度量衡を国際的に統一しようという目的で1875年5月20日に成立した条約。日本は1885年(明治18)に加盟手続を終わっていたが、公布されたのは翌1886年4月16日であった。2018年3月時点の加盟国数は59、準加盟国・経済圏数は42である。
メートル条約は、条約本文と附録規定よりなり、国際度量衡局、国際度量衡委員会および国際度量衡総会の組織と権限、加盟各国の経費負担の方法その他に関する諸規定を含んでいる。そして条約締結当時は、国際度量衡局の事業は度量衡の単位の範囲に限られていたが、科学の進歩により新たな物理量の単位も扱う必要が生じたこと、および加盟国の増加によって歳費の増額の必要もあって、一部の改正が行われている。
[小泉袈裟勝・今井秀孝]
メートル条約の主要な内容は、国際度量衡局、国際度量衡委員会、国際度量衡総会、原器、条約の加入脱退および経費負担の6項である。
国際度量衡局は、国際度量衡委員会の指揮・監督を受けて「条約第6条及び第7条に定める事務」すなわちメートル原器およびキログラム原器の比較、国際原器の保管、各国原器と国際原器およびその副原器との定期比較ならびに国際標準温度計の比較、原器と各国のメートル法によらない度量衡原器との比較、政府、学協会、学者、技術者の依頼に応じ諸原器、標準尺度の比較検査、電気その他の量の単位の原器、標準器の比較、物理定数の決定などを行う。局の設立維持に関しては条約に規定され、パリに設けられてその中立性が保証されている。
国際度量衡委員会は国籍を異にする18名で構成され、年1回開かれる。委員会の権限のおもなものは、国際度量衡局の指揮・監督、加盟国の協同作業の監督、国際原器の保管の監督、各種諮問委員会の開設とその成果の統合、局の歳費の決定、毎年予算の編成、国際度量衡総会の招集などである。
国際度量衡総会は条約上最高の議決機関で、4年ごとにパリで開き、パリ科学学士院長が議長となることになっている。なおこの総会では国際度量衡委員の半数改選も行う。
条約の加盟は、条約上各国の自由とされている。加入の際には、フランス政府に通告し、この通告を受けた同国政府はさらに加盟各国ならびに委員長に通告の手続をとらなければならないことになっている。また条約から脱退する場合は加盟後12年を経ていなければならず、またその政府は1年前にその旨を通知しなければならないとされている。
条約加盟国の経験によって条約に修正を加えることが有益と認めた場合には、総会における一致の決議によって修正を加えることができる。
国際度量衡局の維持に必要な経費は、加盟各国の現在人口に基づいて算出した分担金によっていたが、最近はこれに国民総所得を考慮に入れることに改められている。分担金はフランス外務省を通じてパリ貯金局に払い込む。もしある国がこれを3年間滞納した場合は、他の加盟国がその国の分担金の割合に応じて分担する。そしてこの金は滞納金が完納されたときは各国に還付される。また滞納3年に及べば加盟によって受けるべき利益や権能が停止され、引き続き滞納3年に及べば条約より除外される。
[小泉袈裟勝]
メートル条約が締結されるとフランス政府は各国に対して加盟の呼びかけを行い、日本にも駐独公使を通じて勧誘してきたが政府の意見は一致せず、1884年(明治17)重ねての勧誘の際、新たにメートル原器とキログラム原器をつくって加盟国に配布する旨の通知に接して加盟が定まった。日本の原器は抽選によってメートル原器はNo.22、キログラム原器はNo.6と決まり、1889年パリ公使館書記官大山綱介(1853―1912)が受け取り、日本には翌1890年4月到着した。
日本が国際度量衡委員の席を得たのは1907年(明治40)で、田中館愛橘(たなかだてあいきつ)が最初の委員である。以後第二次世界大戦後4年の空白期間を除いて委員が出ている。
[小泉袈裟勝]
メートル法を確立するために,国際的な度量衡標準の維持供給機関として国際度量衡局を設立し維持することを取り決めた多国間条約であり,1875年に締結され,1921年に改訂された。
フランスは1795年にメートル法を制定し,99年に標準器を完成したが,その国内での普及は強い抵抗にあい一時的に後退を余儀なくされ,1840年に至ってようやく強制使用の段階に達した。その間メートル法は1816年にイタリア内の州により,21年にベルギーを含むオランダ王国により採用され,また32年にはK.F.ガウスにより地磁気の測定に応用されるなど,その使用は徐々にではあるが確実に広まっていた。フランス政府はメートル法の国内での専用化とともにその国際化をはかり,万国博覧会などの機会に宣伝を行った。
それに対して,67年のパリの万国博覧会に集まった識者集団からメートル法の国際化を求める声明が出され,また67年の国際測地会議では,ヨーロッパの三角測量に系統誤差があることから,共通の長さ標準の作成についての要請が決議され,これに呼応してロシアの科学アカデミーがメートル法の国際標準の作成を要望するなどの反応があった。これらの要請を受けて,フランス政府は69年に国際メートル委員会Commission internationale du Mètreを招集した。この委員会は70年に会合を開き,普仏戦争による中断後,72年に再開,その間予備調査委員会も設けて討議した結果,30ヵ国が集まった72年の会議で次のような内容の決議を行った。すなわち,国際メートル委員会に常置委員会を設けること,メートル委員会のためのフランスの組織であるフランス部会が,この常置委員会の協力を得てメートル法の国際原器と各国用の原器を作ることおよび原器の仕様,国際原器を維持する国際度量衡局を設立すること,またそのために必要な条約を締結するよう各国に働きかけることなどである。その常置委員会が設けられ,活動を開始したが,原器の製作費用と膨大な比較測定の実施に関して国際会議を招集するよう要請したため,フランス政府は75年3月にメートル法外交官会議Conférence diplomatique du Mètreを招集した。その会議には20ヵ国が参加したが,会議最終日の5月20日,パリにおいてメートル条約が調印され,翌年初めに発効した。
条約は14条からなり,それと同等の効力を有する付録規則が付属し,国際度量衡局の設立とその任務,同局の管理運営機関としての国際度量衡委員会,国際度量衡総会の構成と権限,国際原器の保管,締約国の義務などを定めている。条約の第1条は〈締約国は,共同の費用により,学術的でかつ永続的な国際度量衡局を設立維持することを約し,その所在地をパリとする〉という内容のものであり,以下,国際度量衡局は国際度量衡委員会のみの指揮監督の下で業務を行うこと,委員会は全締約国政府の代表者によって構成される国際度量衡総会に支配されること,総会はメートル法の拡張ならびに改良のために必要な方法を討議し,これを勧告し,また最前の総会以後に度量衡に関して新たに執られた重要な方式について裁決すること,委員会は所属国を異にする委員18名(1921年の改訂前は14名)によって構成され,半数改選が行われること,委員会は締約国が共同一致して行う度量衡に関するいっさいの事業を指揮し,国際原器の保管を監督すること,度量衡局の建築・創設費および維持に要する歳費などは各国の支出金によることなどとなっている。
度量衡局の任務は,制定当初,新製原器の比較検査,国際原器の保管,各国原器の定期的な検査,各種度量衡標準器の比較・検査,およびこれらに必要な技術の調整の確保などに限っていたが,科学技術の発展に伴い,業務の拡張を国際的な学術団体から要請され,1921年に条約と付則の一部改訂を行った。そのおもな点は,国際度量衡局が電気単位を設定し比較検査を行えること,物理定数に関する決定と調整を行うこと,委員会の下に度量衡に関する諮問委員会を設置できることなどである。その後,60年の国際度量衡総会によって国際単位系(SI)が採用され,この条約によって国際的に統一をはかられるべきメートル法も旧来のメートル法ではなく,その現代型である国際単位系を意味することになった。
日本は1885年にメートル条約に加入した。締約国を表に示す(2006年現在では51ヵ国)。
執筆者:三宅 史
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…この条令は度量衡の製作,販売,検査などの制度を定めたものであって,単位には言及していないが,この時期に,長さについては1尺=10/33m,質量については1匁=3.75621gというメートル法単位への結びつけが採用され,さらに1升=6万4827立方分の関係を経由して体積の単位もメートル法に結びつけられたのである。ちなみにこの75年はメートル条約成立の年でもある。日本の条約加盟はその10年後の85年までもちこされたが,取締条令の時期に,表むきではなかったにせよ,メートル法の単位が典拠に選ばれたということは,歴史的に意義深い事実であったといえる。…
※「メートル条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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