メロエ(その他表記)Meroe

デジタル大辞泉 「メロエ」の意味・読み・例文・類語

メロエ(Meroe)

スーダン北部、ナイル川沿いにある都市遺跡。紀元前6世紀から後4世紀頃までクシュ王朝の都として栄えた。都市の遺構ほか多数の小型ピラミッド群や神殿などが見られる。2011年、「メロエ島の考古学遺跡群」として世界遺産文化遺産)に登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「メロエ」の意味・わかりやすい解説

メロエ
Meroe

前6世紀ころから後4世紀ころまで,スーダン北部で繁栄した王国,またはその都を指す。遺跡はナイル川の第5急湍と第6急湍との間の東岸に位置する。20世紀初頭以来,幾度かの発掘調査により,広大な市街地と墓地とが明らかにされている。市街地の調査は一部がなされただけであるが,周壁に囲まれた王宮,アメン神やイシス女神にささげられた神殿,住居址などが発見されている。墓地は,市街地の東の丘陵上に営まれた。一般人は円墳に埋葬され,王族はピラミッドやマスタバ墳に葬られた。約50基残る王や王妃のピラミッドは,傾斜の急な独特の形をもつものである。メロエ王国は,エジプト第25王朝を興したヌビアナパタ王国より発展したもので,ナイル川第4急湍下流のナパタにあった都が,メロエの地に移された時期からメロエ王国の名で呼ばれる。ヘレニズム文化の影響を強く受ける一方,古代エジプトの聖刻文字(ヒエログリフ)によく似た字形をもつメロエ文字を創始するなど,独自の文化を発達させたが,4世紀初めに,エチオピアアクスム王国の攻撃を受け滅亡した。メロエ遺跡から,鉄器出土例がきわめて多いことと,市街地周辺部に残る膨大な鉄滓の存在から判断して,鉄生産が非常に盛んであったことが推定される。
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百科事典マイペディア 「メロエ」の意味・わかりやすい解説

メロエ

アフリカの古代国家,またその都の称。前6世紀ころから,ヌビアのナパタ王国を受け継いで栄えたが,後4世紀初め,エチオピアのアスクム王国に滅ぼされた。遺跡はスーダンのハルツームの北東約150kmにあり,ピラミッド,アメン神殿,イシス神殿などがある。20世紀初頭以来その一部分が発掘され,多くの鉄器やメロエ文字で書かれた史料などが出土。
→関連項目クシュ王国ヌビア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「メロエ」の解説

メロエ
Meroe

後期クシュ王国の首都。ナイル川のアトバラ川との合流点より上流のベガラウィーヤに遺跡が残る。ナパタを中心とする王朝の滅亡後,前3世紀にここを首都とする新王朝(メロエ王国)が成立。アフリカ奥地やインド洋とエジプトを結ぶ交易の中継地として繁栄。エジプトから学んだ製鉄技術を,奥地のアフリカ社会に伝えた。4世紀前半にアクスム王国に滅ぼされた。

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世界大百科事典(旧版)内のメロエの言及

【クシュ王国】より

…王や王妃はナパタの近くに葬られ,対岸のジェベル・バルカルには多くの神殿がつくられて,宗教の中心として栄えた。 前6世紀の中ごろ,クシュKushは首都をアトバラ川とナイル川の合流点近くのメロエに移し,非常に繁栄した。この遷都の理由としては,メロエが雨に恵まれていたこと,アトバラ川による隊商ルートに沿っていたこと,鉄鉱石や燃料の樹木があって鉄の溶鉱と鉄器製作を行うことができたこと,などがあげられる。…

【スーダン】より

…クシュはナイル川第2急湍以南地域の総称)が始まる。前750年ころにエジプトをも占領,1世紀にわたり第25王朝を樹立したクシュ王国は,前6世紀半ば,第4急湍付近のメロエに首都を移し(以後メロエ王国と称す),エジプトの影響を脱して独自のブラック・アフリカ的文化の特性を強めた。この頃,すでに乾燥期に入って完全に砂漠化したサハラから,諸民族の牛の群れを伴った南への移動が始まり,彼らはサハラ南縁の半砂漠地帯からスーダン南部のナイル川流域大湿原にまで自然環境に順応して住みついていった。…

※「メロエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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