ミズーリ協定(読み)ミズーリきょうてい(英語表記)Missouri Compromise

改訂新版 世界大百科事典 「ミズーリ協定」の意味・わかりやすい解説

ミズーリ協定 (ミズーリきょうてい)
Missouri Compromise

アメリカで1820年,ミズーリ準州の連邦加入に際し,奴隷制存廃をめぐって行われた南部北部の政治的な妥協。その結果,ミズーリを除くルイジアナ購入地域の北緯36°30′以北で奴隷制が禁じられた。フランスの統治時代から奴隷制が存続していたミズーリ準州が州への昇格を申請し,1819年連邦下院でミズーリに州憲法制定を認める法案が報告されたとき,J.タルミッジ議員が修正案を提案し,今後ミズーリに奴隷を連れ込むことを禁じ,既存の奴隷の子は25歳になればすべて自由となる,とした。この修正案は下院を通過したが,上院で否決された。当時,下院では自由州の議員数が多かったが,上院では自由州が11,奴隷州も11で勢力均衡し,奴隷州と結ぶ議員がいたからである。一方,19年にはメーンマサチューセッツ州から分離し自由州として連邦への加入を申請し,下院で承認されたが,上院ではこれと抱合せに,奴隷制にふれずにミズーリの加入も認める法案が出された。J.B.トマス上院議員はこれに修正を加え,ミズーリを奴隷州とし,それ以外のルイジアナ購入地域の北緯36°30′以北では奴隷制を禁ずるという条項を追加した。結局,メーンは20年3月3日に自由州として連邦への加入を承認(3月15日発効)され,ミズーリには3月6日に奴隷制について制限せずに州憲法の起草を認めるという妥協が成立した。しかしその後ミズーリ州憲法に自由黒人ムラート(混血)を州から追放する規定が設けられたため,激しい論争が再燃したが,結局この規定は撤回され,21年8月10日にミズーリの州昇格が認められた。奴隷制をめぐるミズーリ協定の原則は,その後米墨戦争の結果くずれ,54年のカンザス・ネブラスカ法によって廃棄された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミズーリ協定」の意味・わかりやすい解説

ミズーリ協定
みずーりきょうてい

1819~21年に、アメリカ合衆国でミズーリの連邦加入の際、奴隷制度をめぐって南部と北部の間に成立した協定。1803年の「ルイジアナ購入」によって得られた土地の一部分であったミズーリには、フランス領時代から奴隷制度が存在していた。当時奴隷州と自由州は同数であったが、連邦議会上院では南部、下院では北部が優勢であった。そこで下院は、19年2月ミズーリの連邦加入について、同地域の奴隷制度の漸進的廃止を条件とするニューヨーク出身のJ・タルマッジの修正案を可決したが、上院はこれを否決した。その後奴隷制度をめぐる激しい論争を経て、結局、当時マサチューセッツ州から分離して連邦加入を申請していたメーンを自由州とし、これに、ミズーリは奴隷州として認めるが、同州を除いて今後ルイジアナ購入の残りの部分では、北緯36度30分以北に奴隷州をつくらないというイリノイのJ・B・トーマスの修正案を加えることにより、20年3月に南北の妥協が成立した。

 この後、ミズーリが起草した州憲法中の、自由黒人の州内移入を禁ずる条項が連邦議会で問題となった。しかし翌年ふたたび妥協が行われ、ミズーリは、合衆国市民の権利を奪うような条項を州憲法中に設けないことを条件に、ようやく連邦に編入された。こうして南北の対立は一時的に鎮静し、メキシコ戦争のころまで奴隷州と自由州の均衡が保たれたが、「一八五〇年の妥協」を経て、54年のカンザス・ネブラスカ法で、住民主権の原則の導入によって、北緯36度30分以北に位置するカンザスが奴隷州になる可能性が生まれたことで、ミズーリ協定は無効となった。

[竹本友子]

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百科事典マイペディア 「ミズーリ協定」の意味・わかりやすい解説

ミズーリ協定【ミズーリきょうてい】

1820年,米国でミズーリを州にする際,そこに奴隷制を認めるか否かをめぐり,連邦議会で北部と南部の議員が対立し,その収拾策として成立した協定。ミズーリを奴隷州として認める代りに,北緯36°30′以北のルイジアナ購入地では奴隷制を禁止することにした。この原則は米墨戦争の結果くずれ,カンザス・ネブラスカ法制定で1854年破棄。
→関連項目奴隷廃止運動ドレッド・スコット事件

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミズーリ協定」の解説

ミズーリ協定(ミズーリきょうてい)
Missouri Compromise

ミズーリ準州の州への昇格をめぐって合衆国議会で北部と南部の議員が対立した際,収拾策として1820年に成立した妥協的法律。ミズーリを奴隷州とするが,北緯36度30分以北のルイジアナ購入地には他に奴隷州をつくらないというもの。ドレッド・スコット事件判決で,憲法違反とされた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ミズーリ協定」の解説

ミズーリ協定
ミズーリきょうてい
Missouri Compromise

1820年,アメリカの南北地域間で奴隷州に関する論争の妥協として成立した協定
当時,自由・奴隷両州とも同数あったので,ミズーリの連邦加入をめぐって南北が対立した。協定でミズーリは奴隷州とされ,以後その南境の北緯36度30分を自由・奴隷両州の境界とし,かつ両州を将来同数ずつ作ることで妥協が成立,一時南北の平和が保たれた。なお,このとき同数とするため,北部自由州側ではマサチュセッツ州からメーン州を分離させた。

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