ベルセリウス
ベルセリウス
Berzelius, Jöns Jacob
スウェーデンの化学者.幼時に両親を失い,苦学してウプサラ大学医学部を卒業.在学中にA.L. Lavoiser(ラボアジエ)の新化学にもとづくドイツ語の化学教科書を読み,化学に関心をもつ.A.G.A.A. Volta(ボルタ)の電堆について聞き,1802年電堆電流の医学への応用の論文で学位を取得.ストックホルムでの病院勤務のかたわら,医学カレッジの医学薬学教授の無給助手として化学研究を続けた.家主で鉱山主であったW. Hisingerと知り合い共同研究を行った.そのつてでガルバーニ協会所有の大きなボルタ電池を使って多数の塩の電気分解を行った.これは,のちのすべての化合物は正負の部分に分けられるという電気化学的二元論の出発点となった.1807年助手を務めていた教授の死去でそのポストを継ぎ,1810年医学カレッジが独立の医学校Karolinska Instituteとなり,化学研究に専念した.J. Dalton(ドルトン)の原子論を知ったかれは,ただちにその意義を認め,結合重量の研究を系統的に行い,デュロン-プティーの法則(1819年)や同形律(1820年)などを援用して原子量を決定し,原子量表として発表(1814,1818,1828年)した.元素の頭文字で元素と原子量を表すあらたな元素記号を考案し,これとその数から化合物の組成を示し,近代的な化学記号の先駆けとなった.1808年スウェーデン科学アカデミー会員.1828年アカデミーの事務局長になり,設備の整った実験室が使えるようになって実験的研究と著作,広範な文通に大部分の時間を費やすようになった.スウェーデン化学の伝統も受け継いで,化学分析にすぐれた技量を発揮し,セリウム(1803年),セレン(1817年),トリウム(1828年)を発見した.多くの化合物の分析を行い,定比例の法則を確認し,その研究の成果をスウェーデン語の化学教科書に盛り込んだ(1808~1812年).同書は改訂を重ね,各国語にも翻訳され広く普及した.さらに毎年化学文献を精査し,“物理と化学の進歩についての年報”(1822~1841年)にまとめた.これらは化学研究の方向を決定する大きな役割を果たした.異性現象(1831年),同素体(1840年),触媒(1835年)などの概念も導入した.タンパク質を意味するproteinもかれの造語である.かれの電気化学的二元論は,有機化合物の解釈で困難に直面し,若い世代から批判され晩年は理論的に孤立した.1835年に56歳で友人の娘(24歳)と結婚し,子供はなかったが精神的には安定した晩年を送った.F. Wölher(ウェーラー)をはじめとして,ヨーロッパ各地から集まる多くの優秀な学生を育てた.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
ベルセリウス
Jöns Jacob Berzelius
生没年:1779-1848
スウェーデンの化学者。リンケビングの近郊に生まれ,ウプサラ大学で医学を学んだ。在学中,ラボアジエの体系に基づく新しい化学を独学し,発明されたばかりのボルタ電堆の研究を行った。卒業後,ストックホルム医科外科大学の無給助手となり,1807年教授となった。1802年鉱山家のヒシンガーW.Hisinger(1766-1852)とともに塩類水溶液の電気分解を研究し,塩類の酸性成分と塩基性成分とがそれぞれ陽極と陰極に集まることを明らかにした。彼はのちにこの考えを発展させて,あらゆる化合物が正と負の電気をもつ2成分から構成されているとする電気化学的二元論を提唱した(1819)。この理論は無機化学の体系化におおいに役だったが,30年代以降の有機化学の発展には対応することができなかった。定比例の法則がまだ十分な実験によって確証されていなかった当時,彼は約2000種の化合物を分析し,その成分の化合重量比を精密に測定した。こうして得られた原子量表は1814年に発表され,18年と26年に改訂された。原子記号としてそのラテン名(ときにギリシア名)の頭文字が採用されるようになったのも彼の創案による。彼はこのほか,筋肉中の乳酸や,セリウム,セレン,トリウムの発見,有機分析装置の改良,化学組成に基づく鉱物分類の提案,異性体や触媒やタンパク質の概念を明らかにするなど多方面の業績を残した。彼は各国の化学者たちと交流を保ち,F.ウェーラーをはじめ多くの弟子を育てた。また,《化学教科書》(1808-30)はドイツ語,フランス語に翻訳されて広く読まれた。35年56歳で結婚,同年男爵位を授けられた。
執筆者:内田 正夫
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「ベルセリウス」の意味・わかりやすい解説
ベルセリウス
スウェーデンの化学者。ウプサラ大学で医学を学び,医業に従事するかたわら化学の研究を行い,のちストックホルム大学教授。1810年科学アカデミー院長。電気分解の研究を行い,化合物は電気的に正および負の原子または原子団からなるとする二元説を提唱。また,ドルトンの原子説に従って多くの元素の原子量を決定したほか,ケイ素,タンタル,ジルコニウムの単離,セリウム(1803年),セレン(1817年),トリウム(1828年)の発見,触媒の概念の確立,化学用語の制定などきわめて多くの業績を残した。
→関連項目ケイ(珪)素
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世界大百科事典(旧版)内のベルセリウスの言及
【化学】より
…ローヤル・インスティチューションにつくられた極板250枚以上の強力な電池の力を借りて,デービーは融解塩からカリウム,ナトリウムなどの単離に成功した(1807)。これらの事実に基づいて,[J.J.ベルセリウス]は電気化学的二元論を展開した。それによると,すべての原子は正電荷・負電荷のいずれかをもっており,化学結合は反対電荷をもつ原子間の電気力によって生じるとした。…
【ケイ素(珪素)】より
…天然には遊離の状態では存在しないが,酸化物やケイ酸塩として岩石中に多く存在し,地殻形成の主成分となっている。1823年にJ.J.ベルセリウスがケイ化フッ素をカリウムで還元して初めて単離した。siliconの名称は,ラテン語の火打石(二酸化ケイ素SiO2から成る)を意味するsilexに由来している。…
【触媒】より
…触媒反応の機構は多くの場合複雑で,よくわかっていない場合が少なくない。
[ベルセリウスの命名]
スウェーデンの化学者J.J.ベルセリウスが1836年,そのような働きをする物質に注目し,ギリシア語のkatalysis(原義はもつれ,結び目などを解く,ゆるめること)から命名した。すでに古くから糖を原料とするアルコール発酵やアルコールの酢酸発酵が行われ,18世紀前半にはリネン漂白のための鉛室式硫酸製造が始まっていたが,さらに酸によるデンプンの糖化が見いだされ(1781),イギリスのH.デービーにより加熱白金線による発火点以下での水素,一酸化炭素,エチレン,アルコール,エーテルなどの燃焼に関する公開実験がロンドンのローヤル・インスティチューションで行われ(1817),また塩素酸カリウムからの酸素発生反応における二酸化マンガンの促進効果,エチルアルコールからエーテルを得る脱水反応における硫酸添加効果など,注目に値するこの種の現象が多く見いだされるようになった。…
【セリウム】より
…周期表元素記号=Ce 原子番号=58原子量=140.12地殻中の存在度=60ppm(24位)安定核種存在比 136Ce=0.193%,138Ce=0.250%,140Ce=88.48%,142Ce=11.07%融点=795℃ 沸点=3468℃比重=6.7(α‐セリウム),6.9(β‐セリウム)電子配置=[Xe]4f15d16s2 おもな酸化数=III,IV周期表第III族に属する希土類元素の一つ。1803年ドイツのM.H.クラプロートおよびスウェーデンのJ.J.ベルセリウスが互いに独立にスウェーデン産の鉱石から新元素を発見し,これをベルセリウスはそれより2年前に発見された小惑星セレスCeresにちなんでceriumと命名することを提案し,これが一般に通用することになった。しかし後にこれは純粋なものではないことがわかり,これからさらにランタン,ネオジムなどが分離された。…
【セレン】より
…また[カルコゲン]の一つでもある。1817年J.J.ベルセリウスによって硫酸製造の鉛室泥中から発見された。名称は月を意味するギリシア語selēnēに由来する。…
【トリウム】より
…天然に存在する最も主要な放射性元素の一つである。1828年スウェーデンのJ.J.ベルセリウスがノルウェー産の鉱物中から発見し,オーディンと並んでよく知られる北欧神話の雷神トールThórrにちなんで命名した。98年ドイツのシュミットG.C.N.SchmidtおよびフランスのM.キュリーがそれぞれ独立に放射性元素であることを発見した。…
【塗料】より
…有機化学の大きな進歩の一つは合成樹脂である。1833年スウェーデンのJ.J.ベルセリウスは,化学反応中に未知の原因で形成される樹脂状物質をポリマーpolymerと総称したが,これが高分子化学の発端である(合成樹脂は塗料技術に対しては20世紀に入るまで直接の影響は与えなかった)。同年ニトロセルロースが開発され,硝化度の低いもの(コロジオン)を混合し,溶剤に溶かして塗膜がつくられた。…
※「ベルセリウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」