ファランヘ党(読み)ファランヘとう(英語表記)Falange Española Tradicionalista

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ファランヘ党
ファランヘとう
Falange Española Tradicionalista

スペインのファシズム政党。 1933年 10月独裁者プリモ・デ・リベラの子,ホセ・アントニオプリモ・デ・リベラが創立,34年2月マルクス主義を排斥する国民サンディカリスト攻撃会議と合体。スペイン内乱で,党の創設者ホセ・アントニオが政府軍に処刑されたのちは,フランコ将軍の義弟ラモン・セラノ・スニエルが指導にあたったが,その死後は総統 F.フランコ自身が党首となった。内乱後,39年6月党大評議会が開かれ,1党による全体主義的体制を整え,以後これが事実上議会に代るものとなった。 67年高齢に達したフランコは体制の継承と権力の委譲にそなえ,ファランヘ党を解体しスペイン唯一の政党となる「国民運動」に改組した。しかしその後,普通選挙法が成立したことによって,77年4月に解散した。

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大辞林 第三版の解説

ファランヘとう【ファランヘ党】

スペインの国家主義政党。1933年結成。フランコ政権と表裏一体をなして、スペインを支配した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ファランヘ党
ふぁらんへとう
Falange Espaola

スペインのファシズム政党。のちにフランコ政権の国家政党となった。独裁者ミゲル・プリモ・デ・リベラ将軍の息子ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラが1933年に創立した。当初の党員はホセ・アントニオの個人的協力者や学生が多かったが、翌年、レデスマの率いる国民サンジカリスト攻撃団と合同し、若干の大衆的基礎をもった。人民戦線と争った1936年の選挙では右派ブロックから排除され敗退、その後、左翼勢力へのテロリズムを強化し非合法とされたが、右派勢力を糾合して党員は激増した。軍部の反乱計画に加担し、同年7月スペイン内戦が勃発(ぼっぱつ)すると、反乱派義勇軍の一つの要(かなめ)をなした。この間、エディーリャManuel Hedilla(1902―70)が指導者となった(ホセ・アントニオは同年11月に処刑)が、翌年4月の政党統一令によって、フランコを党首とする反乱派の単一政党とされた。新旧党員間の内部対立を抱えながら、内戦終了後もフランコ政権の唯一の公認政党となり、大衆動員、思想動員の役割を担った。その後、1958年に「国民運動」と改称、1975年のフランコ死去後の民主化によって1977年に消滅した。[深澤安博]
『S・G・ペイン著、小箕俊介訳『ファランヘ党――スペイン・ファシズムの歴史』(1982・れんが書房新社)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

ファランヘ‐とう ‥タウ【ファランヘ党】

(ファランヘはFalange) スペインのファシズム政党。一九三三年プリモ=デ=リベラ将軍の子、ホセ=アントニオが創設。三七年フランコが党名と組織を吸収して新党を結成。内戦後はスペイン唯一の政党。フランコの死後、一九七七年に消滅した。

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