日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ヘルメス・トリスメギストス
へるめすとりすめぎすとす
Hermēs Trismegistos
ギリシア語の神名で、トリスメギストス(3倍)すなわち非常に偉大なヘルメスを意味する。ヘルメス神は、ヘレニズム時代によくみられる混交宗教型の神で、ギリシア神話とエジプト神話が習合して生まれた。
[米田潔弘]
混交宗教神としての性格
キケロによると、ヘルメス(ラテン名メルクリウスMercurius)はかつて5人おり、最後のヘルメスが、アルゴスを殺害したのちエジプトへ逃れ、エジプト人に律法と文芸を教え、テウトまたはトートとよばれるようになった。また、3~4世紀のキリスト教神学者ラクタンティウスLucius Caelius(Caecilius)Firmianus Lactantius(生没年不詳)によれば、ヘルメスはエジプトの都市ヘルモポリス(現在のダマンフール)を建設し、すべての学芸に通暁していたことからトリスメギストスの異名を冠せられた。アレクサンドリアのクレメンスClemens Alexandrīnus, Titus Flavius(150ころ―215以前)は当時42巻のヘルメスの著作が存在していると述べているが、現存するのは、「ポイマンドレース」など17の冊子からなる『ヘルメス文書(もんじょ)』、マダウラ(ヌミディア王国の町)のアプレイウスによるラテン語訳とされた『アスクレピウス』、そして500年ごろヨハンネス・ストバエウスが収集した断片類である。現在、『ヘルメス文書』と『アスクレピウス』は、2世紀後半から3世紀末にかけて複数の者の手によって書かれたこと、そこにはヘレニズム時代らしくキリスト教、ユダヤ教、ミトラス教、グノーシス主義、ピタゴラス主義、プラトン主義などが混交していることが判明している。
[米田潔弘]
原始神学とヘルメス・ルネサンス
ヘルメスの後を継いだのはオルフェウスOrpheusで、アグラオフェムスはオルフェウスの宗教的密儀を伝授され、次にその教えを継承したのはピタゴラスPythagoras(前570ころ―前496ころ)であった。このピタゴラスの弟子がプラトンの師のフィロラオスPhilolāos(前470ころ―?)である。このようにヘルメスに始まりプラトンPlaton(前427―前347)において最高に達する「原始神学」prisca theologiaの系譜が想定された。ヘルメスはまた、至高の主なる神、神の子の存在、ロゴスによる世界創造を説くことによって、シビュラ(神がかり状態になってアポロンの神託を伝えたという巫女(みこ))などとともに異教徒でありながらキリストの出現を予言していた。ルネサンス時代においてヘルメスは、ゾロアスターとならぶ太古の叡智(えいち)の体現者、モーセの同時代人、さらにはモーセその人であるとされた。1460年ごろ『ヘルメス文書』のギリシア語写本がマケドニアからフィレンツェにもたらされると、コジモ・デ・メディチはそれを侍医の息子マルシリオ・フィチーノMarsilio Ficino(1433―99)に与えてラテン語に翻訳するよう依頼した。フィチーノはすでに始めていたプラトンの翻訳を中断して、早速ヘルメスにとりかかり、63年には完訳し、序文を付して71年に出版した。これがヨーロッパにおけるヘルメス・ルネサンスの始まりである。ヘルメスの著作は、16世紀末までに16回は版を重ね、イタリア語、スペイン語、フランス語、オランダ語にも翻訳されて普及し、ヘルメスはシエナ大聖堂の床のモザイク画にモーセの同時代人として描かれるほどであった。フィチーノによれば、ヘルメスは哲学者、神官、国王として最も偉大であったことからトリスメギストスとよばれた。
[米田潔弘]
哲学的ヘルメス主義
ヘルメスがとくに強く訴えかけたのは、世界の驚異としての人間、精神界と物質界の中間に位置し自らの自由意思に従って天使にも獣にもなりうる第三の本質としての人間、神々と同一の本性を有し彼らと親交し、さらには天使やデーモン(不死なる魂)を呼び寄せ生ける神像をつくることさえできる魔術師magusとしての人間という観念である。この哲学的ヘルメス主義は、『ピカトリクス』(中世ヨーロッパの代表的な魔術書。1256年アラビア語からスペイン語に翻訳)など中世の錬金術、占星術、医学的な伝統と合流し、ヘルメスの名の伝説化とともにヨーロッパに普及した。15~16世紀にヘルメス主義の影響を受けた人たちとしては、ピコ・デラ・ミランドラ、ジョルジョFrancesco di Giorgio(1439―1502)、コペルニクス、アグリッパHeinrich Cornelius Agrippa(1486―1535)、パラケルスス、ティヤールPontus de Tyard(1521―1605)、ディーJohn Dee(1527―1608)、ブルーノ、カンパネッラ、フラッドRobert Fludd(1574―1637)などの名が挙げられる。
[米田潔弘]
近代に伏流するヘルメス主義
17世紀に入ると、プロテスタンティズムおよび新しい実験科学、機械論哲学の台頭に伴って、ヘルメス主義の人気は衰えていく。とくに近代科学の勃興(ぼっこう)によってルネサンスの魔術的世界観は、自然を征服し支配するという態度を除いて実証的な近代科学に交替していく。しかし、カゾーボンIsaac Casaubon(1559―1614)が1614年に、ヘルメスの名で流布している著作は1世紀末に著されたことを証明した後になっても、ヘルメス主義の流れは途絶えなかった。それはイギリスのケンブリッジ学派、ボーンのような形而上派詩人、薔薇(ばら)十字団運動、フリーメーソン、そしてベーメ、スウェーデンボリなど、さらにはロマン主義の芸術運動にまで影響を与え続けている。
[米田潔弘]
『フランセス・イェーツ著、藤田実訳『世界劇場』(1978・晶文社)』▽『荒井献・柴田有訳『ヘルメス文書』(1980・朝日出版社)』▽『フランセス・イェーツ著、内藤健二訳『魔術的ルネサンス』(1984・晶文社)』▽『フランセス・イェーツ著、山下知夫訳『薔薇十字の覚醒』(1986・工作舎)』▽『ウェイン・シューメーカー著、田口清一訳『ルネサンスのオカルト学』(1987・平凡社)』▽『ハインリッヒ・ロムバッハ著、大橋良介・谷村義一訳『世界と反世界、ヘルメス智の哲学』(1987・リブロポート)』▽『P・J・フレンチ著、高橋誠訳『ジョン・ディー』(1989・平凡社)』▽『D・P・ウォーカー著、田口清一訳『ルネサンスの魔術思想』(1993・平凡社)』▽『伊藤博明著『神々の再生』(1996・東京書籍)』