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メランヒトン メランヒトン Melanchthon, Philipp

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

メランヒトン
メランヒトン
Melanchthon, Philipp

[生]1497.2.15. バーデン,ブレッテン
[没]1560.4.19. ウィッテンベルク
ドイツの神学者,宗教改革者,教育者。本名 Schwarzerd (黒い土の意) からギリシア語化してメランヒトンと呼ばれた。母のおじで人文学者のロイヒリンの薫陶を受け,ギリシア古典に通じた。

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デジタル大辞泉の解説

メランヒトン(Philipp Melanchton)

[1497~1560]ドイツの人文主義者・神学者。ルターの宗教改革運動の最大の協力者として、プロテスタント教義の体系化に寄与。著「神学綱要」「アウクスブルク信仰告白」など。

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百科事典マイペディアの解説

メランヒトン

ドイツの宗教改革者。人文学を修め,若くしてウィッテンベルク大学のギリシア語教授となり,ルターに接して宗教改革者となる。1519年ライプチヒ討論でルターを助け,1530年〈アウクスブルク信仰告白〉を起草するなどしてその信頼を得たが,ローマ教会カルバン派との歩み寄りを願って聖体論争などにおいてルターから遠ざかることになった。
→関連項目ハイデルベルク大学フリードリヒ[3世]ライプチヒ大学ロイヒリン

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世界大百科事典 第2版の解説

メランヒトン【Philipp Melanchthon】

1497‐1560
ドイツの人文主義者,宗教改革者。メランヒトンとは〈黒い土〉を意味する本名Schwartzerd(t)をギリシア語化したもの。ファルツのブレッテンに武器鍛冶工の子として生まれ,早く父を失い,母方の祖母に育てられたが,人文主義者として高名な大伯父ロイヒリンさらにエラスムスの影響下に養育される。12歳でハイデルベルク大学に入り,17歳でチュービンゲン大学で教養学修士となり,教育や編集にたずさわる。ザクセン選帝侯の求めでロイヒリンの推薦を受けて,1518年ウィッテンベルク大学のギリシア語教授となる。

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大辞林 第三版の解説

メランヒトン【Philipp Melanchthon】

1497~1560) ドイツの人文主義者。古典学の素養を聖書解釈に生かし、ルターの宗教改革運動に参加、その思想の体系化に努めた。著「神学総覧」「アウクスブルク信仰告白」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

メランヒトン
めらんひとん
Philipp Melanchton
(1497―1560)

ドイツの宗教改革者、人文主義者。人文主義者ロイヒリンの親族で、エラスムスの精神により教育され、早くから天才児として知られた。1518年チュービンゲン大学からウィッテンベルク大学にギリシア語の教授として招かれ、ルターの影響を受け、哲学から聖書学に転じ、ルターの同僚として宗教改革運動の指導者となる。21年に『神学総論(ロキ・コンムーネス)』第一版を出し、宗教改革の教義を初めて明瞭(めいりょう)に組織した。その教育上の才能によりプロテスタント神学と哲学の教師となる。30年にはプロテスタント最初の信仰告白である「アウクスブルク信仰告白」を執筆した。彼の性格は温和で、指導力に欠けるところもあったが、ルターの生存時には両者の相違は顕在化しなかった。だが、晩年はルター神学との違いが目だち、論争の種を残した。しかし彼の人文主義的精神は、ルター派教会とカルバン主義とを結び付ける重要な方向を導き出したのである。[金子晴勇]
『藤田孫太郎訳『神学総論』(1949・新教出版社) ▽シュテッペリッヒ著、倉塚平訳『メランヒトン』(1971・聖文舎)』

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世界大百科事典内のメランヒトンの言及

【キリスト教】より

…10ヵ月のワルトブルク滞在中に成った新約聖書のドイツ語訳(《ルター訳聖書》)がはたした役割は大きい。このときメランヒトンは《神学要義》をもってルターの思想を体系づけており,このような協力者を多く得て改革が進行した。具体的には教会におけるミサの濫用と修道士の独身制に向けられ,それはルター不在中にもカールシュタットの指導の下にウィッテンベルクで始まっていた。…

【宗教改革】より

…そして19年6~7月,教皇側の最も有力な正統神学者エックとの間に,ライプチヒで行われた討論会(ライプチヒ討論)において,ルターがついに教皇の至上権を明確に否認し,公会議も誤りを犯す可能性があり,フスの学説にも福音的なものがあると公言するにおよんで,ローマ教会との決裂は事実上とり返しのつかぬものとなった。
[ルターの改革構想]
 〈神の言〉たる聖書を唯一の権威とし,信仰者の良心をかけたルターの勇敢な教皇権批判は,フッテンをはじめドイツの人文主義者たちの強い支持を得,エラスムスを尊敬する神学者メランヒトンのごときは,1518年いらいウィッテンベルク大学におけるルターの同僚教授として,その改革運動の協力者となった。彼の福音主義は,さらに広く市民層から農民層にまで及ぶ国民的な世論を獲得するにいたるが,そこには当時急速に発展しつつあった印刷術の力が大きく働いており,ルター自身この手段を存分に活用して,多くの著述や論争文,説教を公にした。…

【ルター】より

… 27年には,選帝侯ヨーハンに働きかけ,その命で領内教会巡察に取りかかり,プロテスタント教会の組織化をはじめるが,これはまた以後ドイツの領邦教会体制の始まりともなった。教会巡察はメランヒトンなどによる各地の教会規則制定に至るが,ルターは29年に大小二つの教理問答書(《ルター大小教理問答》)を著して,民衆の信仰教育を心がけた。その年プロテスタントの政治的結集を求める諸侯の願いでもたれたチューリヒのツウィングリとの神学会談は,聖餐論において一致に至らなかったが,30年アウクスブルク国会には,いくつかのルターの信仰告白を基とした,メランヒトン起草の〈アウクスブルク信仰告白〉が提出され,これによってルター派教会がしだいに西欧各地に形成されていく。…

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