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ブレー ブレー bourrée

翻訳|bourrée

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブレー
ブレー
bourrée

舞曲の名称。通常,半拍のアウフタクトをもつ元気のよい2拍子のリズムの舞曲で,スペインのビスケーやフランスオーベルニュブルターニュ地方民俗音楽に由来する。 18世紀の組曲において,ガボットパスピエメヌエットなどと並んで,サラバンドとジグの間に挿入される任意の舞曲の一つ。

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世界大百科事典 第2版の解説

ブレー【Étienne‐Louis Boullée】

1728‐99
ルドゥーとならぶ最も先鋭的なフランス新古典主義の建築家。〈ニュートン記念廟〉などの壮大な空想的建築の計画案や,近代合理主義の先駆をなす建築理論をのこした。1780年ころまではパリの邸宅建築(オテル)を数多く手がけ,王室建築家,アカデミー会員として活躍したが,その後は教育と理論的著作(生前には刊行されず)や空想的計画案の制作に専念。それらの計画案に見る大胆な無装飾の幾何学的形態は,ディドロルソー啓蒙思想家たちの芸術理念やフリーメーソンの思想を具現化したものといえるが,一方その巨大さへの志向は,ナポレオン時代のアンピール様式帝政ロシアあるいはナチスの建築(第三帝国)などにも大きな影響を及ぼした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブレー
ぶれー
tienne-Louis Boulle
(1728―1799)

フランスの建築家。パリ生まれ。本人は画家を志したが、王室建造物鑑定専門審査官である父に強制され建築の道に進む。18歳で国立土木大学(エコール・デ・ポンゼショセ)の講師。終生、教育者としてアカデミズムの世界を舞台に活躍した。そのためJ・N・L・デュランJean Nicolas Louis Durand(1760―1834)など、多くの弟子をもち、建築界に影響を与えた。ブレーは、アレクサンドル邸館(1768)、ブリュノワ邸館(1772)などの実施作はあるものの、実現した建物よりも実現しなかった計画案の重要性により、その名を残した。
 単純な幾何学にもとづいた壮大な建築のドローイングは、建築の原型を求める装飾の少ないデザインで、当時の新古典主義の傾向をよく示している。さらに過激な形態の実験を試み、王立図書館の再建計画(1785)では、4段の書架のある閲覧室に天窓をもつ巨大な半円筒のボールトを架け、無限の知の空間を表象する。円錐状の死者の記念堂(1784)も壮大な建築であり、内部に半球状の大きな空間をもつ。ブレーのデザインではほとんどの装飾がはぎとられ、建築のスケールを示すためにのみ、古典主義的な装飾が部分的に残されている。
 最も著名なニュートン記念堂(1784)は、理性の神として崇(あが)められたニュートンに捧げたプロジェクトであり、直径150メートルの球体が円形の基壇(きだん)に立つ。当時の技術では実現不可能だが、球の完全性によりニュートンの偉大さを表現する。球体の内部には星の形をした無数の穴から光が差しこみ、昼は内部を暗くしプラネタリウムのようになり、発光体も吊るしているため夜は外部に光を放つという反転が起きる。ブレーは光と影の効果を強調していたが、ニュートン記念堂は時間差を導入したという意味でも重要な作品である。
 しばらくブレーの存在は忘れられていたが、1930年代以降、建築史家エミール・カウフマンEmil Kaufmann(1891―1953)の研究によって再評価された。その単純な幾何学的デザインは、モダニズムにつながる新しい造形原理として位置づけられたのである。そしてカウフマンの『三人の革命的建築家――ブレ、ルドゥー、ルクー』Three Evolutionary Architects; Boullee, Ledoux, Lequeu(1952)によって、ブレーはフランス革命期を代表する幻想的な建築家とみなされ、ルイス・カーンなどの現代建築家に影響を与えた。
 ブレーのそのほかの計画案にはパリ・オペラ座(1781)、自然の神殿(1792)など、著書には『建築』Architecture(1790)がある。[五十嵐太郎]
Architecture; Essai sur L'Art (1968, Hermann, Paris) ▽エミール・カウフマン著、白井秀和訳『三人の革命的建築家――ブレ、ルドゥー、ルクー』(1994・中央公論美術出版) ▽Jean-Marie Prouse de Montclos tienne-Louis Boulle (1994, Flammarion, Paris) 』

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世界大百科事典内のブレーの言及

【ズボン】より

…古代オリエントの騎馬遊牧民は,ペルシア人ほどにはメソポタミアやエジプトのオアシス農耕社会の風俗に染まらず,前3世紀ころからはじまるヘレニズム文化の奔流の中にあっても,よく民族服の伝統を維持していたといわれる。一方,前6世紀の末ころから,ゲルマン人に先立って,ドナウ下流や近東に進出し,スキタイ人やペルシア人と接触していたケルト人は,前2世紀にフン族におされて西方へ移動する過程で,ゲルマニアとガリアに長ズボン(フランス語のブレーbraies)をはく風習を広めた。4世紀末以来ゲルマン民族移動の時代になると,今度はゴート人がサルマート人の乗馬術とズボンを西ヨーロッパにもちこんだ。…

【服装】より

…カフタンは15世紀以前にはわずかにコンスタンティノープルに伝わっただけで,ヨーロッパには伝わらなかった。これに反し,ズボンは早くもローマ征服以前のガリアに〈ブレーbraie〉の名のもとに広まり,民族移動期のゲルマン人もズボンを着用していた。ケルト人やゲルマン人の寒冷な風土の中の半ば遊牧的な生活が,ズボンをはく風習をつくり出したのである。…

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