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ブキティンギ ブキティンギBukittinggi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブキティンギ
Bukittinggi

インドネシア,スマトラ島中央西部,スマトラバラット州の町。バリサン山脈中のパダン高原の商業中心地の一つ。標高 900mに位置し,マラピ山 (2891m) やマニンジャウ湖に囲まれて,水田やアブラヤシ畑が広がる。ミナンカバウ族の文化を中心とする観光保養地として知られ,熱帯植物園,博物館がある。 1950年代後半に盛んであった反政府運動の,スマトラにおける中心地。人口7万 771 (1980) 。

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デジタル大辞泉の解説

ブキティンギ(Bukittinggi)

インドネシア、スマトラ島中西部の都市。パダンの北約80キロメートル、パダン高原に位置し、周囲にムラピ山、シンガラン山、サゴ山、マニンジャウ湖がある。オランダ統治時代に要塞が築かれ、フォート‐デ‐コック(コック要塞)と呼ばれた。市内には、第二次大戦中に日本軍が築いた防空壕が残っている。世界最大の母系社会として知られるミナンカバウ人が多く居住する。同国の独立運動を指導し、初代副大統領に就任したハッタの生地。ブキッティンギ。

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世界大百科事典 第2版の解説

ブキティンギ【Bukittinggi】

インドネシア,西スマトラ州アガム県の県都。同州第2の都市。人口7万(1980)で,大多数はミナンカバウ族であるが,小規模な中国人街もある。西海岸より90kmほど内陸に入った,標高900m以上の地点に位置する。気候は涼しく,美しい景観に恵まれている。ミナンカバウ文化の伝統的中心地の一つで,かつてはクライ・リマ・ジョロンと呼ばれ,ミナンカバウでも古いナガリ(ムラ)である。パドリ戦争に軍事介入したオランダは,1825年に要塞フォルト・デ・コックFort de Kockをこの地に築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブキティンギ
ぶきてぃんぎ
Bukittinggi

インドネシア、スマトラ島中西部のパダン高原にある都市。パダンの北約80キロメートル、メラピ、シンガラン両火山北麓(ほくろく)の標高900メートルに位置する。人口7万0771(1980)。赤道直下に近いにもかかわらず年平均気温は21℃と気候は快適で、清潔なヨーロッパ風の避暑地である。1825年、オランダはこの地に要塞(ようさい)フォート・デ・コックを築いた。付近はミナンカバウ人居住の中心地で、パダンから鉄道も通じ、スマトラ横断の国道もここを経由している。[別技篤彦]

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