ブディ・ウトモ
ぶでぃうとも
Budi Utomo
インドネシア民族運動での先駆的役割を与えられている団体。「美しい努力」を意味する。ジャワ人苦学生のための奨学金の必要性を各地で説いて回る医師ワヒディンの講演に感動した若き医学生らが、その努力を発展させるため、1908年バタビア(現ジャカルタ)の、現地人のための医師養成校で集会を開いて発足させたもの。推進役の青年たちは貴族(プリヤイ)よりも民衆を重視し、ジャワ中心主義を克服することを目ざしたが、しだいに主導権を握った高年層プリヤイにそれを阻まれた結果、この団体の活動方針は伝統文化の再生などに主眼を置く穏やかなものとなってしまった。このような、植民地政府の意に沿うような保守的傾向は、優れた青年たちをこの団体から離れさせてしまうことになった。
[森 弘之]
『和田久徳・森弘之・鈴木恒之著『東南アジア現代史I』(1977・山川出版社)』
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「ブディ・ウトモ」の意味・わかりやすい解説
ブディ・ウトモ
1908年ジャワの医師ワヒディンが設立したインドネシア最初の民族主義団体。名称はジャワ語で〈最高の英知〉の意。インテリ層が中心で政治的地位向上などをめざしたが,オランダとも協調的だったため,革命運動の急進化に伴い衰退,1935年穏健なパリンドラ党(大インドネシア党の通称)に吸収された。
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ブディ・ウトモ
Budi Utomo
インドネシア最初の民族主義団体。1908年に結成。ジャワ語で「最高の英知」の意。実態はジャワ人下級貴族官吏を中心とし,改良主義的で対オランダ協調主義の民族団体。35年パリンドラ(大インドネシア党)結成に合流して消滅した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ブディ・ウトモ
Budi Utomo
インドネシア最初の民族主義団体。 1908年ジャカルタ在住の学生を中心に結成され,特にジャワ族の民族的自覚と教育,文化の発展に力を注いだが,次第にジャワ人官吏の団体と化して活力を失い,35年に消滅した。
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