翻訳|franc
フランスの旧通貨単位。2002年にEU(ヨーロッパ連合)の共通通貨、ユーロの流通が始まったことにより廃止された。1フラン=100サンチームcentime。なお、ベルギー、ルクセンブルクなど、かつてフランスの貨幣制度を導入し、またフランス・フラン貨を法貨として認めていた国々でもフランを通貨単位として用いており、ベルギー・フラン、ルクセンブルク・フランなどとよばれていた(ベルギー、ルクセンブルクはフランスと同様にユーロを導入しフランを廃止)。スイスも前記の国同様フランスの貨幣制度を導入した国であるが、EUに加盟していないということもあり、ユーロは導入せず引き続きフラン(スイス・フラン)を通貨単位として用いている。
フランス革命以前のフランスの通貨単位はリーブルlivreであり、十二進法を採用していたが、1795年の法律によって十進法のフランに切り換えられた。しかし、フランの価値が明確になり、貨幣制度が最終的に完成したのは、1803年4月7日――共和暦第11年ジェルミナール(芽月)17日――に公布された法律による。すなわち、この法律によって初めて、フランの価値は純分1000分の900の銀5グラム、または金322.58ミリグラムと規定され、フランは金銀比価1対15.5の複本位制度の通貨として確立されたのである。この法律に基づいてフランス銀行が初めて発行したのがジェルミナール・フランである。このフランスの貨幣制度は近隣諸国にも取り入れられた。
ところが、19世紀中期にゴールド・ラッシュが起こると、金銀比価の変動によって銀の流出が急増したため、フランスは1865年ラテン貨幣同盟を設立、ラテン系諸国を金銀複本位制度のもとに結集した。しかし、1870年代になると、ドイツの金本位制度採用や、銀鉱の発見などのため、今度は大量の銀流入に悩まされることとなった。これに対処するため、ラテン貨幣同盟諸国は1878年に銀貨の鋳造を停止し、跛行(はこう)本位制度に移行した。以後、世界の大勢は金本位制度採用に向かっていくのである。
第一次世界大戦によって一時、金本位制度離脱を余儀なくされたが、1928年6月、ポアンカレ内閣はフランの切下げを断行、1フランを純分1000分の900の金65.5ミリグラムとし、同時に金地金本位制度を導入した。しかし、翌29年10月の大恐慌勃発(ぼっぱつ)により、30年代に入ると各国とも金本位制度を停止し、競って平価切下げを行った。フランスは金ブロックを形成し、金本位制度の維持に努めたが、36年にはフランの切下げは不可避となり、平価切下げ競争を回避するため9月にアメリカ、イギリスと三国通貨協定を結び、10月にフランの切下げを行い、純分1000分の900の金43~49ミリグラムとした。切下げと同時に金兌換(だかん)も停止され、金ブロックは事実上崩壊した。
第二次世界大戦後も、フランは大きな変動を示した。1945年12月、フランの価値を純分1000分の900の金8.29ミリグラムとし、対ドル119.11フランの公定レートを設定、国際通貨基金(IMF)発足とともにこれを平価とした。しかし、1948、49年と平価切下げが続いた。1958年12月には西ヨーロッパ主要国通貨とともにフランの交換性も回復し、同時にフランはふたたび切り下げられて純分1000分の900の金2ミリグラムとなった。また、切下げとともにデノミネーションの予定が発表され、60年1月1日に100分の1のデノミネーションが実施された。
1971年8月、アメリカの金・ドル交換停止宣言によって、第二次世界大戦後最大の国際通貨危機を迎えた。1973年3月、ヨーロッパ共同体(EC)諸国は、共同変動相場制(共同フロート)に乗り出したが、フランはたびたび脱落した。1979年3月、ヨーロッパ通貨制度(EMS)が発足、対外的には共同フロート、対内的には固定レートが維持されたが、石油ショック後のフランス経済の悪化はきわめて厳しいものがあり、EMS通貨調整において再三にわたる切下げを強いられてきた。1986年には、ドル安の進行に伴って対ドル年平均30%の上昇、EMS内では対ドイツ・マルク年平均約4%の下落となった。
このような状況下、1991年ヨーロッパ通貨統合に関するスケジュールが盛り込まれたマーストリヒト条約が成立し、99年ヨーロッパ経済通貨同盟(EMU(エミュー))が発足。経済運営上の条件(物価上昇率、長期金利水準、財政赤字幅、累積公的債務残高、為替相場の安定度に関する基準)を満たした諸国において、ヨーロッパ単一通貨ユーロが導入された(2002年2月末までに切替作業が終了)。これに伴いユーロ導入各国の自国通貨は消滅し、フランス・フランも6世紀以上にわたる歴史に終止符をうった。
[土方 保]
『岡田昭男著『フラン圏の形成と発展――フランス・フランを基軸とする通貨圏とECU(欧州統一通貨)』増補版(1998・信山社)』▽『岩田健治編著、H・E・シャーラー他著『ユーロとEUの金融システム』(2003・日本経済評論社)』▽『A・ヌリス著、上杉聰彦訳『フランの歴史』(白水社・文庫クセジュ)』▽『新田俊三著『ユーロ経済を読む』(講談社現代新書)』▽『田中素香著『ユーロ――その衝撃とゆくえ』(岩波新書)』
環内に酸素原子1個をもつ複素環式化合物の一つ。フルフランともいう。環状6π(パイ)電子系をもつので弱い芳香族性がある。松脂(まつやに)の乾留により得られるタール中に存在する。2-フランカルボン酸を脱炭酸するか、フルフラールを水酸化アルカリとともに溶融すると得られる。クロロホルムに似た特有のにおいをもつ無色の揮発性が強い液体。水には溶けないが、エタノール(エチルアルコール)、エーテルにはよく溶ける。アルカリに対しては安定であるが、酸には不安定で重合をおこし樹脂化する。ジエンの性質があり、ディールス‐アルダー反応を行う。
[廣田 穰 2015年7月21日]
フラン
分子式 C4H4O
分子量 68.1
融点 -85.6℃
沸点 32℃
比重 0.937(測定温度20℃)
屈折率 (n)1.4216
フランス,およびスイス,ベルギー,ルクセンブルクなどの旧通貨単位。1フランは100サンチームcentime。フランといえば,通常フランスの法定貨幣(フランス・フランfranc française)を考えやすいが,スイス(スイス・フラン),ベルギー(ベルギー・フラン)などでもその法定貨幣はフランと名づけられている。これらの国々の法定貨幣の呼称がフランで共通しているのは,1865年のパリ協約でフランス,ベルギー,スイス,イタリアの4ヵ国(後にスペインなどが加盟)によるラテン貨幣同盟Union monétaire latineが締結され,フラン金貨,フラン銀貨を無制限法貨にしたことによる。19世紀末のオーストラリアや北アメリカの金鉱の発見は,ヨーロッパ主要国の金属貨幣の価値(金純分)に多大の影響を与え,貨幣流通秩序が混乱したので,これらの国々は純分の等しい同一の貨幣を鋳造したのである。もっとも〈フラン〉の呼称それ自体は,ジャン2世(在位1350-64)が1360年適正な純金のドニエ貨に対しフランと命名したことに由来する。この〈フラン〉は量目が純金3.88gで,計算貨幣1リーブルlivreと正確に対応していた。リーブルとフランはフランス革命まで同義語で,区別なく使われている。
さてフランスにおける最初のフラン貨幣は,1800年ナポレオン1世の創設したフランス銀行が,03年(共和暦第11年ジェルミナール(芽月))の貨幣法によって発行した銀行券〈ジェルミナール・フラン〉である。1フランの価値は,金322.5mgまたは銀4.5gと定められた。48年の二月革命後のインフレーションは,フランス銀行にとって大きな試練であったが,世界最初の銀行券発行最高限度額の設定により困難を克服し,全国に法定通用力をもつ貨幣フランとすることに成功したのである。ジェルミナール・フランは,第1次大戦が勃発した1914年までおよそ1世紀の間,帝政,王政,共和政と交代するなかで大した変化もみせず維持された。第1次大戦による巨額の財政赤字と物資の欠乏はフランスに激しいインフレをもたらし,フランの実質価値は著しく低下した。しかしフランの対外価値は,イギリスとアメリカの援助のほかに為替管理と外貨の投機的買付け禁止措置(1917)によって比較的安定していた。戦争が終わり,財政赤字はドイツからの賠償金で補塡(ほてん)するという期待がついえたとき,フランの信認はたちまち崩れ26年ついに暴落した。28年ポアンカレ内閣が金為替本位制を導入し,フランの安定に成功したかにみえた。ところが1年もたたぬうちに大恐慌が勃発した。ウォール街での株の暴落,銀行恐慌,マルクの崩壊,ポンドの脆弱(ぜいじやく)化など危機の兆候が広がるなかで,フランを安定化させたばかりのフランスは,当初最も安全な通貨の避難場所にみえた。しかし32年,恐慌の兆候が表面化し,フランスからの資本逃避が目立ちはじめた。為替切下げによってドルとポンドの安全性が高まったからである。ドルの金本位制離脱(1933)から3年後,フランも切り下げられた。
第1次大戦と同様に,第2次大戦もフランに重大な混乱をもたらした。フランス経済の疲弊により,戦後のフランも再三切り下げられたのである。不断の物価上昇と国際収支の悪化が金・外貨準備を枯渇させた結果,フランは48年1月44.44%,さらに49年9月22.27%切り下げられた。後者の切下げ措置はポンド切下げに誘発されたものであるが,これを機会に戦後の複数為替相場制を撤廃し単一レートを回復した。これだけ大幅なフラン切下げでもフランス経済の内外均衡が回復しなかったどころか,アルジェリア戦争による軍事費の増大がフランを弱化させ,ついに57年8月輸入税徴収,輸出奨励金交付によって事実上20%の切下げに踏みきった。さらに58年12月EEC(ヨーロッパ経済共同体)の発足に伴い,IMFの承認を得て17.55%の切下げを行い,同時に新フラン(=旧100フラン)の発行(デノミネーション)と通貨量の圧縮によってフランの地位はようやく固まった。フランを含む欧州通貨の安定を図るため,79年3月EMS(ヨーロッパ通貨制度)が発足し,通貨協力と微調整を重ねながら対外的には共同フロート,対内的には固定レートが維持された。
2002年1月からヨーロッパ連合(EU)の単一通貨〈ユーロ〉導入によりフランス,ベルギー,ルクセンブルクではフランは姿を消すこととなった。
執筆者:島野 卓爾
1880年マツ科の木の乾留物からはじめて得られた無色,クロロホルム様の臭気をもつ液体。沸点32℃。木材の乾留物(木精)にも含まれているが,これらは乾留の際に糖類等の分解によって生じたもので,もともと木材中に含まれているものではない。工業的にはフルフラールを酸化して得られるピロ粘液酸(2-フランカルボン酸)の脱炭酸またはフルフラールのアルカリ処理でつくる。チオフェンなどとともに代表的な芳香族複素環式化合物であるが,芳香族性は小さく(共鳴エネルギー23kcal/mol),ジエンとしての性質が強く,ディールス=アルダー反応(ジエン合成)を行う。しかし芳香族化合物として2位に求電子置換反応を受ける。
アルカリには安定だが酸で完全に重合ないし分解する。ニッケル触媒による水素添加で,溶剤として重要なテトラヒドロフラン(THF)となる。フランの検出には,塩酸で湿らせた松の木片を緑色に染める松材反応が用いられる。フランから水素原子1個を除いた基をフリルfuryl基,α位(2位)の水素1個をメチレン基-CH2-で置換した基をフルフリルfurfuryl基という。
執筆者:竹内 敬人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
C4H4O(68.07).マツの木から得られるタール中に存在する.フルフラールを酸化すると得られる2-フランカルボン酸を,加熱脱炭酸すると得られる.クロロホルム臭をもつ無色の液体.沸点32 ℃(10 kPa).0.9371.1.4216.エタノール,エーテル,石油エーテルに易溶,水に微溶.アルカリには安定であるが,無機酸では樹脂化する.マツ材-塩酸反応で緑色を呈する.フラン誘導体は植物の精油成分として存在するものが多い.フランは芳香族性が比較的小さく,ジエン性が高いため,ディールス-アルダー反応を起こしやすい.ナトリウムアマルガムでは還元されないが,ニッケル触媒による水素添加により,テトラヒドロフランを生成する.カチオノイド試薬による置換反応はα位で起こりやすい.脱水剤の存在下にアンモニアあるいは硫化水素と加熱すると,それぞれピロール,チオフェンを生成する.蒸気は麻酔作用があるので注意を要する.ラットの致死濃度は30400 ppm.また,エーテルと同様に過酸化物を形成するので,蒸留には注意が必要である.[CAS 110-00-9]
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…イギリスでは一般に浅いものはタルト,深いものはパイと区別し,上にもパイ生地をかぶせた平たい果物のパイをタルトと呼ぶこともある。フランスでは,フランという底のない型を用いることからフランflanと呼ぶことも多い。また型に敷いたパイ生地の上に,卵黄,生クリームのほかチーズ,ハム,エビ,カニなどを混ぜて詰め,表面をこんがりと焼いた料理のタルトもある。…
※「フラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新