを克明につづったのち、64年、戯曲『サド侯爵の演出のもとにシャラントン保護施設の演劇グループによって上演されたジャン・ポール・マラーの迫害と暗殺』を発表、革命家マラーと個人主義者サドの対立を虚実入り交じった劇中劇形式のなかに描いて、一躍世界的な名声を得る。以後、政治参加の立場を表明し、『追究』(1965)、『ベトナム討論』(1968)などの作品で、被抑圧者たちの解放の闘争を巨視的にとらえた特異な集団舞台を試みた。さらに、戯曲『亡命のトロツキー』(1970)、『ヘルダーリン』(1971)を経て、虚構の自伝小説の大作『抵抗の美学』三巻(1975~81)を完成させたが、翌82年5月10日急死した。

[西尾直樹]

『柏原兵三訳『両親との別れ』(1970・河出書房新社)』『内垣啓一・岩淵達治訳『マラーの迫害と暗殺』(1967・白水社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイス」の意味・わかりやすい解説

ワイス
Weiss, Rainer

[生]1932.9.29. ベルリン
ドイツ生まれのアメリカ合衆国の物理学者。ユダヤ人の神経学者を父にもち,1939年ナチスの台頭を背景に家族とともに渡米。1955年マサチューセッツ工科大学 MITで物理学の学士号,1962年博士号を取得。1960~62年タフツ大学で講師および助教として,1962~64年プリンストン大学で研究員として勤務。1964年以降 MITで教鞭をとり,1973年教授,2001年名誉教授。プリンストン大学在籍中にアルバートアインシュタイン一般相対性理論宇宙論に興味をいだき,1970年代初めから宇宙背景放射の研究に取り組み,アメリカ航空宇宙局 NASAによる宇宙背景放射探査衛星 COBEの開発にも携わった。また,アメリカの物理学者でカリフォルニア工科大学のキップ・S.ソーンとともに,アインシュタインが存在を予測した重力波の直接観測を試み,長さ数kmに及ぶ巨大な L字型アーム内でのレーザー光干渉(→干渉計)を利用して重力波による空間の伸縮を検知するレーザー干渉計重力波天文台 LIGO(ライゴ)の建設を構想,ソーンの勤務先同僚であるイギリスの物理学者ロナルド・ドレーバーを加え 1984年にプロジェクトを立ち上げた。LIGOは 1994年にワシントン州ハンフォードとルイジアナ州リビングストンで建設が始まり 2002年に完成,その後改良が加えられ,2015年9月14日に重力波を検出した。2017年「LIGOへの貢献と重力波の観測」により,1994年から LIGOの研究責任者に就任したアメリカの物理学者バリー・C.バリッシュ,ソーンとともにノーベル物理学賞(→ノーベル賞)を受賞。

ワイス
Weiss, Peter

[生]1916.11.8. ノバベース
[没]1982.5.10. ストックホルム
ドイツの劇作家,小説家,画家。父はチェコのユダヤ人の織物業者,母はスイス人の女優。 1934年イギリスを経てプラハに亡命,その間に美術学校に入学,さらにスイスを経てスウェーデンに定住した。 40年ストックホルムで個展を開く。 45年スウェーデン国籍を取得。 1950年代は前衛映画の制作に従事したが,60年以降文筆に専念。主著『御者のからだの影』 Der Schatten des Körpers des Kutschers (1960) ,『両親との別れ』 Abschied von den Eltern (61) ,『消点』 Fluchtpunkt (62) ,戯曲『マラー/サド (ジャン・ポール・マラーの迫害と暗殺) 』 Die Verfolgung und Ermordung Jean Paul Marats,dargestellt durch die Schauspielgruppe des Hospizes zu Charenton unter Anleitung des Herrn de Sade (64) ,『追究』 Die Ermittlung (65) ,『亡命のトロツキー』 Trotzki im Exil (70) ,『ヘルダーリーン』 Hölderlin (71) 。

ワイス
Weiss, Pierre-Ernest

[生]1865.3.25. ミュルーズ
[没]1940.10.24. リヨン
フランスの物理学者。チューリヒのスイス連邦工科大学,パリのエコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) を卒業,1896年学位取得。リヨン大学 (1899) ,スイス連邦工科大学 (1902) ,ストラスブール大学 (18) 各教授。またチューリヒおよびストラスブールでそれぞれ磁気研究を中心とした物理学研究所を指揮し,多くの研究者を集めた。パリ科学アカデミー会員 (26) 。 1907年磁気モーメントを平行にそろえる分子磁場を仮定し,また磁区の概念を導入して強磁性の理論をつくった。常磁性体の磁化率に関するキュリー=ワイスの法則,ガドリニウムが強磁性であることの発見などがある。

ワイス
Wyeth

アメリカ合衆国の医薬品会社。医家向け薬品,大衆薬品,家庭用品,獣医用医薬品などの製造・販売を手がけた。1926年持株会社のアメリカン・ホーム・プロダクツとして設立。1931年処方薬のジョン・ワイス・アンド・ブラザー(1860創業)を買収し,傘下に収める。1960年代を通じて家庭用品と食品の分野で他社を買収し多角化。1992年にバイオテクノロジーのジェネティクス・インスティテュートの株式 60%を取得(1995子会社化)。1994年アメリカン・サイアナミッドを買収。2002年社名をワイスに変更し,持株会社から医薬品メーカーに組織を再編した。2009年ファイザーに買収された。

ワイス
Weiss, Sylvius Leopold

[生]1686.10.12. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1750.10.15. ドレスデン
ドイツのリュート奏者,作曲家。リュート奏者であった父に学んだのちイタリアに留学,1715年カッセル,16年ジュッセルドルフの宮廷奏者を経て,17年ドレスデンの宮廷楽団の一員となった。リュートの歴史上最後の大家で即興演奏の名手として知られ,多くの組曲,プレリュードなどを残した。

ワイス
Weiss, Ernst

[生]1882.8.28. ブリュン
[没]1940.6. パリ
オーストリアのユダヤ系小説家。外科医であったが,1936年パリに亡命,ドイツ軍のパリ侵攻の際に自殺。人間と世界の対立を,善と悪との葛藤として描いた作品が多い。『きびしい試練』 Die Feuerprobe (1923) ,『医者と殺人者』 Georg Letham-Arzt und Mörder (31) など。

ワイス
Weiss, Konrad

[生]1880.5.1. ラウエンブレッチンゲン
[没]1940.1.4. ミュンヘン
ドイツの詩人。カトリック信仰を基調にして,思索に満ちた神秘的で難解な詩を残した。詩集『言葉の心臓』 Das Herz des Wortes (1929) ,詩的な紀行文『ドイツの朝の鏡』 Deutschlands Morgenspiegel (50) など。

ワイス
Weiss, Bernhard

[生]1827.6.20. ケーニヒスベルク
[没]1918.1.14. ベルリン
ドイツのプロテスタント神学者。キール,ベルリン各大学教授を歴任。新約聖書の教説を4つの歴史的段階 (イエス,使徒,パウロ,パウロ後) に分けて説明したほか,イエスの心理学的解釈などの新約研究で学界に寄与した。著書多数。

ワイス
Weiss, Adam

[生]1490頃.クライルスハイム
[没]1534
ドイツの宗教改革者。初めは人文主義者でマインツ大学で講じていたが,やがて福音主義者となり,ツウィングリの指導を受けつつ,カトリック教会の保守的な人々と闘った。

ワイス
Weiss, Johannes

[生]1863
[没]1914
ドイツのプロテスタント神学者。 B.ワイスの子。マールブルク,ハイデルベルク各大学教授。イエスの説いた神の国の終末論的性格を強調し,福音書の解釈に新しい紀元を開いた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ワイス」の意味・わかりやすい解説

ワイス
Peter Weiss
生没年:1916-82

スウェーデン国籍のユダヤ系ドイツ語作家・劇作家。ベルリン郊外に生まれ,プラハで美術を学んだが,ユダヤ人迫害を逃れた一家とスウェーデンに移住した。そこで自己閉鎖的な世界に閉じこもり,前衛美術や映画の製作に没頭した。第2次大戦後にドイツ語で作家活動を行うことを決意し,内向的傾向の強い実験小説や自伝を発表した。しかし,しだいに社会との接点を求めるようになり,外向性へと変貌していく。個人主義と全体主義を対置させて第三の立場を求めた《マラ/サド劇Marat/Sade》(1964)の成功が転機となって,個人主義を清算したワイスは,世界を抑圧から解放する闘争に参加することを決意し,形式的にも新しい政治演劇《追究》(1965),《ルシタニアの怪物の歌》(1967),《ベトナム討論》(1968)を発表した。これに続く《亡命のトロツキー》(1970)では教条的左翼と一線を画し,《ヘルダーリン》(1971)によってこの狂気の詩人に新たな評価を与えた。しかし,ライフワークともいうべき虚構の自伝小説《抵抗の美学》3巻を完成した直後に急死した。
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百科事典マイペディア 「ワイス」の意味・わかりやすい解説

ワイス

スウェーデンのユダヤ系ドイツ語作家。ベルリン近郊に生まれ1934年亡命。前衛的散文《御者のからだの影》(1960年)で登場。自伝的長編《両親との訣別》《消点》などの後,戯曲《マラ/サド劇Marat/Sade》(正式には《マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者によって演じられたジャン・ポール・マラの迫害と暗殺》1964年)で成功。アウシュビッツ裁判を劇化したオラトリオ《追究》やベトナム民族2000年の歴史を描く《ベトナム討論》で新しい政治宣伝劇を創出。他にライフワークとなる自伝小説《抵抗の美学》3巻がある。

ワイス[会社]【ワイス】

処方薬,大衆薬,医療器具などを手がける米国の大手メーカー。1926年設立。当時の社名はアメリカン・ホーム・プロダクツ。2002年3月現社名に変更。1994年に穀物用農薬で大手のAmerican Cyanamid社を買収して事業を拡大した。エストロゲン補充液,抗うつ薬,抗炎症薬,抗不整脈薬などの処方薬に強く,大衆薬には鎮痛剤のAdvil,喘息薬のPrimatene,ビタミン剤のPreparation H等がある。2009年1月ファイザーが買収すると発表,2010年に買収が完了した。

ワイス

ドイツの建設技術者。建設技師としてスイスで活躍後,ベルリンで鉄筋コンクリート関係の会社を創立。同時にJ.モニエの特許を買い取り,M.ケーネンと協力して鉄筋コンクリート構造の理論を完成,技術発展の基礎を築いた。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「ワイス」の解説

ワイス

正式社名「ワイス株式会社」。英文社名「Wyeth K.K.」。製薬業。昭和28年(1953)「日本レダリー株式会社」設立。平成10年(1998)「日本ワイス株式会社」と合併し「日本ワイスレダリー株式会社」に改称。同15年(2003)「ワイス株式会社」に社名変更。本社は東京都品川区大崎。米国ワイス社の日本法人。リウマチ・がん・中枢神経・婦人科領域の医療用医薬品の開発・製造を行う。平成21年(2009)米国ファイザー本社によるワイス本社統合にともない、同22年(2010)ファイザーに統合。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

367日誕生日大事典 「ワイス」の解説

ワイス

生年月日:1865年3月25日
フランスの物理学者
1940年没

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