ファエンツァ(英語表記)Faenza

改訂新版 世界大百科事典 「ファエンツァ」の意味・わかりやすい解説

ファエンツァ
Faenza

イタリア北部,エミリア・ロマーニャ州ラベンナ県の都市。人口5万4050(1990)。エトルリア人が建設し,ローマ時代にボローニャリミニを結ぶアエミリア街道,ラベンナとフィレンツェを結ぶファウェンティナ街道とが交わる所に位置する交通上の要地となった。11世紀に自由都市となって発展,その後マンフレディ家に支配され,16世紀に教皇領に統合された。陶器の生産地として,中世初め以来の古い伝統をもっており,長い間ヨーロッパの陶芸をリードしてきた。フランス語の陶器(ファイアンス)はこの都市の名に由来している。今日でも陶芸は盛んで,1908年に設立された国際陶芸博物館には,ファエンツァのみならず,古今東西の陶器が展示されている。またこれに付属する学校もある。今日,経済の基盤農業で,工業では食品加工,繊維などが比較的顕著である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ファエンツァ」の意味・わかりやすい解説

ファエンツァ
Faenza

イタリア北部,エミリアロマーニャ州ラベンナ県の工業都市。ボローニャ南東約 49km,ラモーネ川にのぞみ,エミリア街道の要地を占める。古代にはファウェンティアと呼ばれた都市で,12世紀初期には独立の都市に成長。スペインマヨルカ島から導入された陶器の製造によって有名。ファイアンス陶器の名はここの地名に由来する。その生産は 12世紀に始り,15~16世紀には頂点に達した。現在も陶器のほか金・銅細工,機械,繊維工業などが行われ,果物,ワイン集散地。国際陶器博物館がある。人口5万 3577 (1991推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファエンツァ」の意味・わかりやすい解説

ファエンツァ
ふぁえんつぁ
Faenza

イタリア北東部、エミリア・ロマーニャ州ラベンナ県の都市。人口5万3369(2001国勢調査速報値)。ラモーネ川沿いに位置し、エミリア街道とファエンティーナ街道の結節点をなす。15世紀以来マジョリカ陶器の主産地として有名である。1908年に国際陶器博物館が建てられ、多くの作品が陳列されている。主産業は農業であるが、天然ガスの産出が重要度を高めつつある。

[堺 憲一]

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百科事典マイペディア 「ファエンツァ」の意味・わかりやすい解説

ファエンツァ

イタリア中部,エミリア・ロマーニャ州ラベンナの南西約30kmにある都市。ローマ時代には街道の交点に位置する交通の要地。中世以来陶業の中心地として有名。フランス語の陶器ファイアンスの語源。製陶学校,国際陶芸博物館がある。5万5000人(2006)。

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世界大百科事典(旧版)内のファエンツァの言及

【陶磁器】より

イスパノ・モレスク陶器と呼ばれる金属的な輝きをもつこれらの陶器は,14世紀から15世紀初めスペインの東海上に浮かぶマリョルカ島を経由してイタリアに多量に輸出されたので,当時のイタリア人はこの島の名にちなんでこれらをマヨリカ(焼)と呼んだのである。 当時イタリアではルネサンスの人文主義が台頭し,イスパノ・モレスク陶器の技法を受け継いでファエンツァ,フィレンツェ,ウルビノ,グッビオなどの中部イタリアの各地でマヨリカ陶器が焼かれた。ことに16世紀初めのグッビオのラスター彩の名手アンドレオリGiorgio Andreoli(1492‐1553年ころ活躍),イストリアート(istoriato物語絵)の名手ペリパリオNicola Pellipario(1510‐42年活躍)らが出るに及んで,マヨリカ陶器はイスパノ・モレスク陶器をはるかにしのぐ多様な発展をみた。…

※「ファエンツァ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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