フェードル(英語表記)Phèdre

精選版 日本国語大辞典 「フェードル」の意味・読み・例文・類語

フェードル

(Phèdre) 戯曲。五幕。ラシーヌ作。一六七七年初演。エウリピデスの「ヒッポリュトス」およびセネカの「ヒッポリトゥス」に基づき、アテナイ王妃フェードルの、継子イポリットへの一方的な罪深い愛の招く宿命を描いた悲劇。

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デジタル大辞泉 「フェードル」の意味・読み・例文・類語

フェードル(〈フランス〉Phèdre)

ラシーヌによる悲劇。1677年発表。5幕韻文。アテネ王テゼの後妻フェードルが、義理の息子への恋心から、やがて自ら運命を狂わせてゆくさまを描く。作者最後の世俗劇。

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改訂新版 世界大百科事典 「フェードル」の意味・わかりやすい解説

フェードル
Phèdre

フランス劇作家J.ラシーヌの第10作,5幕の韻文悲劇。1677年1月,ブルゴーニュ座初演。初演ならびに初版のタイトルは《フェードルとイポリット》。典拠はエウリピデスの《(冠をもつ)ヒッポリュトス》とセネカの《ファエドラ》。アテナイ王テゼ(テセウス)の若い妻フェードル(ファイドラ)が,恋の女神ベニュス(アフロディテ)の呪いによって義理の息子イポリット(ヒッポリュトス)に対して抱く近親相姦の恋と,そのイポリットが,かつて王に反乱を企てたパラス一族の生き残りの姫アリシーに対して,父の禁制にもかかわらず抱いてしまう恋という,宿命的な二つの〈禁じられた恋〉の破滅的情念を描く。フランスにおける同主題の悲劇の多くが,フェードルをテゼの単なる婚約者にとどめているのに反し,ラシーヌは,テゼの妻であり子までもうけた母親とすることで,イポリットに対する恋を近親相姦であり姦通である呪われた情念とする。しかも,女嫌いとして知られる純潔の王子イポリットにアリシー姫への恋を配することで,古代劇にはないフェードル嫉妬の場をも成立させる。禁じられた恋の告白の諸段階が劇の展開の大きな結節点となる劇作術上の構成も,それを担う言葉が古代神話を動員して鳴り響かせる悲劇詩も,フェードルとイポリットという両極において高度な均衡を保っている。初演・初版がこの二人の人物名を表題としたいわれである。

 しかし,フェードルにおいては,彼女の全存在をとらえて離さぬ情念の力が,従来のラシーヌ悲劇のように単に人間に内在する力というのではなく,古代悲劇の宿命のように人間を超えて立ちはだかる巨大なあらがい難い力としてとらえられており,しかもフェードル自身そのような情念を生きつつも同時にそれを悪として自覚している。父は冥界の裁き主となるミノス王,母はクレタの聖牛と交わって怪獣ミノタウロスを産むという異常性愛の呪いを受けたパシファエというフェードルの血の二重性。それは,近親相姦となる姦淫という禁忌の深さに比例する激しい情念の狂乱に身をまかせる女として,エルミオーヌやロクサーヌの終極であり,他方,そのような宿命の構造の内部で,その悲劇性の意識を生きる存在として,アンドロマックやモニームの深化でもあり,この二つを統合することによって,フェードルは,古代の神話的悲劇の主人公に匹敵し,かつそれを超えている。ラシーヌが表題を《フェードル》と改めたいわれもここにあろう。

 初演に際しては,マザランの姪ド・ブイヨン公爵夫人とヌベール公フィリップ・マンシーニを中心とした反ラシーヌ派の〈陰謀cabale〉の的となり,三流詩人プラドンNicolas Pradon(1632-98)による同題の悲劇がライバル劇場であるゲネゴー座で上演され,反ラシーヌ派とラシーヌ側とで嘲罵の十四行詩(ソネ)が交わされた。しかしこの陰謀は,ほどなくラシーヌ悲劇の圧倒的な勝利に終わるのであり,初演の〈挫折〉がラシーヌの回心を招いたというかつての説は現在では認められない。この悲劇が17世紀の悲劇のみならず演劇の最も輝かしい記念碑とみなされていたことは,1680年,コメディ・フランセーズ創設の際の演目に選ばれていることからもわかるし,同劇場におけるラシーヌ劇上演史の上でも最も上演回数が多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェードル」の意味・わかりやすい解説

フェードル
ふぇーどる
Phèdre

フランスの劇詩人ラシーヌの五幕韻文悲劇。1677年初演。アテナイ(アテネ)王テゼの留守中、王の後妻フェードルは先妻の息子イポリットへの不倫の恋に苦しみ、乳母(うば)エノーヌに打ち明ける。テゼの死の誤報が伝わり、王子は父が滅ぼした先王の娘で虜囚のアリシーに求愛し、姫も愛に報いる。王妃はわが子の安全を訴えるため王子に会うが、情念に灼(や)かれて真情を漏らし、「こんな恥ずかしい告白を、望んでしたとお思いか」と運命を呪(のろ)い、自殺を図る。そこへテゼが生還し、王妃は乳母の勧めで、王子が不倫を仕掛けたように装う。王は弁解しない王子に海神の呪いをかけて追放する。王子の心を知った王妃の怒りで乳母は投身し、王子は海魔に殺される。王妃は罪を告白して毒を仰ぐ。宿命的な情念に滅びる人間の内外の光と闇(やみ)を、暗喩(あんゆ)と諧調(かいちょう)に富む韻文で描いた名作。一部貴族の陰謀で二流詩人プラドンNicolas Pradon(1632―98)と同一主題の競作となった。作者ラシーヌはこの作で劇界を引退。

[岩瀬 孝]

『内藤濯訳『フェードル』(岩波文庫)』

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百科事典マイペディア 「フェードル」の意味・わかりやすい解説

フェードル

ラシーヌ作の韻文悲劇。5幕。1677年初演。アテナイ王妃フェードル(ファイドラ)の義理の息子イポリット(ヒッポリュトス)に対する不倫の恋を描く。狂おしい情熱のとりこになって破局へと向かう女主人公の姿を美しい詩句と完璧な形式のもとに表現したフランス古典悲劇の最高傑作。
→関連項目ヒッポリュトスベルナール

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フェードル」の意味・わかりやすい解説

フェードル
Phèdre

フランスの劇作家ジャン・ラシーヌの悲劇。5幕,韻文。 1677年1月1日,オテル・ド・ブルゴーニュ座で初演。同年刊。主演ラ・シャンメレ。エウリピデスに取材し,アテネ王妃フェードルの継子への愛を扱う。神話世界の混沌とジャンセニズムの恩寵観を,12音綴詩の極致といわれる簡潔端正な文体に盛込み,人間の根源的条件について寓意的表現を与える古典悲劇の一大傑作。

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世界大百科事典(旧版)内のフェードルの言及

【ヒッポリュトス】より

…そこで彼は戦車を駆って,ペロポネソス半島の北東端に近い町トロイゼンに向かったが,その途中,テセウスの訴えで海神ポセイドンが送った怪物に馬が驚いて車を覆し,彼は馬に引きずられて死んだという。この物語はエウリピデスの悲劇《ヒッポリュトス》(前428年に上演され,作者は優勝をかちえた)でもっともよく知られるほか,哲人セネカの悲劇《ファエドラ》,近代ではフランスの劇作家ラシーヌの《フェードル》にも扱われた。 また別の伝承では,ヒッポリュトスはアルテミスの願いにより医神アスクレピオスの手で蘇生させられたといわれ,これをうけたオウィディウスその他のローマ詩人は,彼はその後ディアナ(アルテミスにあたるローマ神話の女神)によってラティウム地方のアリキアの聖林に運ばれ,ウィルビウスVirbius(2度生きる者)の名のもとに女神に仕えたと語っている。…

※「フェードル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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