ペダーセン(読み)ぺだーせん(英語表記)Charles John Pedersen

デジタル大辞泉 「ペダーセン」の意味・読み・例文・類語

ペダーセン(Charles John Pedersen)

[1904~1989]米国の化学者。母は日本人デュポン社研究所研究員。1967年にクラウンエーテルを発見し、その性質を研究した。1987年ノーベル化学賞受賞

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペダーセン」の意味・わかりやすい解説

ペダーセン
ぺだーせん
Charles John Pedersen
(1904―1989)

アメリカの化学者。韓国の釜山(プサン)で、ノルウェー人の父と日本人の母との間に生まれる。少年時代を長崎、横浜で過ごし、1922年に渡米、デイトン大学で化学工学を学び、ついでマサチューセッツ工科大学MIT)で修士号を取得した。1927年にデュポン社に入社し、化学研究員として1969年まで勤務した。なお、1953年にアメリカの市民権を獲得している。

 ペダーセンは、石油化学合成ゴムなどの研究を行っていたが、1960年代なかばに有機化合物合成の実験中に、副生物として未知の白い結晶ができているのを発見した。彼はこの結晶に興味をもち、さらに詳しく調査した結果、それが環状ポリエーテルで、ジベンゾ18-クラウン-6であることがわかり、このような構造の物質をクラウンエーテルと名づけた。その後もクラウンエーテルの研究を続け、クラウンエーテルには特定の化合物やイオンを選択的に取り込む性質があることをつきとめた。ペダーセンは、1987年に「高い選択性のある構造特異的な相互作用をおこす分子の開発と利用」の研究に貢献したとしてノーベル化学賞を受賞した。クラウンエーテルの詳しい研究を行ったクラムレーンとの共同受賞であった。

[編集部]

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化学辞典 第2版 「ペダーセン」の解説

ペダーセン
ペダーセン
Pedersen, Charles John

韓国の釜山生まれのアメリカの化学者.父はノルウェー人,母は日本人.韓国から日本へ渡り,横浜のSt. Joseph Collegeなどで教育を受け,1920年代はじめに渡米.デイトン大学で化学工学を,マサチューセッツ工科大学では有機化学を学んだが,博士課程には進学せず,1927年デュポン(DuPont)社に入社.1969年に同社を退職するまで研究者として過ごした.金属不活性化剤,遷移金属の触媒能における配位子の影響,石油製品の酸化劣化,光化学(フタロシアニン,その他)などの研究を行った.1960年代から酸化バナジウムVOの触媒能における配位子に関する研究を開始し,1967年この研究中にクラウンエーテル(18-クラウン-6)を発見した.1969年にデュポン社を退職.クラウンエーテルの発見により,1987年D.J. Cram(クラム)およびJ.-M. Lehn(レーン)とともにノーベル化学賞を受賞した.

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペダーセン」の意味・わかりやすい解説

ペダーセン
Pedersen, Charles John

[生]1904.10.3. 釜山
[没]1989.10.26. ニュージャージー,セーレム
アメリカの化学者。父はノルウェー人,母は韓国人。 1920年代初めに渡米,デイトン大学を経てマサチューセッツ工科大学で博士号を取得。 1927年デュポン社に入社し,42年間にわたって研究畑を歩いた。 60年代,酸素原子が規則的に並んだ弾力性のある環状物質を合成。「クラウンエーテル」と名づけたこの物質が,生体内の酵素などと同様に反応に強い選択性をもつことを確認,人工的な酵素や抗癌剤の開発など,機能化学物質の合成の分野に新たな道を開いた。 D.J.クラム,J.M.レーンとともに 87年ノーベル化学賞を受賞。

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