フォントネル(その他表記)Bernard Le Bovier de Fontenelle

デジタル大辞泉 「フォントネル」の意味・読み・例文・類語

フォントネル(Bernard Le Bovier de Fontenelle)

[1657~1757]フランス文人思想家コルネイユおい啓蒙思想先駆者。「複数世界についての対話」でコペルニクス学説を平易に解説したほか新旧論争では近代派を擁護して科学文学における進歩を説いた。著「神託歴史」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「フォントネル」の意味・わかりやすい解説

フォントネル
Bernard Le Bovier de Fontenelle
生没年:1657-1757

フランスの哲学者ルーアンで法律家の息子として生まれる。パリに出て母方伯父で,劇作家のトマ・コルネイユの世話をうけ,サロンに出入りし,劇作に手をそめたり,《メルキュール・ギャラン》誌の編集にたずさわる。当時の文壇を二分した〈新旧論争〉では近代派の側について活躍し,《新・死者たちの対話Nouveaux dialogues des morts》(1683)を発表した。この作品は逆説にみちた24編の対話より成り,古代人の絶対的権威を否定して人間の本性が一貫して変わらないことを主張している。近代派で進歩の思想を奉じる彼にとっては,科学こそ近代人の優位を立証するものであった。さらに《世界の複数性に関する会話Entretien sur la pluralité du monde》(1686)において,彼はデカルトの渦動説を援用して天体の運動を説明するなど近代科学の普及につとめ,さらにキリスト教の地球中心型の考えに対抗して,他の天体に生物が存在するという仮説を提唱している。また《神託の歴史Histoire des oracles》(1687)を書いてキリスト教の神学と奇跡を分析・批判し,神託なるものが司祭たちの偽瞞であることを証明した。彼はコペルニクスやデカルトのような近代科学者の成果をわかりやすくかみ砕いて解説・紹介する努力を惜しまず,その文体は文学的感受性と科学的合理主義とが融合した親しみやすいもので,多くの読者を獲得した。1691年アカデミー・フランセーズ,さらに97年にはアカデミー・デ・シアンスの会員に選出され,99年からはアカデミー・デ・シアンスの終身書記を40年間もつとめた。その間,同時代の科学者に対するおびただしい賛辞を執筆したが,その全体は近代派の領袖にふさわしい生きた科学史を構成している。その科学思想,理論より有用性を重んじる近代精神,宗教批判,知的大衆の育成を目ざす啓蒙思想によって,18世紀の哲学者たちの先駆的存在となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォントネル」の意味・わかりやすい解説

フォントネル
ふぉんとねる
Bernard Le Bovier de Fontenelle
(1657―1757)

フランスの思想家。ルーアン生まれ。大悲劇作家ピエール・コルネイユと、その弟の劇作家トーマ・コルネイユの甥(おい)。初めトーマの影響でいくつか劇作を書いた。彼が脚光を浴びるのは『死者たちとの対話』Dialogues des morts(1683)からで、この作品には、のちに彼が得意とするしゃれた文体で科学思想の普及を説く萌芽(ほうが)がみられる。彼の傑作と目されるのは、1686年に発表した『世界の多数性についての問答』Entretiens sur la pluralité des mondesと、続いて世に問うた『神託の歴史』Histoire des oracles(1687)の2作である。前者においては社交界の貴夫人を相手に洗練された対話でコペルニクスの真理を語り、後者では奇跡を退け、科学の進歩を説いた。いわゆる「新旧論争」では近代派にくみし、1697年に科学アカデミー会員に選ばれてからは終身書記を務め、自由思想家(リベルタン)と百科全書派(アンシクロペディスト)との橋渡し的役割を果たした。まれな長寿を全うした人としても知られる。

[市川慎一 2015年6月17日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォントネル」の意味・わかりやすい解説

フォントネル
Fontenelle, Bernard le Bovier de

[生]1657.2.11. ルーアン
[没]1757.1.9. パリ
フランスの思想家,劇作家。イエズス会の学校で法律を学んだのち,叔父のトマ・コルネイユが編集していた雑誌に詩を発表 (1677) して文学への第一歩を踏み出したが,『プシシェ』 Psyché (1679) など初期の劇作は不成功に終わった。『死者の対話』 Dialogues des morts (1683) や『世界の多様性についての問答』 Entretiens sur la pluralité des mondes (1686) などによって学者と大衆の仲介者たる本領を発揮。『神託の歴史』 Histoire des oracles (1687) や『神話の起源』 De l'origine des fables (1689) には,18世紀の啓蒙思想の萌芽がみられる。一方 1687年に始まる「新旧論争」では,『古代人と近代人に関する迂説』 Digression sur les anciens et les modernes (1688) を著し,シャルル・ペローに味方して近代人の優越を主張した。その他『アカデミー会員頌』 Éloges des Académiciens (1699) がある。

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百科事典マイペディア 「フォントネル」の意味・わかりやすい解説

フォントネル

フランスの哲学者,文学者。アカデミー・フランセーズ,アカデミー・デ・シアンス会員。コルネイユの甥。〈新旧論争〉では近代派の論客。《新・死者たちの対話》(1683年),《世界の複数性に関する対話》(1686年),《神託の歴史》(1687年)などで一貫して近代的科学精神を鼓吹,その普及に努めた。

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世界大百科事典(旧版)内のフォントネルの言及

【自由思想家】より

…広くは考え方と生き方において,宗教的権威から自由であろうとする者をいい,この意味ではエピクロスやルクレティウスなど,古代ギリシア・ローマの哲学者から18世紀の啓蒙思想家たち,さらには19世紀フランスのコント,ルナンなどや19世紀ドイツのフォイエルバハ,D.F.シュトラウス,マルクスなどをも自由思想家に数えることができる。しかし通常は,特に17世紀フランスの〈リベルタンlibertin〉と17世紀末,18世紀初めのイギリスの〈フリー・シンカーfree thinker〉を指すことが多い。…

※「フォントネル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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