ノルウェーの文豪イプセンの五幕詩劇。1867年刊。著者の思想的彷徨(ほうこう)時代の作品。前作『ブラン』(1866)が神の王国を地上に、という主人公の一筋の理想主義的悲劇であるのに対し、この作の主人公ペールはノルウェー山地の伝説的猟師。力も強く才気もあるが、好色でほら吹きで血気に任せ冒険と彷徨を繰り返す移り気な性格として描かれ、前作とは好対照をなす。そのため初めは、ノルウェー人を戯画化しているとしてむしろ不評だったが、現在ではもっとも作者の詩的天分を示す作品とみられている。
前半3幕はペールの青年時代。彼は、いまは零落している地主未亡人のひとり息子で、大きなことをいいながら酒と喧嘩(けんか)で日を送っていて、かつては自分に気のあった地主の娘イングリにも背かれる。彼女がほかの男と結婚する日、突然ペールが現れて彼女をさらって山に逃れるのが発端。しかしその式場でふとみかけた聖書をもった清純な娘ソールベイのおもかげがぬぐいきれず、イングリを一夜で捨てる。ついでドーブル山地のトロルの王の娘「緑衣の女」に出会い、財宝とトロルの王になるというのに惹(ひ)かれて結婚するが、魔王に人間の品位を最終的に捨てることを強要されるに及んでこれを拒否。山小屋に潜んでいるところへソールベイが訪ねてくるが、「待っていてくれ」と言い置いて瀕死(ひんし)の母のもとに行き、母を葬ったのち、国外に逐電するのが前半。第4幕は、ほぼ20年後のアフリカが舞台。ペールは、アメリカへの奴隷の売り込みなどで大金をつかみ、いまは故郷へ錦(にしき)を飾るべく船出を待っている。しかし連れてきた友人らに船ごと財産を盗まれる。偶然手に入れた豪奢(ごうしゃ)な船で、今度は予言者を気どり、アラビアの族長の娘アニトラを手に入れようとするがこれにも失敗。エジプトに渡りスフィンクスの謎(なぞ)を解いたとして王に担ぎ上げられそうになるが、結局運び込まれた所は、精神科病院だった。第5幕、いまや年老いたペールは故郷に向かい、途中船の難破などにもあうがようやく帰国する。最後には無一物となり、山奥の小屋にたどり着くと、白髪になったソールベイが彼を待っていた。
日本での上演は1978年(昭和53)俳優座による。古くは茅野蕭々(ちのしょうしょう)、楠山(くすやま)正雄の訳がある。
[山室 静]
この戯曲のための付随音楽は、作者自身の依頼でグリーグによって作曲された。1874年に書き始められ、翌年完成し、劇の上演にあわせて初演された。さりげない作風の小品が多いグリーグには珍しく、音楽は長大で劇的な起伏をもち、編成も独唱・合唱を含む大規模なものである。のちにこれから抜粋して二つの演奏会用組曲がつくられたが、「朝の気分」「アニトラの踊り」「ソルウェイグ(ソールベイ)の歌」などの美しい小品を含むこの組曲は、現在に至るまで高い人気を保っている。
[三宅幸夫]
『毛利三弥訳『ペール=ギュント』(『世界文学全集24』所収・1970・講談社)』
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…イタリアで書いた劇詩《ブラン》(1866)は,〈無か全か〉を叫ぶ牧師の姿が北欧の青年を熱狂させ,たちまち版を重ねて生活を潤した。次の《ペール・ギュントPeer Gynt》(1867)はノルウェー国民の自己満足性を皮肉った劇詩。変化に富むこの喜劇は9年後にグリーグの音楽付きで初演され大成功をおさめた。…
…彼の個性は小規模な歌曲とピアノ曲において最も良く発揮されている。数多い作品のうち,《ピアノ協奏曲イ短調》(1868),管弦楽組曲《ペール・ギュント1,2》(1888,91)は広く親しまれている。【寺田 由美子】。…
※「ペールギュント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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