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プトレマイオス プトレマイオス Ptolemaios, Klaudios

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プトレマイオス
プトレマイオス
Ptolemaios, Klaudios

[生]100頃
[没]170頃
2世紀頃活躍したギリシア天文学者,数学者,地理学者。英語ではトレミー Ptolemyという。アレクサンドリアで天文観測を行なった。生地はプトレメイス・ヘルミイといわれる。彼以前の天文学研究の集大成アルマゲスト』を著し,地球中心の宇宙体系と,離心円,周転円の組み合わせで諸惑星の運動を説明する精密な天文学理論を完成させた。

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デジタル大辞泉の解説

プトレマイオス(Klaudios Ptolemaios)

2世紀ごろのギリシャの天文・地理学者。天文学書「アルマゲスト」を著し、天動説を完成。また緯度・経度を用いた地図を作り、数学・音楽などの研究も行った。英語名トレミー。生没年未詳。

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世界大百科事典 第2版の解説

プトレマイオス【Ptolemaios Klaudios】

2世紀ころ
アレクサンドリアで活躍した数学者,天文・占星学者,地理学者。ラテン名Ptolemaeus Claudius。英語読みのトレミーPtolemyとしても知られる。127‐141年にアレクサンドリアで天体観測をしていたという事実以外に,個人的情報はほとんど知られない。その主著《アルマゲスト》は地球中心体系に基づくもっとも精緻(せいち)な天文理論として,コペルニクス時代まで,古代,ビザンティン,イスラム,中世ヨーロッパの天文学の中心となったが,このほか,天文書としては,《アルマゲスト》のなかの計算用の数表だけをまとめた《簡易数表》,大部な《アルマゲスト》の縮冊版ともいうべき《惑星仮説》,あるいは占星術的内容をもった《テトラビブロス》(原題は〈占星術上の意味付け〉を意味するアポテレスマティカだが,4巻からなるので,テトラビブロス=四書と通称される)などのほか,地理学書としての《地理学入門》や音楽学・音響学書といえる《ハルモニア論》,純粋の数学書(例えば《ストイケイア論》)や光学(視覚学)に関する著作などがあったといわれる。

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大辞林 第三版の解説

プトレマイオス【Ptolemaios Klaudios】

二世紀頃のギリシャの天文学者・地理学者・音楽理論家。ヒッパルコスの研究成果を集大成し、のち「アルマゲスト」として知られる「天文学大系」を著した。また、緯度・経度をしるした世界地図を作成し、「音階論」も残す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プトレマイオス
ぷとれまいおす
Klaudios Ptolemaios

2世紀前半に活躍したギリシアの天文学者。天動説の完成者。英語ではトレミーPtolemyとよぶ。伝記も残らず生没年は不詳。彼の名は、著書『数学大集成』(アルマゲスト)をはじめとする業績によって知られている。『アルマゲスト』は、ルネサンスまで、西洋の宇宙観を支配したが、そこに構想された宇宙像は、周転円説といわれる構造体系であって、ピタゴラス等速円運動と、エウドクソスの離心円と、アポロニオスの周円転とを合成したものであった。
 プトレマイオスはもっぱら惑星現象における位置と光度との変化を幾何学的に説明することを試みた。その思考方法も観測資料も、紀元前2世紀にロードス島で活躍した天文学者ヒッパルコスの業績を受け継ぎ、取り入れたといわれるが、独自に三角法の計算表を作成したり、四分儀をはじめとする観測器械を考案したり、月の運行の不等速や光の屈折や大気差などの観測、発見も行っている。
 このほかにプトレマイオスには『地理学』と『テトラビブリオス』(四元の書)なる著述がある。前者には緯度・経度を付した円錐(えんすい)投影図法の地図が描かれ、後世、コロンブスの航海に用いられた。また後者は占星術の原典として中世を経て、今日に至るまでその分野では使用されるという。なお、彼の自然に対する哲学思想は諸先達の折衷学派に属する。[島村福太郎]

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世界大百科事典内のプトレマイオスの言及

【宇宙】より

…アウグスティヌスの例のように,プラトンや新プラトン主義的宇宙観を身近に感じつつ,しかも,そこに含まれる魔術的・占星術的要素を忌避して留保を付するというのが,キリスト教の側のとった基本的態度であったといってよい。 一方,宇宙内で生起する現象,とくに天体現象に関しては,アレクサンドリア学派,とくに2世紀のプトレマイオスが《アルマゲスト》の中で展開したモデルによって,間然するところなく説明されることになった。彼は,前3世紀サモスのアリスタルコスの唱えた太陽中心的なモデルも十分検討したうえで,なお,地球中心的モデルを採用したが,それは天文学上の理由というよりは運動学的理由であったといってよい。…

【ギリシア科学】より

…このことはテオフラストスを継いだリュケイオンの学頭ストラトンが,ついにアレクサンドリアに移ったことによっても象徴されている。ここではプトレマイオス朝の君主が学術研究の殿堂ムセイオンを建て,あらゆる研究施設(図書館,天文台,実験室,解剖室など)を整えて科学研究を熱心に奨励した。そこで科学は制度化,専門化され,アテナイ期の哲学的議論を超え出た高度に技術的かつ精密な科学が発達した。…

【月食】より

…もっとも古い記録は前2283年のメソポタミアにさかのぼることができ,前8世紀の初めころからはメソポタミアや地中海沿岸のほかにヨーロッパのものも加わってくる。これらの古記録を月の運動理論の改良に用いた最初の研究者はプトレマイオスであるが,同じ資料は現代に至るまで繰り返し用いられている。また,月食は日食と同じく凶兆とされたため,これらの記録は歴史的な事件,とくに戦争などと密接に関係づけて述べられていることが多いので,天文年代学の貴重な資料でもある。…

【コスモス】より

…その後アリストテレスは同心天球説に依拠しながら,階層構造的に秩序づけられたコスモスとしての宇宙論を完成させた。そしてアリストテレスの宇宙論は,古代末期にプトレマイオスの練りあげた離心円・周転円の天文学によって部分的に修正を受けながらも,その後2000年近くもの間,ローマ,アラビア,ヨーロッパへと受け継がれながら,つねに支配的な地位を確保することになる。これが解体を始める契機となったのは,16世紀中葉にコペルニクスの提唱した地動説であるが,世界像が価値的な観点から完全に脱却するには,デカルトの出現を待たねばならなかった。…

【コモリン[岬]】より

…北緯8゜5′,東経77゜36′に位置する。古くは,プトレマイオスの地図にコマリア・アクロンKomaria Akronと記載され,マルコ・ポーロもコマリComariと呼んだ。独立後は,岬の先端に建つ処女神クマリを祀る寺院の名にちなんで,カニヤー・クマリKanyā Kumariと呼ぶ。…

【サラセン】より

…古くは,ギリシア人やローマ人が,シリアやアラビア半島のアラブをさして呼んだギリシア語のサラケノイSarakēnoi,ラテン語のサラケニSaraceniなどの語に由来するが,その語源はアラビア語のシャルクsharq(〈東〉の意),サフラーṣaḥrā’(〈砂漠〉の意)など諸説があり,定説はない。2世紀のプトレマイオスはその地理書で,サラセンの語を用いてアラブに言及している。7世紀にアラブ・イスラム軍がビザンティン帝国を破り,西アジアから北アフリカ,イベリア半島までの地域を支配するようになると,サラセンは,イスラム教徒をさす呼称として用いられるようになり,同地域を支配したウマイヤ朝やアッバース朝は,しばしば〈サラセン帝国〉と呼ばれた。…

【数学】より

…当時のギリシアの価値観には,そうした傾向があったのである。 ギリシアには後にも円錐曲線を扱ったペルゲのアポロニオス,正弦の表をつくり惑星の運動を記述したプトレマイオス,記号代数を用い始め,数論の問題を扱ったディオファントスなどの数学者があり,それぞれ後世に影響を及ぼしている。
[代数学の起源――アラビアの数学]
 前1世紀に帝政ローマが成立し,ギリシア文化圏も政治的にはその制圧下におかれた。…

【星座】より

…ここにはプレヤデスを単独星座にした黄道13星座,北天19星座,南天15星座が記録されている。さらに下って2世紀に活躍した天文学者プトレマイオスはその著作《アルマゲスト》の第7,第8の2巻を星表とし,ここに48星座を記録している。またローマの詩人オウィディウスは叙事詩《転身物語》でギリシア神話の神々や英雄の物語を述べているが,今日語りつがれている星座の神話はこの著作に負うところが多い。…

【地図】より

…地図に経緯線を記入した最初の人はアレクサンドリアのエラトステネス(前3世紀)とされており,著名な地点のみを通る直線の経緯線が不等間隔に引かれていたという。地図学の水準を今日と大差ないまでに引き上げたのは,後2世紀のアレクサンドリアの天文学者プトレマイオスで,正距円錐図法とプトレマイオス第2図法を考案し,約8000地点に及ぶ世界各地の経緯度数値を資料として世界図を描いた。図形の特徴としては,東方に延びるアフリカがアジア東南部と接続していること,インド半島がなく,赤道にまたがる大きな島タプロバネ(セイロン島)があることなどである。…

【敦煌】より

…敦煌が中国より西域に通ずる門戸であるという体制は,このように前漢時代にすでに整い,以後その役割をつとめつづけ,西方の世界にもシルクロード上にある都市の名として敦煌の名が伝えられた。漢民族以外の人々による敦煌に関する記録として最も古いのは,2世紀のアレクサンドリアの学者プトレマイオスの《地理書》で,その第16章にセリカの都市として挙げたThroanaが敦煌のことであるとみなされている。 敦煌は,何といっても河西通廊の最西端にあり,中原から遠く離れているので,中央政府が弱体化すると,しばしば独立ないし半独立し,ときには近傍のオアシス都市と連合して小国家をつくった。…

【ナイル[川]】より

…後1世紀のギリシアの船乗りディオゲネスは,東アフリカ海岸から内陸部にはいり,ナイル川の水源が二つの湖であるとの情報をもたらした最初の人である。2世紀のアレクサンドリアの地理学者プトレマイオスはナイル水系図に二つの大湖を描いた。中世には,ナイル川,ニジェール川,コンゴ川,チャド湖は同一水系に属するものとみなされていた。…

【ビトルージー】より

…生涯についてはまったくわからない。西方イスラム世界で展開されていたプトレマイオス批判を受け継ぎ,独自の理論を提唱した。これはプトレマオスが用いた黄道面付近での離心円や周転円を排し,地球を中心とする天球の球面上でのみ,天体の運動を説明しようとするものであった。…

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