オアシス都市国家(読み)おあしすとしこっか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オアシス都市国家」の意味・わかりやすい解説

オアシス都市国家
おあしすとしこっか

オアシスに発達した都市を中心に営まれた国家を意味するが、具体的には今日の中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区のタリム盆地、旧ソ連領の中央アジア、およびアフガニスタン北半の諸オアシスに形成された諸国家。タリム盆地ではカラ・ハン朝の統治の始まる11世紀の初め、西方ではアッバース朝の治下に入った8世紀後半まで続いたと考えられる。オアシスの規模は地域によって大きな差があり、漢代タリム盆地の亀茲(きじ)(いまのクチャ、庫車)のオアシスが人口10万2393人を養うに足りる生産力を有したのに対し、小宛(しょうえん)(いまのダライ・クルガンか)は1250人の人口を有するにとどまり、西方では大宛(フェルガナ盆地)の人口は36万、大月氏(もとのバクトリア。アフガニスタン北部)の支配下のオアシスは50万の人口を有したという。

 一つのオアシスに一都市があって統治した場合もあれば、数都市があったこともあり、いくつかのオアシスが一国家を形づくっていたこともある。都市は多くの場合城壁に囲まれ、常備兵を置いて敵襲に備えた。その数は国によって異なるが、一般住民数の4分の1に及ぶ場合もあった。主要産業は農業であった。都市の住民は古くからインド・ヨーロッパ系の言語を用いたイラン系あるいはアーリア系の種類に属し、その後移住したいくつかの民族との混血種が生じた。したがってその文化もイラン系、インド系のものを根幹とし、これに中国系、北アジア系諸民族の文化が加わった。

 都市国家の首長つまり王とその統率する官吏は主として土着の人であったが、高昌(こうしょう)に漢民族を支配者とする中国風の国家が営まれたように、外来人がこれにあたる場合もあった。都市国家の大きな特色は、多くの場合、中国王朝や北方系遊牧民族の支配下にありながら、高い独立性を維持し、シルク・ロードの要地として国際貿易の利益を占めるとともに、四方の文化を吸収したことである。

[榎 一雄]

『榎一雄著『中央アジア・オアシス都市国家の性格』(『岩波講座 世界歴史6』所収・1971・岩波書店)』『榎一雄著『榎一雄著作集第1巻・中央アジア史1』(1992・汲古書院)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「オアシス都市国家」の解説

オアシス都市国家(オアシスとしこっか)
Oasis

アフロ・ユーラシア大陸の乾燥砂漠地帯で,紀元はるか以前からオアシス農業と交易で成り立った都市国家。城郭都市を中核に持ち,交通路上の要衝として栄えた。ことに内陸アジアでは,東西交流および遊牧社会との結節点として史上に欠かせない社会単位であり,マー・ワラー・アンナフル地域やアム川シル川の中・上流域に比較的大規模なものが形成された。また天山南路タリム盆地周縁を数珠(じゅず)状につなぐ典型的な都市国家群は漢代から記録され,現在まで重要なオアシス都市となっているものがほとんどである。これらはそれぞれ孤立しがちであると同時に,近隣オアシスと政治的に離合集散し,またそこに集積される富や物資と,相互をつなぐルートは遊牧勢力および遠隔の大国家のねらうところともなった。そのため支配者は変転することが多く,その自然環境の制約によりみずから広領域国家に拡大する契機は少なかった。しかし,多くの種類の宗教,言語,文字や物質文化の伝播と変容の拠点として果たした役割はきわめて大きかった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android