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ホイジンガ Huyzinga, Johan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ホイジンガ
Huyzinga, Johan

[生]1872.12.7. フローニンゲン
[没]1945.2.1. デステーク
オランダの文化史家,文明批評家。フローニンゲン大学卒業後,母校教授,続いてライデン大学教授。 1932年から同大学総長,33年王立学士院長。『中世の秋』 Herfsttij der Middeleeuwen (1919) ,『エラスムス』 Erasmus (24) によって国際的な名声を得,『朝の影の中に』 In de schaduwen van Morgen (35) ,『ホモ・ルーデンス』 Homo Ludens (38) でナチズムを告発し,鋭い文明批評を行なった。晩年ドイツ占領軍に捕えられ,釈放後自伝『わが歴史への道』 Mijn weg tot de Historie (47) を著わした。

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デジタル大辞泉の解説

ホイジンガ(Johan Huizinga)

[1872~1945]オランダの歴史家。精神史との関連を考察し、文化史研究に新生面を開いた。著「中世の秋」「ホモ‐ルーデンス」など。ホイジンハ。

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百科事典マイペディアの解説

ホイジンガ

オランダの歴史家。オランダ語ではハイジンハ。フロニンゲン,ライデンの各大学教授を歴任。歴史を法則化することに反対し,歴史における非合理的要素の役割を高く評価して,文化史,精神史に関する独特の業績を残した。
→関連項目ホモ・ルーデンス

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世界大百科事典 第2版の解説

ホイジンガ【Johan Huizinga】

1872‐1945
オランダの歴史家,文明批評家。オランダ語で正しくはハイジンハと発音する。フローニンゲン生れ。フローニンゲン大学でオランダ,古代インドの言語・文学を学び,ドイツ留学後,1897年古代インド学で学位を得た。西ヨーロッパ中世史の研究に転じ,1905年フローニンゲン大学,15年ライデン大学の教授となる。〈文化史〉を主張し,14~15世紀のブルゴーニュ公国を舞台に繁栄した文化の諸相と人々の生活を豊かなイメージと鋭い感受性で描いた《中世の秋Herfsttij der middeleeuwen》(1919)を発表して大きな反響を呼んだ。

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大辞林 第三版の解説

ホイジンガ【Johan Huizinga】

1872~1945) オランダの歴史学者。歴史における非合理的要素の役割を重視、人間の内的精神と文化史の関連を研究した。ホイジンハ。著「中世の秋」「ホモ-ルーデンス」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ホイジンガ
ほいじんが
Johan Huizinga
(1872―1945)

オランダの歴史家。フローニンゲンに生まれる。フローニンゲン大学で文学を学び、卒業後ハールレムで中等教育の教鞭(きょうべん)をとったが歴史学への転身を図り、論文「ハールレム市の成立」を作成し、1905年フローニンゲン大学外国史・国史学教授に就任。15年ライデン大学外国史・歴史地理学教授に転任してライデンに住んだ。40年ナチス・ドイツ軍のオランダ占領によって事実上閉鎖されるまで、同大学教授職にあった。42年占領軍によって居住地域を限定され、アルンヘム近郊デ・ステークに住み、45年2月同所で死去。
 主著『中世の秋』は、1919年に出版された。ブルクハルトの『イタリアにおけるルネサンスの文化』が15、6世紀のイタリアに観察の視線を限定しているのに対し、ホイジンガは、14、5世紀のフランスとネーデルラントに実証的調査と史的想像力の翼を広げる。同時代人の記録に固着し、瀰漫(びまん)しているものの考え方、感じ方のある一定の調子からみるに、この歴史空間は一つの文化の終末の気配を濃密に漂わせている。すなわち「中世の秋」である。『中世の秋』出版後、ルネサンス問題に関する論考、エラスムスやグロティウス、あるいはアベラールをはじめ、12世紀の精神を訪ねる著書・論文など業績は幅広いが、『朝の影のなかに』の出版(1935)の前後からナチズムに対する批判、ひいては現代文明批評の方向へ彼の関心は収斂(しゅうれん)する。『ホモ・ルーデンス』(1938)は「遊戯の相の下に」ヨーロッパ文明の成立と展開と衰亡の過程をみる試みで、デ・ステークの配所で綴(つづ)った『わが歴史への道』(1947)は現代へ残した自伝的遺書である。[堀越孝一]
『堀越孝一訳『中世の秋』(1967・中央公論社) ▽堀越孝一訳『朝の影のなかに――わたしたちの時代の精神の病の診断』(1971・中央公論社) ▽高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス――人類文化と遊戯』(1971・中央公論社) ▽堀米庸三著『ホイジンガの人と作品』(『世界の名著55 ホイジンガ 中世の秋』所収・1967・中央公論社) ▽栗原福也著『ホイジンガ』(1972・潮出版社) ▽堀越孝一著『騎士道の夢・死の日常』(1987・人文書院)』

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世界大百科事典内のホイジンガの言及

【遊び】より

…日本語の〈あそび〉の語源については,定説というべきものはないが,古代に喪葬儀礼に従事したとされる遊部(あそびべ)という集団が存在したことなどから,その本義を神事にかかわるものとする説がある。一方,王朝時代の〈遊ばす〉言葉に注目したホイジンガの説がある。〈……遊ばす〉という敬語表現は,〈身分の高い人はただ自発的な楽しみによってのみ行動するほどの崇高さの窮(きわ)みに生きていると思われるのだ〉という解釈をゆるす。…

【オランダ】より

…こうした特徴は部分的には同じゲルマン系のイギリス人やドイツ人と共通するものでもあるが,にもかかわらずそれらは全体として見るときオランダの歴史や文化に独自の刻印を与えている。オランダの歴史家ホイジンガは《レンブラントの世紀》の中で,17世紀のオランダ文化の特質として簡素な生活およびこれと密接に結びついている節約と清潔好きをあげ,つぎのようにいう。簡素な生活は衣服や慣習,社会生活の色合いや精神的態度から,繁茂する森林もなく平たんな国土自体のたたずまいや都市の構造にまで及ぶ。…

【死】より

…孔子や仏陀やキリストなどの活躍した古代世界においては,死をいわば天体の運行にも似た不可避の運命とする観念が優勢であったが,これにたいして中世世界は死の意識の反省を通して〈死の思想〉とでもいうべきものの発展をみた時代であった。例えばJ.ホイジンガの《中世の秋》によれば,ヨーロッパの中世を特色づける死の思想は,13世紀以降に盛んになった托鉢修道会の説教における主要なテーマ――〈死を想え(メメント・モリmemento mori)〉の訓戒と,14~15世紀に流行した〈死の舞踏〉を主題とする木版画によって象徴されるという。当時のキリスト教会が日常の説教で繰り返し宣伝していた死の思想は,肉体の腐敗という表象と呼応していた。…

【文化史】より

…彼の代表作《ドイツ史》12巻(1891‐1909)は,そのような社会心理的発展段階のもとにドイツ史を把握した大著である。 このような発展法則の樹立を意図するランプレヒトに対し,それを批判しつつ独自の文化史を展開したのが,オランダのホイジンガである。彼によれば,歴史とは過去に対して形式を与えることであり,過去の中に意味を把握することであるが,その把握は美的性質を帯びている。…

【遊戯】より

…第3は文化レベルでの遊戯論の展開である。19世紀は遊戯論が科学的基礎づけを得た時代で,機能にしろ発現因子にしろ,それらはもっぱら心理学的に個体レベルの問題として論じられたが,他方,童戯の残存起源を唱えたE.B.タイラーや遊戯の文化創造機能を追求したJ.ホイジンガにみるように,遊戯と文化のかかわりを問う領域も現れた。この領域に大きく寄与したのは文化人類学で,未開社会と伝統的社会の文化体系の中で遊戯(デュルケーム的意味での〈物chose〉としての遊戯)が占める位置と意味とが盛んに研究された。…

※「ホイジンガ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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