ドイツの化学技術者。化学工場主の息子に生まれ、ライプツィヒで学ぶ。ネルンストやハーバーらの助手をつとめたのち、1909年にハノーバー工業大学講師となる。石炭や石油の生成条件を研究し、1913年に水素添加による石炭液化法の特許を取得した。1914年よりゴルトシュミット社の研究所長として石炭液化法の工業化に努力、第一次世界大戦により石油輸入の途絶したドイツの条件のもとで18の工場を建設した。大戦終結後しばらくは石炭液化法は行われず、1925年に石炭液化法の特許をIG染料(イー・ゲー・ファルベン)会社に譲渡。酸による木材の加水分解を研究、濃塩酸による完全分解法を発展させた。1931年に、高圧化学工業の発展に寄与した功績により、ボッシュとともにノーベル化学賞を受賞。第二次世界大戦後はドイツを去り、スペインに居住、1947年にアルゼンチン政府の科学アドバイザーとなり、ブエノス・アイレスで死去した。
[加藤邦興]
ドイツの化学者。ブレスラウに近いゴールトシュミーデンの生れ。父が化学工場主であったため,化学工業に興味をもつようになった。ブレスラウ,ライプチヒ,ベルリンの各大学,およびカールスルーエ工業大学のF.ハーバーに学ぶうちに高圧反応に深い関心をもち,ハノーファーに私設研究所を創立して,石炭の高圧水素添加の研究を独力で始めた。1913年石炭への水素添加により液体燃料〈人造石油〉を得るのに成功し,ベルギウス法としてイーゲー・ファルベン社により工業化された。さらに木材を酸で処理しセルロースを加水分解して糖にする〈木材糖化〉の可能性を示した。31年これらの高圧触媒反応の功績により,C.ボッシュとともにノーベル化学賞を授与された。彼の研究により,第2次世界大戦中,ドイツの食糧問題,エネルギー問題はおおいに助けられた。45年スペイン,47年アルゼンチン政府の技術顧問となり,ブエノス・アイレスで客死した。
執筆者:矢木 哲雄
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ドイツの工業化学者.ブレスラウ大学,ライプチヒ大学に学び,1907年に後者で学位を取得.H.W. Nernst(ネルンスト)やF. Haber(ハーバー)らの助手を経て,1909年ハノーバー工科大学の講師資格を取得.以後,私的研究室を設けて研究し,1913年に高温・高圧下での水素添加による石炭液化法の最初の特許を取得した.1914年Th. Goldschmidt社の研究所所長となり,工業化を研究(第一次世界大戦中ドイツで実施).1925年関連特許をBASF社に売却し,木材セルロースの加水分解・糖化の研究に転じて工業化に貢献した.化学的高圧法の発明と開発への貢献により,1931年C. Bosch(ボッシュ)とともにノーベル化学賞を受賞.第二次世界大戦後マドリッドに移って会社を設立.1947年アルゼンチン政府の科学顧問になり,ブエノス・アイレスで死去.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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