ペルセポリス(英語表記)Persepolis

精選版 日本国語大辞典 「ペルセポリス」の意味・読み・例文・類語

ペルセポリス

(Persepolis) アケメネス朝ペルシア一時期の首都。ダレイオス一世(在位前五二二‐前四八六)が、現在のイラン南西部のシーラーズ市北東約七〇キロメートルにあるクーフイ‐ラフマトの西斜面に創建。紀元前三三〇年アレキサンダー大王のペルシア遠征の際に焼失。二〇世紀にはいり遺跡が発掘された。

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デジタル大辞泉 「ペルセポリス」の意味・読み・例文・類語

ペルセポリス(Persepolis)

ペルシアのダレイオス1世の建設したアケメネス朝の首都。紀元前330年、アレクサンドロス大王によって破壊された。現在のイラン南西部の都市シーラーズの近郊に遺跡が残る。1979年、世界遺産文化遺産)に登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ペルセポリス」の意味・わかりやすい解説

ペルセポリス
Persepolis

ペルシア帝国の都。ペルセポリスはギリシア人の呼称で,古代ペルシア語名はパールサPārsa。遺跡は現在タフテ・ジャムシードTakht-e Jamshīd(〈ジャムシードの玉座〉の意)と呼ばれている。イラン南部シーラーズの北東約60kmにある。ダレイオス1世,クセルクセス1世の2代にわたって造営された。クーヘ・ラフマトKūh-e Rahmat(〈慈悲の山〉の意)西斜面の自然の岩盤に,一部,切石積みを施して,西側面455m,南側面290mのほぼ平行四辺形をなした大基壇が造成され,その上に謁見殿(アパダーナ),ダレイオス宮殿,クセルクセス宮殿,中央殿,百柱殿,後宮(ハレム),宝蔵などが建てられた。この建設工事にはイオニアリュディア,シリア,エジプトアッシリアバビロニアのほか,バクトリア,ソグドなど,帝国各地から多くの工人,労働者が動員された。後述のエラム語文書には,約20の民族名が証される。

 ペルセポリスの建築,彫刻,工芸,装飾には古代芸術の諸要素が認められるが,それは単なる折衷ではなく,世界支配者ダレイオスの統一的な意志のもとに総合された新しい様式の創出を示している。大基壇北西部の大階段(高さ11.7m)を上ると,クセルクセスが完成した門があり,それは〈万国の門〉と名づけられた。また,謁見殿は帝国支配にとって最も重要な行事である新年祭の儀式が執行される場所であり,その階段側壁には,新年祭に参賀した,中央アジアやインダス地方からエジプト,エチオピアにいたる,23の主要臣属民族の朝貢行列図が浮彫されている。

 ペルセポリスが世界帝国の都を意図して建設されたことは明らかである。しかし,実際にはスーサが行政の首都として利用されたので,アケメネス朝後期には王がペルセポリスを訪れることはまれになり,わずかにアルタクセルクセス3世の建築活動が知られているにすぎない。前331年末,侵入してきたアレクサンドロス大王の軍は,ここでスーサの3倍に達する額の財宝を得たという。翌年春,マケドニア・ギリシア軍の報復の放火によって廃墟と化した。

 巨大な柱を残した遺跡は,イスラム時代の史料に〈千の柱〉とか〈四十の尖塔〉などの名で言及されている。17世紀以降,ヨーロッパの旅行者が訪れるようになり,そこで写し取られた碑文が,グローテフェントの楔形文字解読の手がかりとなった。1931-39年,シカゴ大学オリエント研究所は,ペルセポリスとナクシ・ルスタムなど周辺地域の発掘調査を行い,その成果を大冊3巻(1953-70)にまとめて報告している。その際,宝蔵と城砦施設から出土した多数のエラム語粘土板文書も,同研究所から刊行されている。アメリカ隊の後,イラン考古局による発掘調査が続けられ,1964年からはイタリア中・極東研究所が遺跡の修復保存作業にあたった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペルセポリス」の意味・わかりやすい解説

ペルセポリス
Persepolis

イラン南西部シーラーズの北東約 70kmにあったアケメネス朝ペルシアの都市。前 518年ダレイオス1世が建設に着工し,キュロス2世が埋葬されているパサルガダエに代えて,アケメネス朝ペルシアの首都とした。以来数代にわたり国王によって造営されたが,場所が遠方の山岳地で宮廷としては不便なため,春季にのみ使用され,行政はスーサ,バビロンエクバタナで行なわれていた。ギリシア人もアレクサンドロス3世 (大王)の遠征までペルセポリスは知らなかった。 1931~34年シカゴ大学オリエント研究所の E.ヘルツフェルト,1935~39年 E.シュミットによって遺跡の本格的な発掘が行なわれた。建物全体が石の大テラスの上に建設され,宮殿,アパダーナ (謁見の間) ,ハレム,宝庫,百柱殿など壮大な規模をもつ。エジプト,バビロニア,イオニアなどの建築様式も取り入れられ,ペルシア帝国の首都たるにふさわしい規模を有していたことがうかがわれる。前 330年アレクサンドロス3世によって宮殿は焼かれたが,町はその後もしばらく繁栄した。前 316年にはマケドニア帝国の州都となったが,セレウコス朝時代には衰退し,その後廃墟となった。獣頭の大円柱,大階段,壁面の浮彫など往時を偲ばせるものがよく保存され,近郊ナクシェ・ロスタムの岩窟にアケメネス朝歴代の王の墓がある。 1979年世界遺産の文化遺産に登録。

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百科事典マイペディア 「ペルセポリス」の意味・わかりやすい解説

ペルセポリス

ペルシア帝国の古都。ダレイオス1世によってアケメネス朝の首都とされ,前518年―前460年壮大な王宮が築かれたが,前330年アレクサンドロス大王に焼かれ廃墟となった。イラン南部シーラーズの北東約60kmにある遺跡には,広大な石の壇上にダレイオス1世,クセルクセス1世の建てた諸宮殿の遺構があり,随所にアケメネス朝美術の隆盛を示す浮彫が見られる。1979年世界文化遺産に登録。
→関連項目ダレイオス[1世]ペルシア帝国

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペルセポリス」の意味・わかりやすい解説

ペルセポリス
ぺるせぽりす
Persepolis

イラン南西部、シーラーズ市の北東約70キロメートルにあるクーフ・アッラフマト山麓(さんろく)に営まれた古代ペルシア帝国の都市。アケメネス朝ペルシアのダリウス1世が帝国の新しい首都として、紀元前520年に建設を始め、その後歴代の王が増改築を継続した。行政府としての政治の中心はスーサに置かれていたので、ペルセポリスは王の儀式や祝祭などを行う神聖な役割をもつ都であった。建造物は山の斜面に造成された広大なテラス上に配置されている。代表的遺構はダリウスの宮殿、100本の列柱があったところから百柱殿とよばれる大広間、柱頭に獅子(しし)や牡牛(ぼぎゅう)を彫った柱がある謁見殿、クセルクセスの宮殿、宝物庫、ハレムなどである。謁見殿の階段に残る朝貢する被征服民族の浮彫りも名高い。前330年マケドニアのアレクサンドロス大王によって帝国は滅ぼされ、ペルセポリスも廃都と化した。1931年からシカゴ大学の発掘調査が行われた。1979年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[吉村作治]


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世界遺産詳解 「ペルセポリス」の解説

ペルセポリス

1979年に登録された世界遺産(文化遺産)で、イラン南部シーラーズの北東に位置する。タクテ・ジャムシードともいう。西はエジプトから東はインダス川流域に至るオリエント全域を支配したアケメネス朝ペルシアの聖都。ダレイオス1世によって紀元前522年頃に着工され、3代60年にわたって建設が進められた。紀元前330年にはマケドニアのアレクサンドロス大王の侵攻によって炎上崩壊したといわれるが、真相は定かではない。謁見殿、クセルクセス門、ダレイオス1世宮殿などの建築群や、「百柱の間」の柱の礎石などの遺構が今も残され、人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして、世界遺産に登録された。レバノンのバールベック、ヨルダンのペトラ(いずれも世界遺産)とともに中東三大遺跡といわれる。◇英名はPersepolis

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ペルセポリス」の解説

ペルセポリス
Persepolis

アケメネス朝の首都。イラン南西部のシーラーズの北東約60kmにある。ダレイオス1世以来3代かけて完成された王宮は壮観で,宝庫,ハーレム,謁見の広間,列柱殿の遺跡,豪華な大円柱や浮き彫りは,この王朝芸術の粋である。アレクサンドロス大王によって焼き払われた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ペルセポリス」の解説

ペルセポリス
Persepolis

アケメネス朝の首都
現在のイラン南部の都市シーラーズの北東に位置する。ギリシア語で「ペルシア人のポリス」の意。行政都市スサに対して,儀式や祝祭を行う神聖都市であった。ダレイオス1世以後,数代にわたって造営されたが,前330年,アレクサンドロス1世の遠征により宮殿は破壊された。遺跡は宮殿,列柱殿,宝庫が並びたち,宮殿の柱は高さ20mにもおよぶ。

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デジタル大辞泉プラス 「ペルセポリス」の解説

ペルセポリス

2007年製作のフランス映画。原題《Persepolis》。監督:マルジャン・サトラピ、バンサン・パロノー、声の出演:キアラ・マストロヤンニ、カトリーヌ・ドヌーブほか。第80回米国アカデミー賞長編アニメ映画賞ノミネート。

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