舞踊および舞曲の一種。本来フランスのいなかの踊りであったが,1660年代のルイ14世宮廷に取り上げられて以来,古いクーラントやパバーヌに取って代わって全ヨーロッパ的に流行し,舞踏と舞踏音楽に新時代をひらいた。メヌエットは,1組の男女が洗練された作法,優雅なステップで,君主や貴賓の臨席する長方形の大広間を太陽王を象徴するS字またはZ字形に進む,きわめて悠長な貴族的社交ダンス風の舞踏である。メヌエットの音楽も3/4拍子の中庸の速度の典型的なバロック舞踏音楽である。18世紀中葉以降,市民社会の興隆,産業革命の進展などにより,人々の生活感覚が大きく変化した後も,メヌエットだけは生き残り,前古典派,古典派音楽に受け継がれた。しかし舞踏音楽本来の性格はうすれ,〈メヌエット-トリオ(中間部)-メヌエット〉の3部分形式の1楽章としてソナタや交響曲に組み込まれ,曲想も軽快,機智的なものに変化した。そしてベートーベンにおいてスケルツォへと発展解消した。
執筆者:谷村 晃
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音楽用語。西洋音楽における舞曲の一つのタイプで、本来は踊りの音楽であったが、のち踊りを伴わない自律した音楽となる。この語の綴(つづ)りは数十種もあり、前記のものはその代表的なものにすぎない。三拍子の優雅な舞曲で、しばしば二つのメヌエットが組み合わされており、最後にもう一度、最初のメヌエットが繰り返されるという型が一般的であった。17世紀中ごろ、フランスのルイ14世の宮廷でもてはやされ始め、18世紀を通じてヨーロッパ各地の宮廷で好まれた。それと同時に、18世紀中ごろから、多楽章の純器楽作品のなかに一つの楽章として組み入れられるようになって、この種のメヌエットは舞踊とは切り離された。そして第二メヌエットは、その編成上の特徴からトリオとよばれることが一般化し、ここにメヌエット―トリオ―メヌエットという器楽形式が成立した。このような楽章としてのメヌエットは、いわゆる「ソナタ多楽章構成」の一部となって、ディベルティメント、ソナタ、三重奏曲や四重奏曲などの室内楽、また交響曲にも広く用いられた。19世紀に入ると、メヌエット楽章はしばしば、よりテンポの速いスケルツォ楽章にとってかわられた。
[大崎滋生]
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…ヨーロッパの例としては,16~18世紀の宮廷舞踊(音楽)がある。今日,その代表とみなされているパスピエpassepied(3/8,6/8拍子の速い陽気な舞曲),メヌエット,リゴードンrigaudon(2/4,4/4拍子の快活な舞曲)はもとはそれぞれブルターニュ,ポアトゥー,プロバンス各地方の民俗的な舞踊であった。日本の例としては,遊女から習った今様(いまよう)を廷臣に教えた後白河法皇の行為が挙げられる。…
…また中世のヨーロッパでは,農民の踊る荒々しい踊りは身分の高い男女にはふさわしくないとされた。宮廷では,ゆったりとした音楽による,踊りの規則のやかましいものへと変化して,優雅なメヌエット,ガボット,カドリーユなどが生まれた。フランス革命後,宮廷での儀式的なものより庶民的な踊りが好まれるようになり,古くからオーストリアの山岳地方で行われていた舞踊レントラーLändlerがしだいにワルツに発展,ウィーンを中心にヨーロッパ全域へと爆発的な流行をもたらした。…
…17世紀に入ると,性格の異なる舞曲を連ねて組形式とする前世紀からの習慣が発展し,新たに組曲が誕生した。その際,上記の舞曲に代わって緩やかな偶数拍子系のアルマンド,速い3拍子で軽快なテンポのクーラント,サラバンド,ジーグ,さらにはブーレ,ガボット,メヌエットといった宮廷舞曲が組み合わせられた。J.S.バッハの《フランス組曲》や《管弦楽組曲》がその好例である。…
※「メヌエット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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