騎士道(読み)キシドウ

デジタル大辞泉 「騎士道」の意味・読み・例文・類語

きし‐どう〔‐ダウ〕【騎士道】

中世ヨーロッパにおける騎士の精神的支柱をなした気風・道徳。忠誠・武勇に加えて、神への奉仕廉恥名誉婦人への奉仕などを重んじた。

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精選版 日本国語大辞典 「騎士道」の意味・読み・例文・類語

きし‐どう‥ダウ【騎士道】

  1. 〘 名詞 〙 中世、ヨーロッパで騎士の精神的支柱をなした道徳。キリスト教を尊び、勇気、礼儀、名誉、婦人への奉仕などを重んじた。
    1. [初出の実例]「日本人の武士道は西洋の騎士道の如く婦人を崇拝せぬ代りに」(出典:国民性十論(1907)〈芳賀矢一〉四)

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改訂新版 世界大百科事典 「騎士道」の意味・わかりやすい解説

騎士道 (きしどう)

西欧中世,騎士の行動規範ないし準則。徐々に発達したし,また理想,むしろ幻想に近い部分もあったから,その内容は流動的でとらえがたい。騎士は本来的に戦闘員であったから,騎士道の根幹が戦闘に不可欠の資質やルールの強調にあったのは当然で,武勇や信義がまず出現する。武勲詩に登場する騎士たちを形容する〈豪胆不敵〉〈言葉をたがえぬ〉等々の言葉は,初期の理想がどこにあったかを示している。勇猛,むしろ凶暴は騎士の本質であった。騎士道絵巻のひとこまとして想起される野試合(トーナメント)にしても,武技を鍛え勇猛心を鼓舞すると同時に,敵手の乗馬武具を奪うための,悽惨な遊戯実戦の代用であった。殺害を直接目的とはしなかったものの,死傷者続出は避けられなかった。1139年,79年,93年,教会はあい次いで野試合禁止を呼びかけ,試合場での死者に対する葬儀執行拒否の態度を示している。

 荒々しい騎士の気質に強く働きかけて教化,むしろ馴化し,騎士道を完成させたのは,一方では教会,他方では宮廷社交界であった。教会は信仰擁護という名目武力行使を正当化するとともに,その枠内に限定しようとする。戦士の規範に関する提言は11世紀後半,まず教会の中から現れるが,そこでは信仰の敵の討伐,弱者の保護,掠奪の禁止が強調されている。教会は武器の祝福という機会をとらえて騎士叙任式に介入し,騎士の任務を説いた。叙任式は祭儀に近づき騎士は祭壇から剣を受けた。実際にここでの訓戒がどの程度浸透したかは大いに疑問だが,少なくとも当初は〈神の戦士〉をもって自任し実践に努力する騎士が出現したのも事実である。例えば,テンプル騎士団は1120年ころエルサレムの近くで結成され,野営地を設けて巡礼の保護に当たり,サン・ベルナールの指導下に清貧,貞潔,服従を誓った。

 12世紀,大小の君侯宮廷の庇護下に成立した抒情詩や物語は,しばしば理想の騎士像を描き出して騎士道の発達に影響を及ぼした。クレティアン・ド・トロアウォルフラムエッシェンバハの)の作品は,その代表的な例である。名誉の感覚が定着したのは彼らの作品を通じてであったと言ってよい。ここで強調されるのは,従来の徳目に加えて行動の洗練,礼儀,寛大,公正などだが,その中に一つきわだったテーマが出現する。それは高貴な婦人に対する敬慕ないし崇敬である。12世紀末,アンドレ・ル・シャプランの《恋愛論》は宮廷風ないし騎士風の恋愛を理論化した。戦闘員の社会において女性の実質的な地位は決して高いものではなかったが,この場合には主従関係の擬制としての,風雅ないし遊戯としての恋愛が考えられたのである。

 14世紀,騎士はもはや決定的な戦力ではなくなっていたが,騎士道の理念はかえって生長繁茂した。フロアサールの《年代記》のおびただしい挿話の中にそれを見ることができる。やがてセルバンテスの《ドン・キホーテ》が書かれるが,それは騎士道の聖化であると同時に騎士道の葬送でもあった。
騎士 →騎士道物語 →宮廷風恋愛
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「騎士道」の意味・わかりやすい解説

騎士道
きしどう
chivalry 英語
chevalerie フランス語
Rittertum ドイツ語

中世ヨーロッパの騎士社会のなかに生まれた、キリスト教徒としての生活倫理。教会による騎士身分の合法化とともに、教会から叙任されるにあたり、騎士は一連の宗教的、世俗的徳目についての宣誓を要求された。たとえば、寛大であること、名誉を重んずること、休息や苦痛そして死をも軽蔑(けいべつ)すること、などである。それらの、さまざまに描かれてきた道徳表は、大別すれば次の三つの原則に要約することができる。

 その第一は宗教的原則で、騎士は聖別された剣をもって公教会と聖職者を保護しなければならない。神に献身する騎士としての理想像が、十字軍時代に異教徒と戦う「キリスト教騎士」に求められたことはいうまでもない。第二は世俗的原則で、騎士は封建家臣として、直属の主君に忠誠の義務を尽くさなければならない。ところが13世紀以後になると、この義務は、権力を集中しつつあった国王や大諸侯への奉仕に置き換えられていった。第三は個人的原則で、騎士はいかなる状況下においても、自分の意志で同意したあらゆる誓約に、男子の名誉にかけて忠実でなければならない。寡婦や孤児や貧者、あるいは戦場の敗者などの弱者保護の徳目がこれに含まれるが、西欧の騎士道に有名な貴婦人崇拝の心性もこの原則とかかわっている。

 12世紀中ごろから13世紀にかけて宮廷社交界が成立してくると、騎士のあこがれの高貴な奥方に対する求愛と忠誠は、「宮廷風恋愛」といわれる新しい愛の観念を生み、騎士道文学を開花させた。騎士道における宮廷風作法(クルトアジー)は中世末期に至るほどますます洗練されるが、騎士制度が果たす社会的役割は縮小していった。15、16世紀ごろには、戦術の変化や実利主義的風潮も表面化し、騎士の没落は決定的なものとなる。ただ西洋の紳士道徳、とくに女性に対する礼儀作法のなかに、騎士道の徳目は形を変えて生き延びたといえよう。

[井上泰男]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「騎士道」の解説

騎士道(きしどう)
chivalry[英],Rittertum[ドイツ],chevalerie[フランス]

西欧中世の騎士が持っていた特有の風習と倫理。日本の武士道と対比される。戦士としての騎士の性格から,まず忠誠と武勇が強調され,キリスト教的な神への奉仕,謙譲,弱者への保護が加わり,さらに貴婦人への献身的奉仕が強調された。現実には野蛮,不義,無慈悲な面を持っていたにせよ,その名誉,寛容,奉仕などの鼓吹は,西欧人の道徳生活の向上に貢献するところきわめて多かった。

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百科事典マイペディア 「騎士道」の意味・わかりやすい解説

騎士道【きしどう】

騎士

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デジタル大辞泉プラス 「騎士道」の解説

騎士道

日本のポピュラー音楽。歌は歌手で俳優の田原俊彦。1984年発売。作詞:阿久悠、作曲:つのだひろ。

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世界大百科事典(旧版)内の騎士道の言及

【騎士道物語】より

…12世紀から16世紀にかけてフランス,イギリスをはじめヨーロッパ各地で流行した,韻文,次いで散文による物語文学。先行して成立した武勲詩の影響のもとに,騎士道の理想が求められた十字軍の時代状況を背景として,まず12世紀後半に韻文で書きはじめられた。武勲詩が歴史に題材をとって主人公の武勲をたたえることを中心主題としたのに対し,騎士道物語は,虚構の枠組みによって,騎士が宗教的義務と世俗的義務,とりわけ婦人への愛と献身に忠実たるべきことを称揚した。…

【貴族】より

…貴族の叙任は国王の権利に属するという観念も,この時期に確立した。 12世紀には,かかる封建領主としての貴族,すなわち広義の騎士身分が俗人文化の担い手となり,いわゆる騎士道の黄金時代が現出した。またカトリック教会の聖職者階層制は封建社会の一構成要素をなしていたから,司教をはじめとする教会統治の指導部は,事実上,貴族によって占められるにいたる。…

※「騎士道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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