ライン都市同盟(読み)ラインとしどうめい(英語表記)Rheinischer Städtebund

改訂新版 世界大百科事典 「ライン都市同盟」の意味・わかりやすい解説

ライン都市同盟 (ラインとしどうめい)
Rheinischer Städtebund

1254年マインツウォルムスを主導者として結成された都市同盟。このころに始まるドイツの大空位時代国土治安を維持する目的アーヘンリューベックレーゲンスブルクチューリヒにまで広がる70余の都市に聖俗の諸侯領主をも加えてできた大同盟で,不法関税撤廃,交易上の互恵,ラント平和の確立を目ざしていた。翌1255年帝国議会で承認され,国王ウィルヘルム・フォン・ホラントの支持を得たが,その急死(1256)の後に行われた国王選挙(1257)が二重選挙に終わるという状況のなかで瓦解した。1381年,獅子同盟を名のる騎士たちのフランクフルトアムマイン攻撃を契機に対騎士同盟を主目的とする新しいライン都市同盟が作られた。新同盟は,元来まったく別の目的で集まっていたシュワーベン都市同盟との軍事協定に成功して82年には騎士同盟を解体に追い込んだ。だが,この新同盟も長続きせず,88年ルプレヒト2世(ライン宮中伯。在位1390-98)に撃たれて解体の運命をたどった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライン都市同盟」の意味・わかりやすい解説

ライン都市同盟
らいんとしどうめい
Rheinischer Städtebund ドイツ語

中世後期、ライン地方の諸都市間で結ばれた平和の保持、相互援助のための同盟で、2度ある。

[平城照介]

第一次

大空位時代の政情不安に際し、1254年マインツとウォルムスの両都市間に結ばれた同盟に、オッペンハイムビンゲンの両都市が加わり、やがてアーヘンからチューリヒに至る70余の都市が加わり、多くの聖俗諸侯を含む大同盟に発展した。不法関税の撤廃、商業上の互恵、ラント平和の維持等の目標を掲げ、国王ウィルヘルム・フォン・ホーランドの承認を獲得したが、彼の死(1257)後の国王選挙で2派に分かれ、分裂、解体した。

[平城照介]

第二次

1381年、フランクフルト・アム・マインが、「獅子(しし)同盟」に結集した騎士たちの攻撃を受けたのが契機となり、ふたたびライン諸都市間に同盟が成立し、すでに1376年以来結成されていたシュワーベン都市同盟との間に軍事援助協定を結んだが、1388年、ライン宮廷伯アルプレヒト2世をはじめとする諸侯軍に敗れ、翌年、国王ウェンツェルが、エガーの帝国平和令ですべての都市同盟結成を禁止した結果、解体した。

[平城照介]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ライン都市同盟」の意味・わかりやすい解説

ライン都市同盟【ラインとしどうめい】

1254年ライン川流域の都市が主導し,諸侯・農民団も参加して結成された都市同盟。同年結成のマインツ・ウォルムス同盟が母体で70以上の都市が参加。不法関税の撤廃,交易上の互恵のほか,一般的和平の確立,諸身分の原則的平等を掲げ,大空位時代の国土の治安維持を目的とした。1255年帝国会議で承認。1256年保護者たる国王ウィルヘルム・フォン・ホラントの死後,政争の渦中に分裂。1381年騎士同盟に対抗する都市同盟として一時復活したが,1388年ころ解消した。
→関連項目シュワーベン都市同盟都市同盟マインツ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ライン都市同盟」の解説

ライン都市同盟(ラインとしどうめい)
Rheinischer Städtebund

1254年のヴォルムスマインツ同盟を中核に,同年ライン諸帝国都市が結んだ都市同盟。加盟都市は広範囲にわたり,その数も70を超えた。目的は治安維持=ラント平和令貫徹にあったが,それが領邦国家分立抑止=帝国統一という意味で最初の帝国改造計画といわれる。翌年の帝国議会で承認されたが,10年後解体,1381年復活したがシュヴァーベン都市同盟と同一の運命をたどった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ライン都市同盟」の意味・わかりやすい解説

ライン都市同盟
ラインとしどうめい
Rheinischer Städtebund

中世の最も有力な都市同盟の1つ。 1254年にウォルムス,マインツなどの呼びかけで結成。加盟都市数は七十余に達し,北はブレーメンから南はチューリヒにまで及び,マインツ,トリール両大司教ほか多くの聖俗諸侯もこれに加わった。この頃ドイツでは皇帝権が衰微し,治安が乱れ諸侯の私的闘争が絶えなかったため,都市の相互協力によって治安を保ち,商工業の円滑化をはかるために結成されたものである。この都市同盟は大空位時代のドイツにおける有力な一勢力を形成したが,市民層の成熟が不十分であったため,57年いったん解体したのち,81年に再興された。しかし 88年封建貴族の連合勢力にウォルムスで敗れ,その政治的意義を失った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ライン都市同盟」の解説

ライン都市同盟
ラインとしどうめい
Rheinischer Städtebund

1254年,ライン川沿岸都市を中心に成立した大都市同盟
マインツ・ヴォルムス・バーゼルなどを中心に諸侯の勝手な関税に反対し,帝国の統一秩序をめざしたもの。10年後解体した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android