改訂新版 世界大百科事典 「メソアメリカ」の意味・わかりやすい解説
メソアメリカ
Mesoamerica
アメリカ大陸における先スペイン時代の二大古代文明圏のうち,中米のそれをメソアメリカという。キルヒホフPaul Kirchhoff(1909-72)によって1943年に提唱され一般化しつつある名称。地理的な範囲としては,メキシコの北部を除いた全域,グアテマラ,ベリーズ,エルサルバドルの全域,ホンジュラス,ニカラグア,コスタリカの西側部分を含む地域を指す。
この地域に人類が最初に足跡を残したのは,前2万年ころとされる。前6000年ころには原初農耕が始まり,前2000年ころには定住村落が形成されるようになり,土器製作も始まる。前1000年ころからメソアメリカに共通する文化要素群が出現し始め,徐々にひとつの文化的まとまりが形成されていく。これをメソアメリカ文化と呼ぶ。この文化を構成する特徴的な要素としては,ピラミッド・神殿,球技,絵文字,数を示す文字,365日の太陽暦と260日の祭祀暦,そして二つの暦を合わせてつくる52年の〈世紀〉,チナンパと称する灌漑耕地(チナンパ耕作),トウモロコシ,豆,トウガラシ,カボチャの四大作物を含む多種類の植物の栽培,などが挙げられる。また〈石器時代の都市文明〉をつくり上げたことは世界史のなかでも異例である。周辺地域との接触交流の証拠も多く,とくに南米アンデス地方との交流は想像以上に密接である。
メソアメリカ的特徴が形成され始める時期は〈形成期〉または〈先古典期〉(前期は前1200-前800年,中期は前800-前400年,後期は前400-前100年)と呼ばれる。農耕が普及し,定住村落が一般化して,宗教的,政治・経済的な公共建築をもつ都市へと発展する時期で,その代表的な文化がオルメカ文化である。次の〈古典期〉(前期は前100-後600年,後期は600-1000年)は大都市の出現をみ,最も華やかで完成された文化が創設された時期である。テオティワカン文化が前期の代表であり,後期は史上最も多彩な文化を開花させた活気に満ちた時期で,トルテカ文化,マヤ文化が代表的である。続く〈後古典期〉(前期は1000-1350年,後期は1350-1521年)はメキシコ北部乾燥地帯から侵入するチチメカ族の起こす混乱と,そのなかから生まれてくる文化を特色とし,メシカ文化が代表的である。16世紀前半,この地域はスペインによって征服され,メソアメリカ文化は大きく変容する。しかし,この事件でメソアメリカ文化が消滅したとはいえず,ここに,イベロ・メソアメリカ文化とでも称すべき文化が形成され今日にいたっている。
メソアメリカ文化の研究は,まずスペインによる征服直後から収集された情報の記録を最初とするが,それらの記録はF.J.クラビヘロらによってようやく18世紀に分析・研究が開始された。19世紀にはラミレスFernando Ramírez,チャベロAlfredo Chavero,イカスバルセタCarlos García Icazbalcetaらが精力的に古文献の発見,研究,出版を行った。19世紀後半以降は各専門分野のより科学的な調査・研究が展開されてきた。考古学では古文献研究の成果を基礎に,遺物,遺構の研究が盛んに行われてきた。欧米の研究者は,主としてマヤ文化の研究に力を入れる傾向が強く,モーズレーAlfred Percival Maudslayのマヤ地方の踏査,ピーボディ博物館,カーネギー研究所などによるマヤ遺跡の発掘調査などが挙げられる。一方,メキシコ中央高原では,メキシコ考古学の礎を築いたガミオManuel Gamioによる諸調査,バイラントGeorge Clapp Vaillantによるメキシコ盆地の調査などから始まった。1940年代からは,メキシコ国立人類学・歴史学研究所が精力的に国内の遺跡調査を行ってきた。また言語学,民族学,形質人類学,文献史学などの諸分野でも,メキシコ人研究者,欧米の研究者が活発な調査・研究を行ってきており,調査資料が蓄積されつつある。
→アメリカ・インディアン
執筆者:大井 邦明
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