1917年のロシア革命で成立したレーニン政権が,18年3月3日にドイツ,オーストリア・ハンガリー二重帝国,ブルガリア,トルコとブレスト・リトフスクで締結した講和条約。ソ連邦の前身であるソビエト国家が初めて結んだ条約であること,交渉においてソビエト側が公開外交,全面民主講和,ヨーロッパの革命,民族自決権などの一連のロシア革命の目的を追求したこと,最終的に中欧4国側の提示する条件での単独講和条約案を受諾することを余儀なくされ,連立政権を構成していた左派エス・エル党の離脱のみならず,ボリシェビキ党内に未曾有の分裂の危機を招いたことなどで特に有名である。この条約に基づいてソビエト側は,クールラントとリトアニアの全部,白ロシアの一部,カルス,アルダハン,バトゥーミについての権利を放棄した。またウクライナについては,中欧4国側がソビエト側に敵対するウクライナ・ラーダを主権政府と認め,2月9日に別個に結んだ講和条約を承認することが取り決められていたので,ソビエト側は事実上ここも放棄する形となった。これによりソビエト側は第1次世界大戦から離脱できたのであるが,他方で三国協商陣営の反発を招き,日本を含む各国との干渉戦争に巻き込まれた。8月に補完条約が結ばれたが,ドイツ革命が勃発したことから11月13日にソビエト側が破棄通告をし,ドイツ側もベルサイユ条約の中で失効を認めたことから,条約は正式に効力を失った。
執筆者:横手 慎二
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…ルーデンドルフは17年7月13日に帝国宰相ベートマン・ホルウェークを辞職に追い込んでからは,統帥部の意向どおりに動くミハエリスGeorg Michaelis(1857‐1936),ついでヘルトリングGeorg Hertling(1843‐1919)を宰相の地位に就けた。ロシア押戻しの計画は18年3月3日に成立した独ソ単独講和を意味するブレスト・リトフスク条約の内容となって実現された。この条約によってソビエトは旧ロシア帝国領であったフィンランド,ポーランド,バルト地方などを失ったほか,ウクライナからも撤兵することを余儀なくされたが,これはドイツとフランスを合わせたよりもなお広い領土で,ドイツ帝国の国防経済上支配すべき東方の広域圏が創設されたことになる。…
※「ブレストリトフスク条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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