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マインツ Mainz

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マインツ
Mainz

ドイツ西部,ラインラントファルツ州の州都。フランクフルトアムマインの西南西約 30km,ライン川マイン川との合流点付近に位置する。前1世紀にローマの軍営地となり,451年頃ローマがこの地を放棄して衰微したが,747年に司教座がおかれ,8世紀末には大司教座都市としてドイツの宗教的中心となった。 1244年に自由都市となり,ライン都市同盟の盟主として黄金時代を迎えた。三十年戦争以後再び衰え,一時はフランスの支配下に入った。ライン川河谷のブドウ産地の中心を占め,ラインワインの集散地。工業には化学,化粧品,機械,ガラス器,楽器などがあり,ライン中部工業地帯の一部を構成する。 1476~1816年に大学都市であった伝統をあらためて継承,1946年にヨハネス・グーテンベルク大学が創立された。それに関連するマックス・プランク研究所,同ヨーロッパ史研究所などもある。旧市街はライン川に沿い,マインツ大聖堂 (975~1009創建) を中心にモザイク状の街路網が発達している。「印刷の父」グーテンベルクの生地で,グーテンベルク博物館がある。人口 19万7778(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

マインツ

ドイツ南西部,ラインラント・ファルツ州の州都。ライン左岸の河港都市で,ブドウ酒や果物取引の中心。金属・機械・化学・食品工業が行われる。ドイツのロマネスク建築を代表するマインツ大聖堂はじめ多くの教会,大学がある。
→関連項目マイン[川]ライン渓谷中流上部

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世界大百科事典 第2版の解説

マインツ【Mainz】

ドイツ西部,ラインラント・ファルツ州の州都。ライン,マイン両川の合流点に位置する交通の要衝で,古くから軍事上,政治上の拠点,宗教,文化,商工業の中心地として発展した。人口18万5000(1995)。地名は,紀元前38年ごろローマ人が先住ケルト人の光の神モゴンの祭場跡に建設した軍団宿営地モゴンティアクムMogontiacumに由来する。前9年将軍ドルススの第4次ゲルマニア進攻の基地となり,兵士の家族,商工業者などの移住につれて,都市生活が開花した。

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大辞林 第三版の解説

マインツ【Mainz】

ドイツ西部、ライン川中流西岸の河港都市。ローマ時代に建設された古都。ワインの取引が盛ん。グーテンベルクの生地で印刷業も発達。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マインツ
まいんつ
Mainz

ドイツ西部、ラインラント・プファルツ州の州都。人口18万2900(2000)。ライン川中流左岸、マイン川との合流点にある。対岸はヘッセン州の州都ウィースバーデン。州関係の立法、司法、行政各機関のほか、連邦政府機関、経済団体、各種研究・教育機関などが集中する。また、カトリックの大司教座、プロテスタントの教区長が置かれ、宗教都市でもある。第二次世界大戦の爆撃で市街地の80%を破壊されたが、奇跡的に破壊を免れたロマネスク様式の大聖堂をはじめ歴史的建造物が多い。数多い美術館、博物館では、印刷技術に関するグーテンベルク博物館が著名。市街地北部、ライン河畔に工業港をもち、車両、ガラス、製紙、事務機器などの工業が立地する。音楽関係の出版・印刷業は伝統をもつ。周辺には、ラインヘッセン、ラインガウ、ラインプファルツなど著名なワイン産地があり、ワインおよびシャンパンの取引中心地である。19世紀から続くカーニバルも重要な観光資源となっている。[朝野洋一]

歴史

市の起源は紀元前13年ローマの将軍ドルススが築いた城塞(じょうさい)にさかのぼり、古名をモゴンティアクムMogontiacum(またはマグンティアクムMaguntiacum)とよんだ。紀元後300年ごろローマの属州ゲルマニア・プリマの首都となったが、ゲルマンの民族移動期には徹底的に破壊され、5世紀にフランク人の支配下に入って安定を取り戻した。この地に司教座が置かれたのはローマ時代末期のことであるが、747年ドイツ人の使徒ボニファティウスの努力によって大司教座に昇格し、歴代大司教に人材が輩出したため、ドイツの政教両界に大きな位置を占めることになった。すなわち、同大司教は宗教的には全ドイツ教会の3分の2を統轄し、政治的には神聖ローマ帝国宰相として重きをなし、皇帝選立の際にはつねに重要な役割を演じ、1356年の金印勅書でその選帝侯としての地位が確認された。
 ライン、マイン両川の合流点という交通上の要衝にあるため、中世後期には経済的にも大いに繁栄し、都市支配権を握る大司教に対し市民の自治権闘争が繰り返され、1244年その目的を達した。1254年には大空位時代(1256~73)の混乱に対処するためライン都市同盟を結成し、それを主宰した。しかし、1462年大司教アドルフ2世Adolf (在位1461~75)の占領によって市民的自治は終息し、以後は選帝侯の居城都市となった。1477年には大司教ディーターDiether(在職1475~82)により大学が設立された。また、15世紀中ごろグーテンベルクが活字印刷を始めたのもこの地である。15世紀以来、城塞都市として防備が固められたため、かえって三十年戦争、プファルツ戦争に際して、フランス軍の侵入を受けた。1815年のウィーン条約でマインツ大司教領は四分されて、マインツ市はヘッセン大公領に属し、のち1866年プロイセン領となった。[瀬原義生]

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