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マウントバッテン マウントバッテンMountbatten, Louis, 1st Earl Mountbatten of Burma

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マウントバッテン
マウントバッテン
Mountbatten, Louis, 1st Earl Mountbatten of Burma

[生]1900.6.25. バークシャーウィンザー
[没]1979.8.27. スライゴ,マラグモア
イギリス海軍軍人。 1913年海軍に入り,第2次世界大戦中は駆逐艦,航空母艦などの艦長をつとめ,43年5月連合軍東南アジア最高司令官に任命された。これには彼がイギリス国王ジョージ6世の従弟であるための縁故採用であるとの非難がなされたが,日本に占領されたビルマの奪還作戦を成功させた。

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世界大百科事典 第2版の解説

マウントバッテン【Louis Mountbatten,1st Earl Mountbatten of Burma】

1900‐79
イギリスの海軍軍人。ビクトリア女王の曾孫。1913年海軍入隊。第2次大戦中の43‐46年東南アジア方面連合軍最高司令官として対日作戦を指揮し,ビルマ(現ミャンマー)奪還などに功績を残した。46年子爵,次いで伯爵。47年3月にウェーベルのあとをうけインド総督に任命され,6月に最終的にインドパキスタンを分割して独立させる案(マウントバッテン裁定)を提示し,これに沿って二つの自治領が成立した。独立後も暫時インド総督をつとめ,のち本国海軍の重要ポストを歴任,59年から退官の65年まで参謀総長をつとめた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マウントバッテン
まうんとばってん
Louis Mountbatten, 1st Earl Mountbatten of Burma
(1900―1979)

イギリスの軍人。ビクトリア女王の曽孫(そうそん)として生まれる。1913年に海軍に入り、第二次世界大戦では、東南アジア連合軍最高司令官として、ビルマ(現ミャンマー)を日本から奪回するうえで大きな働きをした。アジア情勢に通じたこの経験を買われて、1947年インド総督に任命され、インド独立に立ち会った。1959年から参謀総長を務めて1965年に退任。1979年8月、保養先でアイルランドのカトリック過激派によって暗殺された。[木畑洋一]

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世界大百科事典内のマウントバッテンの言及

【インド[国]】より

…左翼勢力の発言力が復活したのは,57年のケーララ州共産党政府の成立によってである。最後のイギリス人総督マウントバッテンは1947年6月3日に分割案を発表し,それが会議派と連盟のそれぞれの議決機関で票決に付されて受諾された。票決に参加した人々,すなわち分割による独立か統一による独立かという決定に参加した人々の数は600人前後であった。…

【インド総督】より

…重要な改革のたびに立法機関の権限が拡大されはしたが,独立までは専制君主に近い存在であった。独立によってインドでは最後のイギリス人総督マウントバッテンおよび最初にして最後のインド人総督となったラージャゴーパーラーチャーリアは名目上の元首となり,1950年の共和国憲法によって総督が廃止された。パキスタンでは総督のポストは56年まで存在しその権限は強大であった。…

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