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フルーランス Flourens, Gustave

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フルーランス
Flourens, Gustave

[生]1838.8.4. パリ
[没]1871.4.3. パリ
フランスの革命家。コレージュ・ド・フランス生理学教授であった父の跡を継ぐことを許されず,共和主義者としてトルコに対するクレタ島人の反乱を援助し,きびしいゲリラ戦を体験 (1866) ,帰国して 1870年9月4日の革命に参加。翌年パリ・コミューンが勃発するや,パリ 20区より選出されてコミューンの指導者となったが,4月3日出撃の際,騎馬憲兵に襲われ切り殺された。

フルーランス
Flourens, Marie-Jean-Pierre

[生]1794.4.15. モーレイラン
[没]1867.12.6. モジャロ
フランスの生理学者。モンペリエ医学校を卒業してパリへ行き,コレージュ・ド・フランスで G.キュビエより資金の援助を受けながら,おもにハトを使って,脳の各部分を切除し,それによって生じる障害を観察 (1814~22) 。大脳半球が高等な精神的,知的活動の座,小脳が運動の,延髄が生命活動,特に呼吸の中枢であることを発見。また,内耳の三半規管が,平衡感覚を司っていることを解明。 1832年パリの博物館の比較解剖学教授,47年にはクロロホルム麻酔の報告も行なっている。 55年にコレージュ・ド・フランスの博物学教授。

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世界大百科事典 第2版の解説

フルーランス【Gustave Flourens】

1838‐71
フランスの生物学者でパリ・コミューン議員。コレージュ・ド・フランスの教授の子として知的な大ブルジョアジーの家庭に生まれ,25歳にしてコレージュ・ド・フランスの博物学の講座を担当したが,無神論的・唯物論的かつ反ボナパルト的講義を行い追放された。情熱的性格の持主で,1863年のポーランドの反乱に参加し,66年にはクレタ島の反乱支援に赴いた。69年帰国しパリの公開集会で激しい帝政攻撃を展開し,ロシュフォールの《ラ・マルセイエーズ》紙の軍事欄を担当した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フルーランス
ふるーらんす
Marie Jean Pierre Flourens
(1794―1867)

フランスの生理学者。モウレイアンの生まれ。1828年科学アカデミー会員に選任され、1830年パリの植物園(国立博物学博物館の前身)の比較解剖学教授となった。1840年アカデミー・フランセーズの会員に選ばれた。1819年の最初の論文以来神経機能の実験的研究を行い、また歩行時の平衡に関しての小脳の意義および三半規管の平衡機能の証明を行った。また「生命点」nud vitalに関する研究(1858)は、その後の呼吸中枢の局在についての研究の基礎となった。すなわち、延髄(えんずい)の閂(かんぬき)のあたりを穿刺(せんし)すると呼吸運動が停止することから、この部位を生命点と名づけたのである。1867年12月6日パリ近くのモングロンで死去した。[中山 沃]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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