マハティール

百科事典マイペディアの解説

マハティール

マレーシアの政治家。ケダ州出身のイスラム教徒。マラヤ大学医学部卒。開業医から1964年下院議員に当選。1969年落選したが,1974年に下院に復帰し,教育相となる。1976年副首相,1978年貿易産業相を兼任,1981年には統一マレー国民組織総裁,首相に就任。就任後まもなく〈ルック・イースト〉政策を提唱し,日本や韓国から学ぶ姿勢を強く打ち出し,またマレー人優遇の〈ブミプトラ政策〉を強調。1986年より内相を兼任し,1991年には〈ワワサン(プロジェクト)2020〉計画を発表。2020年までに先進国入りを目指すという目標を掲げ,自ら陣頭指揮にあたった。反欧米の姿勢が強く,1993年11月米国のシアトルで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)非公式首脳会議にはただ一人欠席。2003年引退し,副首相のアブドラに後事を託した。
→関連項目東アジア経済会議マレーシア

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マハティール
まはてぃーる
Mahathir Mohamad
(1925― )

マレーシアの政治家。1953年マラヤ大学(現シンガポール大学)医学部卒業後、医務官となるが、のち、開業医に。1964年下院議員に初当選。1969年ラーマン首相と対立し統一マラヤ国民組織(UMNO)を追放されるが、1972年政界復帰。1974年教育相、1976年副首相兼貿易相、1981年UMNO総裁、同年7月マレーシア第4代首相に就任。1986年より内相、1987年より法相兼務。日本や韓国に学び経済開発を進めようとするルック・イースト政策を提唱。1990年12月に貿易ブロック構想、東アジア経済会議構想(EAEC)を提唱、波紋をよんだ。アジアの声の代弁者ともよばれる。長期にわたって政権を維持したが、2002年6月UMNO党大会において2003年に首相職等を辞任すると発表、2003年10月退任した。[編集部]
『大前研一著『アジア人と日本人 マハティールマレーシア首相との対話』(1994・小学館) ▽マハティール・モハマド著、加藤暁子訳『アジアから日本への伝言』(2000・毎日新聞社) ▽林田裕章著『マハティールのジレンマ 発展と混迷のマレーシア現代史』(2001・中央公論新社)』

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