翻訳|Micronesian
西太平洋のミクロネシアの島々に住む人びと。低身長,やせ形,褐色の皮膚,薄い唇,黒髪,直毛などの身体的特徴から,人種上,モンゴロイドとみなされている。しかし変異も大きく,パラオ諸島とヤップ島の住民は黒色,縮毛ないし波状毛,広鼻などの特徴から,メラネシア人(オセアニック・ニグロイド)に近似する。言語も地域による差はあるが,いずれもアウストロネシア語族に属する。ミクロネシアの主要な栽培作物はタロイモ,パンノキ,ココヤシで,ヤップ島とポナペ島ではヤムイモが加わる。家畜として豚,犬,鶏が飼われているが,動物性タンパク源は魚貝類に依存している。
ミクロネシア人の移住については,東方からと西方からとの二つのルートが考えられる。西方ルートは,東南アジアからの直接渡来で,フィリピンやインドネシアからマリアナ諸島,ヤップ島,パラオ諸島への移住である。サイパン島へは前1500年ころ,ヤップ島へは前500年ころに,フィリピンから土器をもった人びとが住みついた。パラオ諸島では紀元前後の土器が発見されているが,その担い手の起源地は定かでない。しかし後7~8世紀にインドネシアからの文化的影響があったことが認められる。次に東方ルートは,東部メラネシア(フィジー,ニューヘブリデス諸島)から西部ポリネシアを経由してのミクロネシアへの民族移動である。紀元後の早い時期に,サモア諸島やエリス諸島からギルバート諸島,マーシャル諸島へと島伝いに北上し,さらに西方のコシャエ(クサイエ),ポナペ,トラックの島々へ移住がなされた。そしてトラック以西のカロリン諸島のサンゴ礁の島々には,トラック語を話す人びとが10世紀ころまでには住みついたと考えられる。
このような2ルートからのミクロネシアへの民族移動のうち,西からの移住は火山島であるパラオ諸島,ヤップ島,マリアナ諸島に定着したのに対し,東からのそれは人口増加,戦争,漂流などの要因で,長期間にわたり波状的に島々へ住みついていったものである。この移住を可能にした背景には,サンゴ礁島に住む人びとが,大型カヌーの建造技術と航海術の知識を保有していたことにある。
ミクロネシア社会の社会(親族)集団構成の原理は,ヤップ島の父系制,ギルバート諸島の選系的性格を除けば,母系制が卓越している。つまり女性の祖先からの女系の系譜を共有する人びとによって土地が所有され,社会的地位が獲得されるのである。この原理で形成される集団は,家族レベルから数十人も含む氏族にまで発展する。ただし母系制社会でもポナペ島やトラック諸島では,ドイツと日本の統治政策の影響で父方・夫方居住様式がとられ,現在では母系制の原理が弱くなっている。
政治組織に関しては,ポナペ島やコシャエ島では1人の首長に政治・社会的権限が集中し,複雑な称号・地位体系に基づいて社会階層化が進んだ首長制国家を生み出した。そのような政治的権力の反映として,巨大な石造建築物(ポナペ島のナン・マドール,コシャエ島のレロ)の遺跡が現存している。ヤップ島,マーシャル諸島,ギルバート諸島の各社会では,貴族,平民,奴隷という厳格な身分(社会)階層制がみられるが,トラック諸島やカロリン諸島中央部の島では年齢,性,親族関係に基づく地位以外に社会階層が存在しない〈平等社会〉である。
ヨーロッパ人との接触まで金属器を知らなかったミクロネシア人の生産用具は,石製ないし貝製の斧,掘棒,貝やべっ甲製釣針,ココヤシの繊維で編まれた網などであった。土器を製作したパラオ諸島,ヤップ島,マリアナ諸島以外の島での料理法は,地炉による石蒸しである。住居もパラオ諸島,ヤップ島では石の基壇の上に鞍形屋根の家が建てられ,村ごとに大きな集会所が存在するが,それ以外の島では切妻屋根,地床式家屋が一般的である。またマリアナ諸島からは柱とみられる高さ5mもの石柱(ラッテ・ストーン)が数多く発見されている。衣服は伝統的に腰部をおおう腰みのや腰布であるが,機織の技術はトラック諸島以西の島に限られる。バナナやハイビスカスの繊維を地機で織り上げる方式は,新しくインドネシアから伝播したと考えられる。
西部の島々では,東南アジアに分布するビンロウジュの実をかむベテル・チューイングの習慣があり,ポナペ島には儀礼用の飲物としてコショウ科の植物の根を砕いたシャカオが利用される。これはポリネシアに広く分布するカバと同じものである。このように,ミクロネシアの物質文化は,東部ではポリネシアと,西部では東南アジアと共通する文化要素がみられる。
ミクロネシア人の伝統的宗教は,万物に霊が宿るというアニミズムを特徴とする。死後,人間は身体と霊魂とに分離し,霊魂が他界へゆくと信じられている。そして航海者,船大工,呪医など伝統的知識の保有者は,守護霊の庇護によって超自然的な力を発揮できる存在と考えられている。しかし,現在はキリスト教の布教によって,一部の島を除いて伝統的信仰体系は放棄されてしまっている。
→オセアニア
執筆者:須藤 健一
ミクロネシアは造形美術に乏しいが,パラオ諸島など南部の島に注目すべきものがある。ミクロネシア東部にはポリネシア西部やメラネシア東部に共通した簡素な様式の木彫像がみられ,西部にはインドネシアのものと似た様式の家屋建築や,いざり機で織られる芭蕉布がみられる。パラオ諸島では,各村に普通2棟以上の集会所〈ア・バイa-bai〉があった。2種の集会所が,島民の階層により区別して利用されたからである。集会所は平和時には村の会議や外来者の宿泊に利用され,戦闘時には外敵を防ぐ城塞となったという。村で最も重要で豪華な建築であり,柱,桁,敷居,欄干などに人物,鶏,コウモリなどさまざまなモティーフが彫刻される。とりわけ内部の巨大な梁や,切妻の破風面をおおう板には凹刻彩色で全体を埋め尽くすように,神話,伝説,歴史的事実などの情景が表現される。凹刻部には石灰や黄土が埋め込まれ,凸部には煤や赤土が塗られる。以前にはパラオ諸島の集会所にはすべて破風部分に〈ディルカイDilukai〉と呼ばれる木彫像が取り付けられていた。これは股を左右に大きく広げて陰部を露出した裸体の女性像である。この像の意味に関しては諸説あり,その起源を物語る神話も記録されている。またニューギニアのセピック川地方の〈精霊の家〉にもまったく同様の女性像が必ずみられるが,両者の関連は明らかではない。ミクロネシアでは一般に仮面がみられないが,例外的なものとしてカロリン諸島モルトロック島Mortlockの〈タプアヌTapuanu〉と呼ばれる人面があげられる。集会所の切妻のところに立てられる大柱を装飾するものと,豊饒祈願の舞踊に用いられる男女1対のものがある。平たい顔面,細長く直線的な鼻,互いに寄った横長の小さな目などの独特の目鼻だちと,抽象的な文様で周囲が縁取られた顔の輪郭との対比は,ニューギニア北東部の仮面の影響を示す。
執筆者:福本 繁樹
ミクロネシアは文化変容の激しい地域で,伝統音楽はマリアナ諸島では絶え,大部分保たれているヤップにおいても最年長層によって支えられているにすぎない。楽器は笛,口琴,太鼓などに限定される反面,踊り手がヤシやタコノキの葉でできた腰みの,腕・脚飾,扇子を動かすことによってかすかな音を楽しんだり,棒を打ち合わせてダイナミックな動きの踊りを展開するなど,関心が他へ向けられてきた。踊り歌,あるいは座唱,立唱などの声楽は,歴史,伝説,海洋知識などを盛り込んだ歌詞をうたいあげるというのがおもな伝統であった。しかし,外来文化の影響が著しく,ギターやハーモニカの伴奏による唱歌風の歌にのせて行進踊をみせたり,日本語や英語を原地語に混ぜた歌詞で身近な事件や恋物語をうたうのが新しい傾向となっている。
執筆者:山口 修
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…身分制はまた,神話によっても合理化されていた。(4)ミクロネシア人 ミクロネシア人はモンゴロイド人種に属し,東部ほどポリネシア人に近く,西部ほどフィリピンもしくはインドネシア人に近い。中・東部カロリン諸島とマーシャル諸島およびギルバート諸島は,核ミクロネシアの名で総称され,これら諸島の言語はメラネシア諸語およびポリネシア諸語とともにアウストロネシア語族の東部群を構成する。…
※「ミクロネシア人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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