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ベオグラード Beograd

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベオグラード
Beograd

セルビアの首都。英語ではベルグレード Belgrade。セルビア北部,ボイボディナ自治州との境界に近く,ドナウ川サバ川合流点に位置する。古代からの重要な道路である,ウィーンから黒海に続くドナウ川沿いの道,サバ河谷を経てトリエステ,北イタリアへ通じる道,モラバ川-バルダル川の峡谷を経てエーゲ海にいたる道の三つが交わり,またボイボディナの穀倉地帯を含むパンノニア平原を見渡す軍事上,産業上の要地でもあるため,紀元前から多くの民族と国が領有権を争ってきた。ケルト,ローマ,フン,ゴート,ビザンチン,ギリシア,ブルガリア,ハンガリー,オスマン帝国,ハプスブルク帝国など,めまぐるしく支配者が入れ替わったのち,1867年にセルビア領として安定した発展を始めた。 1918年以後はセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国 (1929ユーゴスラビア王国と改称) ,1945~63年ユーゴスラビア連邦人民共和国,1963~92年ユーゴスラビア社会主義連邦共和国,1992~2003年ユーゴスラビア連邦共和国 (新ユーゴスラビア) ,2003~06年セルビア・モンテグロの首都。市街はドナウ川,サバ川の合流点を基点として南-南東へ扇状に広がり,連邦議会議事堂,ベオグラード大学 (1863創立) をはじめとする各種の行政機関,文教施設がある。カレメグダン要塞,セルビア正教会聖堂など歴史的建造物もあるが,2度の世界大戦などにより,オスマン帝国時代の名残りはほとんど失われている。商工業が盛んで,特に第2次世界大戦後の工業の発達はめざましい。機械,電機,化学,繊維,建築資材などの工業が発達し,商業では貿易面で特に重要な位置を占める。人口 163万9505(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

ベオグラード

セルビアの首都。英語ではベルグラードBelgrade。町の名は〈美しい町〉の意。同国北部,ドナウ川とサバ川の合流点に近い。政治・経済の中心地で,工業都市でもある。

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世界大百科事典 第2版の解説

ベオグラード【Beograd】

ユーゴスラビア連邦共和国の首都。また同国を構成するセルビア共和国の主都でもある。人口116万8000(1991)。英語ではベルグラードBelgradeという。サバ川がドナウ川と合流し,ルドニック山地がドナウ川流域に接する地点にある。大陸性気候で,年平均気温は11.2℃,年降水量は650~700mm,冬にはコシャバという北東風が吹く。 交通あるいは戦略の要衝として古くから争奪が繰り返された。まずケルト人が前4世紀ごろ,両川に臨む高台,現在のカレメグダン公園の地に,シンギドゥヌムSingidunum城塞を造る。

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大辞林 第三版の解説

ベオグラード【Beograd】

セルビア共和国の首都。ドナウ川とサーバ川との合流点に位置し、水陸交通の要地。機械・化学・食品などの工業が発達。ベルグラード。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ベオグラード
べおぐらーど
Beograd

セルビア共和国の首都。英語名ベルグラードBelgrade。セルビア語で「白い町」の意。サバ川がドナウ川に合流する三角地帯の標高約120メートル付近に位置する。人口157万6124(2002)。旧市街の南に新しい工業地区ジェレズニクeleznikがあり、またバニツァBanjicaとその周辺には近代的な住宅地が広がる。北西には、かつてドイツ人が多く住んでいたゼムンZemunがある。第二次世界大戦後サバ川左岸にノビ・ベオグラードNovi Beograd(「新ベオグラード」の意)が建設され、一部の連邦政府省庁と近代的なアパート群ができた。旧市街には連邦政府、共和国の行政庁があり、セルビア正教会の総主教座が置かれている。
 陸と川の交通の要所であり、サバ川、ドナウ川で運ばれる貨物は年間100万トン以上にのぼる。オリエント急行時代の駅やスルチンの国際空港で国内外と結ばれている。市は商工業の中心地で、150を超える企業があり、機械・器具、トラック・トラクター、ベアリング、電気器具、製糸の各工場があり、織物、食品、皮革、化学、薬品などの産業が発達している。古来バルカンの中枢としてつねに争奪の的だっただけに、町は幾度も破壊され古いものはあまり残っていない。現存する歴史的建造物はバイラクリ・モスク(17世紀末)、ドシテイのリセ(18世紀末)を除き、総主教座のあるセルビア正教会本寺であるセルビア大聖堂(1837)、国立博物館(1844)、リュビツァ公女邸(1831)、国立劇場(1863)、大学や科学・芸術アカデミーなどすべて19世紀の建物である。だがシンギドゥヌムSingidunum城塞(じょうさい)跡のカレメグダンKalemegdan公園から眺めるドナウ、サバ両大河の流れとノビ・ベオグラード(おもに住宅地)の高層ビル、パンノニア平原の広がり、聖サバ教会、聖マルコ教会、国内に散在する中世の宗教絵画コピーを展示するフレスコ画廊、郊外のアバラAvala丘上に立つメシュトロビッチMetrovic作無名戦士の墓など、見るべきものは多い。ほかに、連邦議事堂、ショッピング街のテラジエ、ベオグラード動物園、10万人収容のサッカー競技場マラカナ・スタジアムなどがある。日本大使館はノビ・ベオグラードにある。なお、コソボ問題をめぐって1999年3月から始まったNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)軍の空爆により、中国大使館など、市内にも被害が生じた。[田村 律]

歴史

交通の要所で軍事的にも重要な地点であるため、古来さまざまな民族が往来し、紀元前4~3世紀にケルト人がシンギドゥヌム城塞を築いたのが町の始まりである。5~6世紀には、フン人、ゴート人、アバール人などが支配したのち、スラブ人がやってきた。878年の記録に、初めてビェルグラードBjelgrad(白い町)という名が散見される。12~13世紀には、ビザンティン帝国、ハンガリー王国、ブルガリア王国がベオグラードの支配権を争った。その後セルビアが支配することになるが、1521年以後、オスマン帝国(トルコ)の領土に組み込まれ、途中三度オーストリア人が支配した短期間を除き、19世紀初頭まで占拠され続けた。1804年から13年まで第一次セルビア蜂起(ほうき)時代、30年から78年までは公国、1878年からは王国、1918年からはユーゴスラビア王国(正式名称は1929年)、1945年からはユーゴスラビア社会主義連邦共和国(正式名称は1963年、旧ユーゴスラビア)の首都。1992年からはモンテネグロとセルビア両共和国からなるユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴスラビア)の、2003~06年にはセルビア・モンテネグロの首都でもあった。[田村 律]

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