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ペレス ペレスPérez, Antonio

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペレス
Pérez, Antonio

[生]1540. マドリード
[没]1611.11.3. パリ
スペインの政治家。国王フェリペ2世に仕え,1567年イタリア担当の大臣となった。フェリペ2世の異母弟ドン・フアン・デ・アウストリアの重臣 J.エスコベドを暗殺 (1578) 。翌年疑獄事件で逮捕され 11年間獄中で過した。 90年マドリードから逃亡,アラゴンに行きサラゴサの民衆の保護を求めた。その後フランス,イギリスに亡命,晩年は貧困のうちにパリで死んだ。

ペレス
Pérez, José Joaquín

[生]1800
[没]1889
チリの政治家。大統領 (在任 1861~71) 。自由主義派の大統領として州の自治権を尊重し,議会制度の確立をはかるかたわら,経済面でもサンチアゴバルパライソ間の鉄道敷設,財政改革などを手がけた。しかし保守派の抵抗も強く,大統領の権限を縮小された。

ペレス
Peres, Shimon

[生]1923.8.16?. ポーランド,ボロジン
[没]2016.9.28. イスラエル,ラマトガン
ポーランド生まれのイスラエルの政治家。首相(在任 1984~86,1995~96),大統領(在任 2007~14)。1934年家族とともにパレスチナに移住。1947年,政治上の師となるダビッド・ベングリオンが指揮するシオニスト(→シオニズム)の軍事組織ハガナーに加わる。1948年5月イスラエルの独立に際し,ベングリオン首相のもと 24歳の若さで海軍司令官に就任。1952年国防次官を皮切りに 1965年まで国防省の要職を歴任した。1965年ベングリオン率いる新党ラフィ党に参加。1969~70年移民大臣兼占領地経済開発担当大臣,1970~74年運輸通信大臣,1974~77年国防大臣。1977年イツハク・ラビン首相辞任をうけ首相代行となり,ラフィ党など 3党が合併して発足したイスラエル労働党の党首にも就任。1984~86年リクードとの連立内閣で首相を務めた。1988年総選挙後も財務大臣としてリクードと連立内閣を組んだが,1990年連立を解消。1992年労働党首の座ラビンに譲って総選挙に勝利し,新政権で外務大臣に就任。1993年のパレスチナ解放機構 PLOとのパレスチナ暫定自治協定調印後は,協定の実行に向けた交渉の先頭に立った。1994年,中東和平をともに推進したラビン,ヤセル・アラファト PLO議長とノーベル平和賞(→ノーベル賞)を共同受賞。1995年にラビンが暗殺されると首相に就任したが,1996年首相公選でリクードのベンヤミン・ネタニヤフに僅差で敗れた。2001~02年,シャロン政権で外相。2005年,労働党党首選に敗れたのち離党し,中道のカディマ党に入党。2007年から儀礼的な地位である大統領を務めた。2012アメリカ合衆国大統領自由勲章を受章。(→パレスチナ史

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版の解説

ペレス【Antonio Pérez】

1540?‐1611
スペインの政治家。国王フェリペ2世の秘書であった父ゴンサーロ・ペレスの後を継いで,1567年に同国王の秘書となる。エボリ家などの大貴族の支援を受け,78年まで国王の対外政策に決定的な影響力を行使した。しかし同年の,国王の異母弟フアン・デ・アウストリアの秘書エスコベードの暗殺事件に関与したことから逮捕され,マドリードの牢に投獄された。90年にペレスは脱走に成功して生国アラゴンへ逃れた。アラゴンにはカスティリャ国内法が適用できないために,国王は異端審問の手によって異端の罪状で彼を処刑しようとした。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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