ロシア連邦のモスクワにある同国最大の総合大学。正式名称はM.V.ロモノーソフ記念国立モスクワ大学Moskovskii gosudarstvennyi universitet imeni M.V. Lomonosova(略称MGU)。18世紀のロシアの学者ロモノーソフがロシア人子弟のための高等教育機関の創設の必要を元老院に建言し,これをうけたエリザベータ・ペトロブナ女帝の勅令によって1755年に開設された。その後ロモノーソフの志を継いだN.N.ポポフスキーやD.S.アニチコフらの活躍によって,大学はロシアの学問と教育の一大中心となった。その進歩的学風のもとで,優秀な人材を輩出した。この大学で学んだ知名人としては,18~19世紀には革命的思想家ラジーシチェフ,ゲルツェン,オガリョフ,詩人レールモントフ,作家チェーホフ,歴史家グラノフスキー,評論家ベリンスキー,教育思想家K.D.ウシンスキーなどがいる。20世紀初頭の社会的変革期には大学内でも学生運動が高まったが,政府はこれを弾圧し,1911年には再三大学を閉鎖した。そして,これに抗議して130人の学者が大学を辞任する事件があった。
十月革命後の18年,国立となり,広く勤労者階級に門戸を開放した。創設当初,大学には哲学,法学,医学の3学部と付属予備校が設けられていたが,革命後は新学部が大幅に増設された。96年には,機械・数学,コンピューター数学・サイバネティックス,物理,化学,生物,土壌,基礎医学,地理,地質,哲学,歴史,言語,ジャーナリズム,心理,経済,法律,社会学,外国語などの学部とアジア・アフリカ諸国研究所はじめ各種の付属研究所や図書館をもつにいたった。教師の総数は8000人以上で,そのうち1000人以上が博士号所有者か教授である。学生数は昼夜合計2万8000人で,多数の海外留学生を受け入れ,国際的交流にも努めている。大学の建物は旧校舎がマルクス通りとゲルツェン街に面した旧都心にあり,新校舎はレーニン丘の上に1949年から70年にかけて建設された。その壮大な建築群はモスクワの新名所である。
執筆者:今井 義夫
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1755年創設の、ロシア連邦でもっとも古く権威のある大学。ロシアの科学者でありこの大学の設立を計画したロモノーソフの名を冠し、正式名称はロモノーソフ記念モスクワ国立大学。設立当初は小規模であったが、1804年の大学法で4学部制(人文、物理・数学、医学、倫理・政治学)となった。出身階層にとらわれない教育、研究の伝統を有し、19世紀を通じてツァーリズムとの対立をしばしば経験した。
1917年の十月革命以後は「労働者のための学問」をスローガンに、大学の門戸を大きく開放した。創設以来、ソ連時代を代表する科学者、文学者、革命の指導者を輩出し、N・P・オガリョフ、A・I・ゲルツェン、A・P・チェーホフ、I・A・ゴンチャロフなどは革命前にここで学んでいる。教授陣には物理学のP・N・レーベデフ、化学のゼリンスキーНиколай Дмитриевич Зелинский/Nikolay Dmitrievich Zelinskiy(1861―1953)、流体力学のN・E・ジュコフスキー、生化学のA・I・オパーリン、数学のP・S・アレクサンドロフなどが名を連ねていた。第二次世界大戦後、1953年モスクワ南西のレーニン丘(現雀が丘)に完成した32階建ての高層建築は大学の象徴となっており、自然科学系学部が収容されている。
1995年現在17学部(物理、コンピュータ数学・サイバネティックス、化学、数学・力学、生物学、基礎医学、土壌学、地理学、地質学、歴史学、言語学、法律学、哲学、経済学、ジャーナリズム、心理学、社会学)のほかに、夜間部、通信教育部、留学生教育部、高等教育教員研修部、東洋語研究所などがあり、教員数約8000人、学生数約2万8000人。自然科学系の付属研究所(天文学、核物理学、機械工学、人類学)や博物館(動物学、土壌学、人類学)も充実している。
[馬越 徹]
正式名称はM.V. ロモノーソフ記念国立モスクワ大学。ロシア連邦教育法(2012年12月29日付)において,サンクト・ペテルブルグ大学とともに,特別連邦法により「連邦大学」「国家研究大学」を超える独自のカテゴリーに収められた,文字通りロシアを代表する総合大学である。ペトロヴナ女帝の勅令によって1755年に創設され,数多くの革命的思想家(ゲルツェン等),文学者(チェーホフ等),数学者(ノヴィコフ等のフィールズ賞受賞者),物理学者(サハロフ等)や,教育学者のウシンスキー,政治家のゴルバチョフなどを輩出している。現在は20を超える学部以外にアジア・アフリカ研究所をはじめ,多数の研究所を擁し,学部学生は3万人以上,大学院生数も約7000人,教員と研究員は総勢1万人という最大級の規模を誇る。諸外国との学術交流も盛んで,中枢的学術・教育機関の重責を担っている。
著者: 森岡修一
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…帰国後,科学アカデミーの物理学の助手となり,45年からはロシア人として最初の教授兼アカデミー会員に選ばれて化学を担当した。55年モスクワ大学を創設し,同大学学長になった。58年以降,ロシア科学アカデミーの地理学部門を主宰,北極海を横断して太平洋に至る探検を唱道,計画し(1763),その実現に至るまで長く影響を与えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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