ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「フォックス」の解説
フォックス
Foxx, Jamie
アメリカ合衆国のコメディアン,歌手,俳優。本名 Eric Marlon Bishop。物まね芸が評判を呼び,のちに映画俳優としても実力を示した。5歳頃からピアノを始め,学校に通いながら地元のコメディクラブに出演する。1991年コメディ・コンテストで優勝し,テレビのコント番組にレギュラー出演を果たす。1994年にデビューアルバム "Peep This"を発売。1996年,冠番組『ザ・ジェイミー・フォックス・ショー』The Jamie Foxx Showをもつ。映画俳優としてはオリバー・ストーン監督作『エニイ・ギブン・サンデー』Any Given Sunday(1999)で初めて評価され,モハメド・アリの伝記『ALI/アリ』Ali(2001)のセコンド役で深みのある役をこなし演技力を証明した。レイ・チャールズに扮した『Ray/レイ』Ray(2004)では,チャールズの体の動きをそっくり自分のものとする迫真の演技でアカデミー賞主演男優賞を受賞した。同年度『コラテラル』Collateral(2004)でもアカデミー賞助演男優賞にノミネートされていた。2005年に発売した 2枚目のアルバム『アンプレディクタブル』Unpredictableはヒットチャートの 1位に躍り出た。その後もミュージカル映画『ドリームガールズ』Dreamgirls(2006),『路上のソリスト』The Soloist(2009),『完全なる報復』Law Abiding Citizen(2009)などに出演。
フォックス
Fox, Charles James
[没]1806.9.13. デボンシャー
イギリスの政治家。オックスフォード大学を出て,1768年トーリー党の下院議員,70~72年 F.ノース内閣の海軍次官,大蔵次官をつとめたが,74年国王ジョージ3世と対立して罷免された。北アメリカ植民地問題を機にホイッグ党に移り,政敵ノースの植民地政策を批判。 82年ロッキンガム内閣の外相。シェルバーン (伯)内閣 (1782~83) 成立に際し,王の下命による組閣に抵抗し,ノースと協調,フォックス,ノース両派を連合して,シェルバーン政権の打倒に成功。ポートランド (公)を名目首班とする連立内閣をつくったが,インド法案で瓦解 (83) 。その後ピット (小)内閣 (83~1801) 時代にフランス革命が起ると (89) ,革命を歓迎し,対フランス戦争に反対。 1806年ピットの死後,W.グレンビルの「挙国実力者内閣」の外相として入閣したが,まもなく病死。
フォックス
Foxe(Fox), Richard
[没]1528.10.5. ウィンチェスター,ウルブズリー
イギリスの聖職者,政治家。ヘンリー7世に即位前から仕え,即位後は国璽尚書兼エクセター司教。スコットランド,フランス,ネーデルラントなどとの外交折衝にあたり,1501年には王子アーサーとカサリン (アラゴンの) の婚約交渉をまとめ,03年には王女マーガレット・チューダーとスコットランド王ジェームズ4世の結婚交渉にあたった。 01~28年ウィンチェスター司教。ヘンリー8世の初期も側近として名声を得たが,17年宮廷を辞し,司教区の行政に主力を注いだ。学者や学術団体の援助者としても知られ,ケンブリッジ大学の総長もつとめた (1500~19) 。またギリシア古典研究を目的とするコープス・クリスティ・カレッジをオックスフォード大学に創設した。
フォックス
Fox, Vicente
メキシコの政治家。大統領(在任 2000~06)。フルネーム Vicente Fox Quesada。メキシコシティーのイベロアメリカ大学経営学部で学位を取得後コカ・コーラに就職し,1975~79年メキシコ・コカ・コーラの社長を務めた。1987年に国民行動党 PANに入党,翌 1988年下院議員に当選。1995年グアナフアト州知事に選出された。1998年大統領選挙に立候補するため州知事を辞任した。2000年の大統領選挙に PANから立候補して当選,71年に及ぶ制度的革命党 PRIの一党支配を終わらせた。在任中はアメリカ合衆国との関係改善に努め,チアパス州などでの暴動を鎮圧した。
フォックス
Fox, George
[没]1691.1.13. ロンドン
イギリスの宗教家。フレンド派 (クェーカー派) の創設者。放浪生活ののち,1647年「真理の友」 Friends of truthの会を設立,内なるキリスト,内なる光による救済を説き,多くの同志,信奉者を得た。教会出席をやめ,典礼によらなくとも生けるキリストとの交流が得られると説いたため,49年イギリス国教会からの圧力を受け,投獄されたが,出獄後,イギリス各地を伝道旅行し,さらに 57年以降スコットランド,アイルランド,オランダ,ドイツ,西インド諸島,北アメリカなどにおもむき,伝道に努めた。死後,『日記』 Journal (1694) が出版された。
フォックス
Fox, Sir William
[没]1893.6.23. オークランド
ニュージーランドの政治家,歴史家。オックスフォード大学を卒業後,弁護士となったが,1842年ニュージーランドへ移住。 56年にウェリントン地方議員となり,自治と責任内閣制の確立のために活動したが,マオリ族を敵視し,その土地の没収を主張した。首相も幾度かつとめたが,J.ボーゲルらに実権を握られていた。 79年ナイト爵を叙勲。歴史家としても知られ,主著に『ニュージーランドの戦争』 The War in New Zealand (1860) がある。
フォックス
Fox, Sir Stephen
[没]1716
イギリスの政治家,財務官僚。パーシー卿に仕え,清教徒革命で国王派につき,皇太子チャールズ (のちのチャールズ2世) とともに亡命。クラレンドン (伯) の推挙により亡命宮廷の財政担当者になり,経理の才能を発揮して,王政復古後,軍事支払長官,大蔵卿に任じられ,1665年ナイト爵に叙せられた。チェルシー国立廃兵院をはじめ,施療院,教会,学校など多くの施設を建立。ウィリアム3世のもとでも大蔵卿にとどまった。次男ホラント男爵ヘンリーは 1700年代後半,外相などをつとめた政治家 C.フォックスの父。
フォックス
Fox, Sidney Walter
[没]1998.8.10
アメリカの生化学者。カリフォルニア大学で学び,1940年カリフォルニア工科大学で学位取得。アイオワ州立大学教授を経て,マイアミ大学教授 (1964) 。生命の起原に関する実験的研究で知られる。アミノ酸溶液を加熱することによって蛋白質類似の物質を出現させることに成功し,それを冷却すると,これら蛋白質類似物質が凝集して細胞に似た構造をつくり上げることを発見した (1959) 。彼の研究は,生命の起原に関する問題の解明に前進をもたらした。
フォックス
Foxe, John
[没]1587.4.18. ロンドン
イギリスの宗教家。オックスフォード大学に学び,1553年大陸に渡り,59年帰国。大陸滞在中,プロテスタント迫害の歴史『殉教者伝』 (ラテン語版) を著わして,好評を博し,63年その英語版"Acts and Monuments of These Latter and Perilous Days"を公刊。"The Book of Martyrs"あるいは「フォックスの殉教書」と通称されて,多大の反響を呼んだ。
フォックス
Fox, William
[没]1952.5.8. ニューヨーク
ハンガリー出身のアメリカの映画企業家。 1904年ニッケルオデオンのチェーンを強化し,1915年フォックス映画会社を設立,パラマウントと並んで 1920年代のアメリカ映画界に君臨した。トーキーへの転換で経営的に失敗し,1930年代に金融資本との戦いで敗退。
フォックス
Fox, Ralph
[没]1937
イギリスの作家。共産主義者として評論や小説を書いた。主著『小説と人民』 The Novel and the People (1937) 。スペイン内乱に際し,政府側義勇軍に参加して戦死。
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