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マッケンジー マッケンジー Mackenzie, Sir Alexander

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マッケンジー
マッケンジー
Mackenzie, Sir Alexander

[生]1755? ストーノウェー
[没]1820.3.11. パース
スコットランド出身の探検家。 1779年モントリオールの貿易会社に入る。ロシア人の毛皮市場を奪うため,のちに彼の名にちなんで命名されたマッケンジー川を下り,グレートスレーブ湖から北極海まで足を延ばして調査。

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マッケンジー
マッケンジー
Mackenzie, Alexander

[生]1822.1.28. スコットランド,パースシャー
[没]1892.4.17. トロント
カナダの政治家。首相 (在任 1873~78) 。 1842年カナダへ移住。 52~54年改革派系の新聞を編集して G.ブラウンと親交を結び,61年連合カナダ植民地議会に選出されて政界に入る。コンフェデレーションの実現に尽力した。

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マッケンジー
マッケンジー
Mackenzie, (Sir Edward Montague) Compton

[生]1883.1.17. ダラム,ウェストハートルプール
[没]1972.11.30. エディンバラ
イギリスの小説家。スコットランド出身。オックスフォード大学で法律を学んだのち文学に転じた。多作家であるが代表作とされるのは『シニスター・ストリート』 Sinister Street (2巻,1913~14) で,写実的伝記小説作家としての名声を確立したもの。

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マッケンジー
マッケンジー
Mackenzie, Henry

[生]1745.8.26. エディンバラ
[没]1831.1.14. エディンバラ
イギリスの小説家。スコットランド出身。『感情の人』 The Man of Feeling (1771) は繊細な感情の持主に起るさまざまな体験を描き,18世紀後半のセンチメンタリズム文学の代表作の一つとなっている。

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マッケンジー
マッケンジー
Mackenzie, Sir Morell

[生]1837.7.7. エセックス,レイトンストーン
[没]1892.2.3. ロンドン
イギリスの医師。イギリス最初の咽喉疾患専門家。ロンドン大学で医学を修めたのち,パリ,ウィーンブダペストに留学し,喉頭鏡の操作を修得してロンドンで開業。 1887年5月ドイツ皇太子フレデリックの侍医をつとめた。

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マッケンジー
マッケンジー
Mackenzie, William James Millar

[生]1909.4.8. エディンバラ
[没]1996.8.22.
イギリスの政治学者。マンチェスター大学,グラスゴー大学の教授を歴任。行政学や選挙を中心として多方面にわたる業績がある。主著"Free Election" (1958) ,『政治と社会学』 Politics and Social Science (67) 。

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マッケンジー
マッケンジー
Mackenzie, William Lyon

[生]1795.3.12. スコットランド,ダンディー
[没]1861.8.28. トロント
カナダのジャーナリスト,政治家,反乱指導者。 1820年カナダに移住し,商人となるが,24年から革新系の政治的主張を盛った新聞『植民地で主張する者』を刊行し,当時のアッパーカナダ植民地における寡頭政治,「家族盟約」による統治を激しく攻撃した。

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マッケンジー
マッケンジー
McKenzie, Robert Telford

[生]1917.9.11. バンクーバー
[没]1981
カナダ生れのイギリスの政治学者,社会学者。主著としては政党の構造を分析した『英国の政党』 British Political Parties: The Distribution of Power within the Conservative and Labour Parties (1955) がある。

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マッケンジー
マッケンジー
McKenzie, Roderick Duncan

[生]1885.2.3. カルマン
[没]1940.5.6. ミシガン,アンアーポー
アメリカ都市社会学者。都市のコミュニティー研究に人間生態学の理論を展開したシカゴ学派の1人。アメリカの都市人口の膨張が 1900年代に入って急速に顕著となり,都市の成長とともに都市の病理現象を表出させた社会的背景に対して,都市問題の実践的科学としての都市理論に人間生態学のアプローチを適用させ,都市社会学の足場を築いた。

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マッケンジー
マッケンジー

リンデン」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説

マッケンジー(Mackenzie)

カナダ北西部を流れる川。ロッキー山脈に源を発し、グレートスレーブ湖を経て北極海に注ぐ。全長4241キロ。狭義には、同湖から下流をいう。1789年に英国の探検家A=マッケンジーが到達。

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百科事典マイペディアの解説

マッケンジー

英国のカナダ探検家,毛皮商。1789年に3隻のカヌー102日にのぼる探検を行いマッケンジー川に到達。次いで1793年には,白人として初めて北アメリカを横断し,太平洋岸に達した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

マッケンジー Mckenzie, Fredrick Arthur

1869-1931 カナダの新聞記者。
ロンドンの「デーリー-メール」紙の特派員となり,1904年から朝鮮・日本を取材。日本の朝鮮支配を告発した「朝鮮の悲劇」や「朝鮮の自由のための闘い」などをあらわした。享年62歳。ケベック出身。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

マッケンジー【Compton Mackenzie】

1883‐1972
イギリスの小説家,軍人,実業家。70冊以上の小説がある。初め劇作で出発し,ロンドンの踊子を描いた小説《謝肉祭》(1912)で一応の成功を収めたが,上流階級私生児マイクルの幼年時代オックスフォード生活,ロンドンでの遊蕩を生き生きと描写した2巻本《不気味な通り》(1913,14)と,彼の恋愛,結婚などを扱った続編《ガイとポーリン》(1915),《シルビアスカーレット》(1918),《シルビアとマイクル》(1919)で非常な人気を博した。

マッケンジー【Frederick Arthur Mckenzie】

1869‐1931
カナダの新聞記者,著述家。ケベック生れ。1904年ロンドンの《デーリー・メール》紙の特派員として朝鮮を訪れ,日露戦争の経過,日本の朝鮮支配にふれた《東京からチフリスまで》(1905)を刊行。06年再び朝鮮,中国,日本を訪れ,《ベールを脱いだ東洋》(1907)を著した。07年三たび朝鮮を訪れ義兵闘争の取材旅行を行い,日本の対朝鮮軍事支配を告発した《朝鮮の悲劇》(1908)を刊行した。三・一独立運動が起きると翌20年《朝鮮の自由のための闘い》を刊行して,日本の武断統治の実態と独立運動の姿とを伝えた。

マッケンジー【William Lyon Mackenzie】

1795‐1861
イギリス領北アメリカ,アッパー・カナダ植民地の政治家。スコットランドに生まれ,15歳で移住。商店経営などののち,1824年より《コロニアル・アドボケート》紙を発刊。当時のアッパー・カナダ政界を牛耳る〈家族盟約〉攻撃をはじめとして政治の民主化を訴え,急進的な改革指導者として知られるようになった。28年立法議会に当選。アメリカ型共和制の採用を主張して議会からの追放・当選を繰り返すが民衆の人気は絶大で,35年にはトロント初代市長に選ばれた。

マッケンジー【Alexander Mackenzie】

1822‐92
カナダの政治家で,自由党としては初めての首相。在職1873‐78年。スコットランドに生まれ,20歳でアッパー・カナダへ移住。1861年連合カナダ植民地立法議会に選出されて政界に入る。改革党(のちの自由党)のG.ブラウンの後継者として73年,政治汚職の容疑で下野した保守党から政権を引き継ぎ,74年の選挙で勝利を得てリーダーシップを確立した。彼の率いる自由党統治は短期間であったが,有能な法相E.ブレークを得てカナダ最高裁判所を設立し,総督の権限が縮小されるなど,カナダの自治権の進展をみた。

マッケンジー【Alexander Mackenzie】

1764‐1820
スコットランドの探検家。現在のカナダを探検,測量したことで有名。ルイス島に生まれ,10歳のとき両親とともにニューヨークに移住。伯父の手引きで毛皮取引に携わるようになり,1787年北西会社社員となってアサバスカ湖近辺に駐在するが,89年,ここから北極海まで,後に彼の名が冠せられるマッケンジー川を下降した。93年,マッケンジー川の西方への支流を遡行しロッキー山脈を越えて太平洋へ到達,陸路北アメリカ大陸を横断した最初のヨーロッパ人となった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

マッケンジー【Mackenzie】

カナダ北西部の大河。ロッキー山脈に源を発し、北西流して北極海に注ぐ。狭義には、グレートスレーブ湖から下流をいう。長さ4240キロメートル。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のマッケンジーの言及

【オンタリオ[州]】より

…19世紀前半のアッパー・カナダは運河建設など交通網の改良に伴う経済成長の結果,政治的にも成熟をみせた。英国国教会と結託して政界を牛耳る〈家族盟約〉に抵抗して,政治の民主化運動を推進したW.L.マッケンジーは37年に蜂起を計画したが,彼の過激主義は保守的な風土に受け入れられず失敗した。しかしこの反乱の結果を視察したダラム卿は民主化を勧告し,41年アッパー,ロワー両カナダの統合が連合カナダ植民地として実現し,48年ここに責任政府が樹立されて大幅な自治を獲得した。…

【カナダ】より

…減速経済の下,世界各国はむしろ雇用の拡大のために厳しい外国企業の争奪戦の段階に入っていたのである。
[北米市場統合への動き]
 加米経済関係の緊密化は,両大戦間期のアメリカ企業の対カナダ直接投資により深まりつつあったが,マッケンジー・キング自由党政権下で1935年に締結された加米互恵条約によっていっそう強化された。第2次世界大戦以後,59年の防衛生産分担協定を通してさらに強化された。…

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