中央アジアのオアシス都市。タリム盆地の南辺,崑崙山脈の北麓に位置する。現在の中国新疆ウイグル(維吾爾)自治区和田地区の和田市。人口14万(1994)。その大半をウイグル人が占める。漢代以来の中国文献には于闐(寘)(うてん)として記録され,近年には和闐とも写された。ホータン・サカ語文献にはhvatana,hvaṃna,hvanなどとして見え,イスラム文献にはkhotanとして見える。古来,〈崑崙の玉(ぎよく)〉などの名で呼ばれた良質の軟玉(ネフライト)の産地として知られ,またその絹,じゅうたんの生産も名高い。
于闐国の人口は,すでに前漢の時代に1万9300,後漢の時代には8万3000を数えたと伝えられる。法顕,玄奘(げんじよう)らがこの地を通過した5~8世紀には仏教文化の一大中心地として栄え,中国仏教にも影響を及ぼしたが,政治的にはしばしばエフタル,突厥(とつくつ),唐,吐蕃などの異民族の支配下に置かれた。諸文献に伝えられたホータンの開国伝説によると,この地方に初めて国家を建設した者は単一の民族ではなく,東西の諸民族のいわば混交体であったと考えられるが,少なくとも6~10世紀,この地方では〈ホータン・サカ語〉と呼ばれる中期イラン語の一方言が使用されていたことが,この地方から出土したホータン・サカ語の諸文献の研究によって明らかにされている。そしてこれらの文献によって,隋・唐時代の中国文献に于闐国の王姓として見える尉遅(うつち),伏闍などが王姓ビシャViśaの転写であることも判明している。しかし10世紀に西隣のカシュガルがカラ・ハーン朝の一首都となると,この地方にもトルコ化・イスラム化の波がおしよせ,従来の仏教文化は壊滅し,ホータン・サカ語の文献も姿を消した。カラ・ハーン朝によるホータンの征服は10世紀末~11世紀初頭と考えられるが,この征服の際,従来のホータンの町(ヨートカン遺跡)は破壊され,その南東に新しい市街が建設された。ついで12世紀にはカラ・キタイ,13世紀にはモンゴル帝国の支配下に入り,14世紀にはチャガタイ・ハーン国の支配を受けた。1340年代にハーン国が東西に分裂すると,その東部ハーン家(モグーリスターン・ハーン国)の支配下に入ったが,この地方の直接の支配権はカシュガルを本拠地としたモグールのドゥグラト家のアミールたちの手中に握られていた。しかし16世紀初頭,モグールのハーンがカシュガルを制圧してその直接支配を開始すると,この地もその支配下に組み入れられた。一方この地には,17~18世紀,カシュガル,ヤルカンドを本拠としたナクシュバンディー教団の神秘主義者たち(カシュガル・ホージャ家)の勢威も及び,この地の宗教生活に影響を与えた。しかしこれらのハーンやホージャたちも,17世紀後半にはジュンガル王国の支配を受け,また18世紀中葉には清朝の宗主権を認めたので,この地もこれら異民族の支配下に置かれた。19世紀にはヤークーブ・ベグの反乱など,ムスリムの独立をめざした反清朝の反乱の舞台となったが,結局1882年(光緒8),新疆省の成立とともに清朝治下の一地方都市となり,1955年以降は中国の新疆ウイグル自治区の一地方都市となって今日にいたる。
執筆者:間野 英二
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中国、新疆(しんきょう)ウイグル自治区のタリム盆地の南辺にあるオアシス、およびその中心となる県級市をさす。ホータン市はホータン地区の公署所在地で、人口32万1100(2011)。崑崙(こんろん)山脈から北流する河川によって灌漑(かんがい)されている。古くから東西交渉路上の要地として有名で、紀元前2世紀、初めて中国史書に登場するころにはすでに相当に繁栄している大オアシスであった。古代のホータンは于闐(うてん)とよばれ、イラン語系のことばを使うアーリア系住民が住み、ビジャヤ(尉遅(うっち))王家をいただく仏教王国として栄え、特産品の玉(ぎょく)をもって国際的に著名であった。
しかし、中央アジアの全域に進行した住民のトルコ化やイスラム教への改宗が、11世紀のホータンでもみられ、東西交渉路が変化したこともあって、単なる一地方の中心にすぎなくなってしまった。カシュガルまでつながる喀和(かくわ)線が通じるほか、市中心部から南約12キロメートルにはホータン空港がある。
[堀 直・編集部 2018年1月19日]
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ホタン,コータンともいう。西域の国名。東トルキスタンのタリム南縁のオアシス都市国家として古くから栄え,中国の漢と交渉を持ち,土産の「于闐の玉」は中国人の関心のまとであった。原住民はアーリヤ系,言語はイラン系(コータン語)で,ヴィジャヤ王家のもとに西域南道の大勢力となり,10世紀の王,李聖天(りせいてん)などは皇帝を称した。東西交通の要衝にあたり,特に仏教の東伝に果たした役割は大きいが,11世紀にはイスラーム化した。
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…その北道の石窟でも礫岩質のもろい石質のゆえに石彫は発達せず,塑造を主体とし多くは彩色がほどこされ,金属製や木造のものもある。南道ではホータンにおいてクシャーナ朝が北西インドから勢力を伸長させたとき仏教の造形活動がはじまった。大谷探険隊が将来した金銅仏頭(3~5世紀)は中央アジアでは最も早期の遺品の一つで,パキスタン北部のスワート地方の石仏との類縁が指摘されている。…
※「ホータン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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