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フィチーノ Ficino, Marsilio

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フィチーノ
Ficino, Marsilio

[生]1433.10.19. フィレンツェ,フィリーネ
[没]1499.10.1. フィレンツェ,カレッギ
ルネサンス期イタリアの指導的プラトン主義哲学者。アリストテレス哲学を学んだのちプラトン哲学研究に向い,プラトンおよびその後継者たちの著作のラテン語訳,注解に努めた。この事業にはメディチ家の援助が与えられ,1462年以後彼のカレッジの館はフィレンツェ・アカデミーとされて,ここで研究,講義が行われた。彼はプラトン哲学および新プラトン的思想がキリスト教信仰を補強する不可欠のものであると論じ,さらにキリスト教の優位を認めながらも,他の宗教も神へ近づこうとする人間の本性に基づくものと論じた。主著『キリスト教について』 Liber de Christiana religione (1474) ,『プラトン神学』 Theologia Platonica (82) 。

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デジタル大辞泉の解説

フィチーノ(Marsilio Ficino)

[1433~1499]イタリアの人文主義者。プラトン主義を復興させ、メディチ家の働きかけでプラトンアカデミーを開く。キリスト教神学とプラトン哲学との融合の試みは、ルネサンス期の新プラトン主義隆盛の元をつくった。著「プラトン的神学」「恋の形而上学」など。

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百科事典マイペディアの解説

フィチーノ

イタリアの哲学者。メディチ家の庇護の下にアカデミア・プラトニカプラトン・アカデミー)を主宰し,プラトンプロティノスの研究と翻訳に従事するとともに,《ヘルメス選集》(ヘルメス文書)の初のラテン語訳もなしとげた(表題は《ピマンデル》)。
→関連項目アカデミズム古代神学パラケルススピコ・デラ・ミランドラヘルメス思想ミケランジェロ

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世界大百科事典 第2版の解説

フィチーノ【Marsilio Ficino】

1433‐99
ルネサンス・イタリアの代表的哲学者で,フィレンツェ・プラトン主義の中心人物。メディチ家の侍医であった父の勧めで,医学,哲学,ギリシア語を学び,C.de’メディチに才を認められて,その孫L.de’メディチの家庭教師となるかたわら,ギリシア各地から買い集めた貴重な古典手稿類をカレッジの別邸とともに委託された。これはのちに〈アカデミア・プラトニカ(プラトン・アカデミー)〉と呼ばれる。ここでフィチーノは,古典手稿の研究翻訳に着手し,《オルフェウス頌歌》やプロクロス,ヘシオドスの神学的作品などを訳了した。

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大辞林 第三版の解説

フィチーノ【Marsilio Ficino】

1433~1499) イタリア、ルネサンス期の哲学者。プラトン主義を復興させ、キリスト教との融合を試みた。著「プラトン神学」「キリスト教の信仰」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フィチーノ
ふぃちーの
Marsilio Ficino
(1433―1499)

イタリア・ルネサンス期の哲学者。フィレンツェの近くに生まれる。父親は医学を学ぶことを希望したが、プラトン研究に熱意をもつコジモ・デ・メディチに見込まれる。ギリシア語を学んだあと、1462年にプラトンの「対話篇(へん)」のイタリア語訳に着手して、1477年に完成、その注釈のかたわら、プロティノスの『エンネアデス』の翻訳も1486年に終えている。プラトン・アカデメイアの中心人物として、「第二のプラトン」とまでよばれている。
 当時のスコラ学者、アベロエス主義者などがアリストテレスの自然学をめぐる論争に終始しているのに対し、プラトン的伝統に従って真の宗教性を追究した。ヘルメス・トリスメギストスからプラトンに至り、さらに新プラトン主義を経て、教父や中世の思想家へと通じる一つの神学的伝統の流れのなかに、神の啓示に基づいたピア・フィロソフィア(敬虔(けいけん)の哲学)があるとする一方、宗教は哲学的権威によって支えられたドクタ・ピエタス(学識ある信仰)でなければならないという要請から、プラトン的哲学の基礎のうえに、キリスト教神学を再建しようとするのが、主著ともいうべき『魂の不死に関するプラトン神学』(1469~1474執筆、1482刊)や『キリスト教について』(1474)の内容となっている。神、宇宙、人間の霊魂などに関して、とくに新プラトン主義とキリスト教を融合させた理論を展開している。[大谷啓治]

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世界大百科事典内のフィチーノの言及

【アカデミー】より

…そのもっとも初期のものとして知られるアカデミア・プラトニカAccademia Platonicaはコジモ・デ・メディチが1438年に創始,孫のロレンツォが引き継いでフィレンツェの自邸を会員に開放,プラトンの《饗宴》を模した談論を奨励したという。新プラトン主義者フィチーノが同アカデミアの中心的存在。15世紀後半から16世紀にかけて続々と生まれたイタリアのアカデミーは,その多くがウマニスタ(人文主義者)たちの会合を母体として生まれたもので,当時の学問の最先端を開拓し,古典研究のほかにとりわけ自然科学に力を入れた。…

【アカデメイア】より

…学園はその学問の傾向において,イデア論的形而上学から数学主義,懐疑主義から折衷主義へと変わり,また中断の時期はあったが,東ローマ皇帝ユスティニアヌスの勅令(529)による活動停止まで900年余にわたって存続し,古代ギリシア・ローマ世界における学問研究のセンターとして大きな役割を果たした。また,イタリアのルネサンス期フィレンツェにおいてフィチーノらがメディチ家の保護をうけてアカデメイアを復興したが,以後これはプラトニズムの中心として広くヨーロッパに影響を与えた。アカデミー【広川 洋一】。…

【アレゴリー】より

…(2)ルネサンス,マニエリスム 盛期ルネサンスからマニエリスムにかけて,アレゴリー表現は開花期を迎える。とくにフィレンツェのフィチーノピコ・デラ・ミランドラらの新プラトン主義者たちの果たした役割は大きく,〈聖書と神話との間に,かつて夢想もしなかった和解の可能性〉(セズネック)が提示された。ティツィアーノの《聖愛と俗愛》(1515ころ)には永遠の幸福と一時的な幸福(チェーザレ・リーパ),キリスト教的な高次の精神と低次の精神,新プラトン主義的な存在の2種のあり方(パノフスキー)など,種々のアレゴリーが指摘される。…

【宇宙】より

…12世紀以降アリストテレス主義と結んだキリスト教神学がスコラ学としてギリシア的な宇宙像を受け入れたとき,半ば意識的に拒否されたプラトン,新プラトン主義関係の文献が,フィレンツェを中心に15世紀後半にラテン語に翻訳され,一つの思想運動に発展すると,その中にはさまれていたヘリオス信仰(ヘルメス主義や新プラトン主義に強く見られる)が西欧世界をふうびすることになった。フィレンツェ・プラトニズムの雄M.フィチーノは《太陽と光についてDe sole et lumine》を著して,その先鞭をつけたが,こうした新傾向の洗礼を受けた一人にN.コペルニクスがいた。まさしく天体の中でももっとも神聖な太陽こそ,そして中心からすべてを〈流出〉する源としての太陽こそ,宇宙の中心にあるべきであるとするコペルニクスやJ.ケプラーが,プトレマイオス流の地球中心的宇宙モデルを太陽中心的モデルに書き換えることになったのは,そうした太陽崇拝思想の結果としてむしろ自然なことであった。…

【オカルティズム】より

…オカルティズムはまずルネサンス期に,キリスト教的中世のなかでは表面から隠されていたさまざまな古代の知を総合して再生せしめようとする精神運動のなかにあらわれた。フィレンツェではフィチーノがプラトンや新プラトン主義者たちの著作の翻訳を通じて,その弟子ピコ・デラ・ミランドラがヘブライ語=カバラ研究を通じて,それぞれ古代の隠された知をよみがえらせ,ルネサンス芸術の理論的支柱を提供した。北方ではピコの盟友ロイヒリンやトリテミウスの後をうけて,ネッテスハイムのアグリッパが,中世を通じてスコラ学的に形骸化され,わずかに悪魔学や天使学に退化した姿をとどめるのみだったオカルティズム理論を,錬金術や占星術のような自然界に依存する分野にはじめて適用した(《隠秘哲学》1531)。…

【ヘルメス思想】より

…ヘルメス思想の象徴的表現としてのタロットもこのころ普及した。15世紀には,フィレンツェにプラトン・アカデミー(アカデミア・プラトニカ)が創設されてヘルメス思想を広め,1469年には《アスクレピオス》,71年にはフィチーノのラテン語訳による《コルプス・ヘルメティクム》が印刷刊行されて,デューラーやレンブラントなどの画家,ラブレーやシラノ・ド・ベルジュラックらの作家,パラケルススやJ.B.vanヘルモントらの医化学派(医療化学派)の医者にも大きな影響を与えた。 イタリアにはフィチーノやピコ・デラ・ミランドラなど多くのヘルメス主義者がいたが,当時イタリアに留学中だったコペルニクスがその影響を受け,ヘルメス思想の太陽中心説を採用して新しい宇宙像をつくった。…

【ヘルメス文書】より

…中世はまた多くのヘルメス文書〈偽典〉を生んだ。ルネサンス時代,とくに16世紀にはヘルメス文書の大流行が起こり,その発端は,フィチーノによる《コルプス・ヘルメティクム》ラテン語訳(表題は《ピマンデル》)であった。これには別の多くの版や注解が続き,その結果本文書の文化史上における意義は絶大なものとなった。…

【メランコリー】より

…このように,メランコリーが哲学や芸術と結びつけられて人気を博すことになったのは,イタリアのフィレンツェに興った新プラトン主義の影響によるものとされる。新プラトン主義は当地の哲学者M.フィチーノによって大成された思想だが,彼はその《人生の書Liber vita》のなかで〈知識人はなぜメランコリアになるか〉を論じ,芸術の霊感源であるあのプラトンの〈神的狂気〉を黒胆汁の作用と結びつけた。このようにして〈哲学でも,政治でも,また詩や芸術でも,真に傑出した人物はみなメランコリアである〉という公理が成立し,天才性とメランコリーとの関係は当時の思想家や芸術家のあいだで広く受け入れられていく。…

【錬金術】より


[近代ヨーロッパ]
 徐々に蓄積された自然哲学思想の炎が,12~13世紀の〈ルネサンス〉ではかなり燃え上がったが,爆発的に燃焼したのは,何といっても真のルネサンス期といえる15~16世紀で,まずはイタリアに,錬金術,占星術,自然魔術,さらに天文学,力学,医学,文学などへの知的欲求が盛んにおこった。そのきっかけの一つに,15世紀中葉のM.フィチーノによる〈ヘルメス文書〉その他一連の古代神秘的文書の翻訳がある。しかも人間精神の現世的な目ざめは,イタリアを越えてヨーロッパ各地にひろがり,人文主義精神が高揚した。…

※「フィチーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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