日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミッチェルリヒ」の意味・わかりやすい解説
ミッチェルリヒ
みっちぇるりひ
Eilhard Mitscherlich
(1794―1863)
ドイツの化学者。初めハイデルベルク大学で東洋語を学び、ついでパリ大学でペルシア語を修得した。ナポレオンにより、ペルシアに外交官として派遣されることを望んでいたが、ナポレオンが失脚したためドイツに戻った。そして船医として東洋に向かう船に乗り込むことを期待して、ゲッティンゲン大学で医学の勉強を始めた。しかし化学への関心が増大し、ベルリンへ行き結晶学を学んだ。その際、リン酸カリウムとヒ酸カリウムの結晶形の類似に気づいた。研究のすえ、金属硫酸塩の多くは結晶水の量が等しければ同じ結晶形をとることを確認した(1818~1819)。さらに2年ほど、ストックホルムのべルツェリウスのもとで研究を続け、先の発見を同形律として一般化した(1822)。すなわち、結晶の形は原子の性質にはよらず、構成原子の数および結合の仕方のみで決まる。よって、同じ結晶形をとる化合物は、互いに分子式が似ているはずである。ベルツェリウスは、分子式の決定に同形律を利用し、原子量をより正確に算定できるようになった。しかしミッチェルリヒはまた、同じリン酸塩が、再結晶により異なった結晶形をとりうる(同質異形)こともみいだした。これにより、結晶の劈開(へきかい)面の角度で各化合物を特徴づけようとしたアウイの考えは、成り立たなくなった。有機化学の分野では、ベンゼンとその誘導体を研究した。硫酸の脱水作用の考察から触媒の考えに近づき、発酵をその観点から研究した。また、実用的な検糖計を考案した。彼はベルリン大学の化学教授として、長く研究と教育に従事した。
[吉田 晃]