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メッサーシュミット メッサーシュミットMesserschmidt, Franz Xaver

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

メッサーシュミット
Messerschmidt, Franz Xaver

[生]1736.2.6. ビーゼンシュタイク
[没]1783.8.19/21. プレスブルク
ドイツの彫刻家。ミュンヘンとグラーツで修業したのち,1752年ウィーンのアカデミーに入学。 65年ローマに旅行。 69年ウィーン・アカデミーの副教授になったが,精神病と診断され正教授の職を得られず,77年以降はプレスブルクで隠遁生活をおくった。バロック様式から新古典様式への移行を示す,多くの宮廷人や貴族の肖像彫刻を残した。主要作品は 70年以降に制作された 69点 (現存 49点) の『性格表現の頭首像連作』 (ウィーン,オーストリア美術館) 。

メッサーシュミット
Messerschmitt, Willy

[生]1898.6.26. フランクフルトアムマイン
[没]1978.9.17. ミュンヘン
ドイツの航空機設計者,航空機製造業者。ミュンヘン工科大学を卒業,1912年から 10年間グライダーの設計を行ない,のち航空機の改良に取り組んだ。 1927年バイエルン航空会社の主任設計者。 1938年同社はメッサーシュミット社と改称,メッサーシュミットは第2次世界大戦終了まで社長を務め,ドイツ空軍の戦闘機メッサーシュミット 109を設計,製造した。同機はドイツの主力戦闘機として,第2次世界大戦全期を通じて使用され,1939年には時速 696kmを出して,プロペラ機の世界最速記録をつくった。 1944年世界で初めての実用ジェット戦闘機メッサーシュミット Me262を完成。また Me163コメットは,液体燃料ロケットを用いた初めての航空機であった。戦後アメリカ軍に2年間拘束され,釈放後はプレハブ住宅やミシンの製造に携わっていたが,1958年航空機の製造を再開した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

メッサーシュミット
めっさーしゅみっと
Wilhelm (Willy) Messerschmitt
(1898―1978)

ドイツの飛行機設計・製作者。フランクフルト生まれ。若くして飛行機設計を志し、1923年にメッサーシュミット飛行機製作所を創設、その後バイエルン社と合併して規模を拡大し、1938年に社長となる。第二次世界大戦下ドイツの代表機Bf109戦闘機、Me262ジェット戦闘機などを送り出した。1930~1936年ミュンヘン工科大学教授。戦後1956年にふたたび航空工業界に復帰、1960年代末の大合同で成立したメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム社の会長を一時は務めた。[青木謙知]

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20世紀西洋人名事典の解説

メッサーシュミット
Willy E. Messerschmitt


1898.6.26 - 1978.9.15
ドイツの飛行機設計者,実業家
元・ミュンヘン工業大学教授。
フランクフルト・アム・マイン生まれ。
1920〜80年にかけてドイツ航空機産業の発展に貢献した設計者、実業家で、’23年メッサーシュミット飛行機製作所を設立、’30〜36年ミュンヘン工科大学教授を務め、’38年バイエルン飛行機会社と合併、社長就任。第二次大戦中は戦闘機や爆撃機輸送機等高性能飛行機を製造、供給しドイツ空軍に貢献。’55年航空工業界に復帰、60年代末、ベルコウ・ハインケル社と共同して戦闘機「VJ101」を発展させ、’69年メッサーシュミット・ベルコウ・ブロームグループの会長。

出典|日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について | 情報

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