ヘップバーン(英語表記)Hepburn, Katharine

デジタル大辞泉 「ヘップバーン」の意味・読み・例文・類語

ヘップバーン(Katharine Hepburn)

[1907~2003]米国映画女優。アカデミー主演女優賞を4度獲得。出演作「旅情」「冬のライオン」「黄昏たそがれ」など。

ヘップバーン(Audrey Hepburn)

[1929~1993]米国の映画女優。ベルギー生まれ。「ローマ休日」で世界的な人気スターとなった。ほかに「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ヘップバーン」の意味・読み・例文・類語

ヘップバーン

[一] (Audrey Hepburn オードリー━) アメリカの女優。ベルギーの生まれ。舞台、映画で活躍。映画「ローマの休日」で、アカデミー主演女優賞を受賞。主演作品に「麗しのサブリナ」「昼下り情事」など。(一九二九‐九三
[二] (Katharine Hepburn キャサリン━) アメリカの女優。映画、舞台で活躍。アカデミー主演女優賞を四回受賞。主演作品に「アフリカの女王」「旅情」「黄昏」など。(一九〇七‐二〇〇三

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘップバーン」の意味・わかりやすい解説

ヘップバーン
Hepburn, Katharine

[生]1907.5.12. コネティカット,ハートフォード
[没]2003.6.29. コネティカット,オールドセイブルック
アメリカ合衆国の舞台・映画女優。フルネーム Katharine Houghton Hepburn。著名な外科医の父と,女性参政権と育児制限の活動家の母との間に生まれ,10代の頃より演劇に興味をもつ。ブリンマー・カレッジ卒業後ブロードウェーで舞台に立ち,1932年の The Warrior's Husbandで成功を収めた。これがきっかけとなって『愛の嗚咽』A Bill of Divorcement(1932)で映画に進出,1933年第3作目の映画『勝利の朝』Morning Gloryで最初のアカデミー賞主演女優賞を獲得した。生来飾り気なく,遠慮なくものを言う性格で,銀幕の内外において,当時の華やかで優雅なハリウッドの女優とはひと味違った女優だったが,卓抜な演技力もあって個性派として広く認められた。公私にわたって親しかったスペンサー・トレーシーと,2度目のアカデミー賞主演女優賞を獲得した『招かれざる客』Guess Who's Coming to Dinner(1967)をはじめ多くの映画で共演した。ほかに代表作として『アフリカの女王』The African Queen(1951),『旅情』Summertime(1955),Long Day's Journey into Night(1962),『冬のライオン』The Lion in Winter(1968,アカデミー賞主演女優賞),『黄昏』On Golden Pond(1981,アカデミー賞主演女優賞)などがある。

ヘップバーン
Hepburn, Audrey

[生]1929.5.4. ベルギー,ブリュッセル
[没]1993.1.20. スイス,ローザンヌ
アメリカの映画女優。アイルランド系イギリス人貿易商の父とオランダ貴族の母の子として生れる。両親の離婚でオランダに移り,バレエを学びながら,対独レジスタンス運動に参加する。 1948年より舞台や映画に出演しはじめ,51年フランスの女流作家コレットに見出され『ジジ』のブロードウェー公演に主演。これをみた映画監督 W.ワイラーに『ローマの休日』 (1953) の主役に抜擢され,映画女優としてデビュー,アカデミー主演女優賞を受賞した。 54年に男優のメル・ファーラーと結婚,68年に離婚。翌年,イタリア人医師と再婚したが,80年に再び離婚した。晩年国連児童基金 (ユニセフ) の親善大使として活躍した。おもな作品に『麗しのサブリナ』 (54) ,『戦争と平和』 (56) ,『尼僧物語』 (59) ,『ティファニーで朝食を』 (61) ,『シャレード』 (63) ,『マイ・フェア・レディ』 (64) ,『おしゃれ泥棒』 (66) ,『暗くなるまで待って』 (67) 『華麗なる相続人』 (79) ,『オールウェイズ』 (89) などがある。

ヘップバーン
Hepburn, Mitchell Frederick

[生]1896.8.12. オンタリオ,セントトマス
[没]1953.1.5. オンタリオ,セントトマス
カナダの政治家。オンタリオ州首相 (在任 1934~42) 。第1次世界大戦参戦を経て,自由党員として 1926年連邦下院議員に当選。 30年オンタリオ州の自由党党首となり,34年の州議会選挙で大勝を得,首相に就任。連邦政治も自由党が優勢を保っていた時期であったが,ヘップバーンは「オンタリオの権利」をより多く奪取しようと,連邦政府との戦いを展開し,W.エイバーハートや M.デュプレシとともに,30年代のカナダの州権主義展開の主導者であった。 45年議席を失って農場に引退。

ヘップバーン

ヘボン」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android