「まねる」「似せる」を意味する動詞miméomaiに由来する語で、基本的に模倣ないし再現的呈示を意味する。同義語としてホモイオーシスhomoiōsisがある。喜劇詩人アリストファネスはこの語を、人が他人の姿をまねる場合(『蛙』)と、詩人が詩作において自らがつくりだそうとする役柄をまねる場合(『女だけの祭』)に用いているが、この語の問題性は、まねる主体とその対象の多様性、対象の存在論的位相、そしてポイエーシス(創(つく)ること)の本質とのかかわりにある。
デモクリトスは、人間は「もっとも肝要なことにおいて(動物の)弟子であった。織ったり縫ったりすることについては蜘蛛(くも)の、家造りについては燕(つばめ)の、歌においては甘い声の白鳥やナイチンゲールの、ミメーシスという仕方における(弟子であった)」といったとされている(『断片』)。思想史上、このような自然physisの模倣という思想はおそらくデモクリトス以前にさかのぼる。肖像画や音楽、文法といった「技術téchnēもまた自然を模倣してこのこと(調和)を創りだすように思われる」というアリストテレス偽書『宇宙論』のことばや、ヒポクラテスの「人間が用いている技術は人の自然的な本質physisに似ている」(De victu)ということばがそれを裏書きする。デモクリトスはまた一方で「人は善くあるべきである、もしくは善き人を模倣すべきである」(『断片』)とも語っており、ミメーシスが形式や構造のそれにとどまらず価値的なるものの模倣という意味で用いられることを示している。
自然の模倣と価値的なるものの模倣という思想は、プラトンの形而上(けいじじょう)学において統合される。人間的実存はそれを見守る神との緊張関係にたち、その目的は善美の極にたつ「神に能(あと)う限り似ること(ホモイオーシス)」(『テアイテトス』)にある。神と人とは理性という黄金の糸で結ばれており(『法律』)、ロゴスを有するという固有のあり方において人は本来的に神に似ている。しかし、多様なドクサ(思い)とパテーマ(情動)によって神と遠く隔たっている人間は、知を愛し善や美を求める哲学の営みによって、神にかなう自己の本来の性(フュシス)を探し神に倣ってゆかねばならない(『パイドロス』)。それゆえ、哲学の道において自己自身を知ることと神に倣うことは本来同じことであり、人間的活動のいっさいは無論ポイエーシスも含めて根本的にミメーシスである。したがって、「詩人はムーサの神々に比べれば劣った創造者である」(『法律』)といわれるとき、ここには宇宙(コスモス)という作品を創りだす大いなる創造(ポイエーシス)と小宇宙の必然性を範型として神に倣いつつ小さな必然としての作品を創りだす人の小さな創造のアナロギア(類比)がある。
文芸創作を代表とする人間的なポイエーシスがミメーシスの本来の道より逸脱し、個々の現象をただ「その現れに即して」模倣的に再現しようとするとき、すなわちもっとも平板な意味における自然や事物の模倣を遂行するとき、たとえば詩人(ポイエーテース)は単なる「影像の模倣者(ミメーテース)」に堕落することになる(『国家』)。結果としての作品(ポイエーマ)が神の作品の模倣(ミメーマ)となるためには、創造主体におけるポイエーシスの原因の類比が成立していなくてはならない。主体の原因性についてのプラトンの形而上学的認識論的要求はきわめて厳格であるから、神に倣って善美の極に到達することは人間にとっての永遠の課題となり、真理(アレーテイア)のミメーシスとしてのポイエーシスは事実上きわめて困難となって、ポイエーシスは、事実上単なる虚構(プセウドス)に終始してしまうことになる。
アリストテレスにおいても、ポイエーシスはミメーシスであり、悲劇のポイエーシスは「人生と行為のミメーシス」(『詩学』)として、歴史記述とは異なって、「起こりうること」「普遍的な(生の)ありよう」を語る(同書)ことから、ミメーシスはもはや単なる現実的事象の模倣ではない。しかし彼は、プラトンがミメーシスを、何をいかに語るかという点において事実上真理より遠ざかるとして、形而上学的認識論の立場から批判するのに対して、プラトンが警戒した語り出された可能的世界(ホイアー・アン・ゲノイト)の説得力、受け手に与える現実的効果(驚きやカタルシス)を重視し、ミメーマとしての作品の存在を主観的真理としての蓋然(がいぜん)性の範囲で許容している。
このようにしてミメーシスの理念はプラトンによって形而上学的に吟味され、アリストテレスによって現実的意味を獲得して後世にさまざまの影響を与えていった(たとえば18世紀フランス美学における「美しい自然の模倣」)。模倣的再現に対するアンチテーゼとしての表現の理念や抽象的な芸術を経験した今日においても、ミメーシスの思想は創作や追体験としての享受の理念あるいは芸術の分類の原理として重要な役割を担っている。
[藤田一美]
『E・アウエルバッハ著、篠田一士・川村二郎訳『ミメーシス――ヨーロッパ文学における現実描写』上下(1967・筑摩書房)』▽『藤田一美著『ミメーシスとポイエーシス』(『新岩波講座 哲学13 超越と創造』所収・1986・岩波書店)』▽『W.TatarkiewiczHistory of Aesthetics, I(1970, Mouton‐PWN, Warszawa)』
西洋における哲学・美学上の概念。〈模倣〉と訳される。この概念は,自然界の個物はイデアの模像mimēma,mimēseisであるとするプラトン哲学の考え(《ティマイオス》)に由来するが,さらにさかのぼれば,数と個物の関係についてのピタゴラス学派の思想にその原型がある。アリストテレスはプラトンからこの概念をひきついだが,芸術は模倣の模倣であり現実世界よりもさらに真理から遠ざかるものであるとするプラトンの考えをしりぞけて,模倣こそ人間の本然の性情から生じるものであり,諸芸術は模倣の様式であるとした(《詩学》)。アリストテレスによれば,詩は行動の模倣で,悲劇はより善き人間の行動を,喜劇はより悪しき人間の行動を模倣することによって作られるとされ,以後,この概念は長くヨーロッパにおける芸術創作論の一つの中心となった。現代でも,ヘーゲル美学を継承したマルクス主義者G.ルカーチは,K.ビュヒャーの労働とリズムについての研究に拠りながら,芸術の発生を労働の模倣に求め,芸術の展開をミメーシスの複雑な全体連関の形成ととらえて,その解明を中心とする体系的な美学を構想した。一方,V.ターナーなどの人類学者による未開社会の象徴体系の研究は,呪術とミメーシスの関係に新たな知見をもたらし,未開社会にかぎらず歴史社会における宗教的・政治的儀礼の構造を〈劇的なものまねmimic〉という観点から分析する研究も近年盛んになりつつある。
執筆者:山田 登
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし田楽は上演の前半で刀玉(とうぎよく)などの曲芸や美少年の集団歌舞を演じ(これが田楽の元芸である),次いで〈登場人物〉と〈物語=筋〉のある能を演じたのに対し,猿楽は翁猿楽という豊穣祭祀の演劇化を元芸として能を演じていた。折口信夫によれば〈能〉は〈態〉の略字であり,本来〈物まね〉を意味していたから,その意味では,〈能〉とは舞台上演の物まねに基づく部分,つまりアリストテレスならミメーシスmimēsisと説く部分を指すのであって,田楽元芸のようにショー的な部分を〈純粋演戯〉と呼ぶなら,それに対して〈代行型演戯〉を意味していた。 このような二分法は,実は古代ギリシアにも存在したので,すでに触れたディテュランボスは,ディオニュソスへの讃歌をオルケストラにおいて円形に舞われる舞歌によって表すものであり(他のジャンルではコロスは四角に展開した),仮面も衣装もつけず,役を演ずるのでもなかったから,この点で,代行型演戯である悲劇,サテュロス劇,喜劇とは対比されていた。…
…後には特に,古典建築様式における円柱の形式とそれに付随する構成の比例体系を指すようになる。古代ギリシア思想においては,あらゆる自然の有機体と同様に,建築も自然の法則に従い,あるいはそれを模倣すべきものであった(アリストテレスのいう〈ミメーシス〉)。したがって建築の各部は,人体がそうであるように,それぞれが独自の形態と役割を保ちつつ,調和(シュンメトリア)のとれた全体を構成しなければならず,そのためには各部相互の関係,特に寸法的比例(プロポーション,エウリュトミア)が重要であると考えられた。…
※「ミメーシス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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