モレ(読み)もれ(英語表記)Guy Mollet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モレ」の意味・わかりやすい解説

モレ
もれ
Guy Mollet
(1905―1975)

フランスの政治家。北仏アラスの高等中学校教授兼教員組合活動家として出発し、対独レジスタンスで名をあげた。1945年からその死まで下院議員とアラス市長を兼ねた。1946年社会党書記長に就任し、閣僚を歴任したのち1956年2月首相エジプトによるスエズ運河国有化反対してイーデン英首相と謀り同年10月スエズに英仏軍を派兵するが、米ソの反対を受け失敗し1957年5月首相を辞任。ヨーロッパ統合論者で首相在任中にヨーロッパ共同市場(ヨーロッパ経済共同体)とヨーロッパ原子力共同体EURATOM(ユーラトム))を発足させるローマ協定調印した。

[平瀬徹也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モレ」の意味・わかりやすい解説

モレ
Mollet, Guy

[生]1905.12.31. フレールドロルヌ
[没]1975.10.3. パリ
フランスの政治家。第1次世界大戦中孤児になり,奨学金で勉学。 1921年社会党に入党。アラスのリセで英語教師をしていたが,教員組合を通じて労働運動に入った。 39年教員組合書記長。第2次世界大戦に従軍,ドイツ軍に捕えられ,42年釈放後レジスタンス運動に参加。 45年アラス市長,下院議員。 46年9月社会党書記長に就任し,党組織の強化に努めた。 46~47年 L.ブルム社会党内閣の国務相。当初,共産党不参加の連合政権に反対したが,50年頃から反共的になった。 50~51年ヨーロッパ会議 Council of Europeフランス代表,51年副首相,56~57年首相となり,ローマ条約に調印,ヨーロッパ共同市場創設の土台を築いた。しかしアルジェリア問題と,56年のスエズ出兵では汚点を残した。 C.ドゴールの政権復帰を援助し,58~59年国務相。 62年以降ドゴール独裁に反対した。 69年社会党書記長辞任。

モレ
Molé, Louis-Mathieu, Comte

[生]1781.1.24. パリ
[没]1855.11.23. シャンプラトルー
フランスの政治家。フランス革命中亡命したが,1796年帰国。王政擁護の著書ナポレオン1世に認められて官職につき,1813年法相,15年貴族に列せられ,17~18年海相。 30年の七月革命ルイ・フィリップの下で首相,外相をつとめ,特にアルジェリア支配を確保した。 39年辞任。 48年の二月革命でルイ・フィリップは再び組閣を要請したが,断念。 51年 12月のナポレオン3世によるクーデターまで下院で活躍,その後引退した。

モレ
Molé, Mathieu

[生]1584. パリ
[没]1656.1.3. パリ
フランスの司法官,政治家。 1631年王権に対抗して高等法院の権威を擁護し,このため一時停職処分を受けた。 41~53年パリ高等法院院長。フロンドの乱では妥協派となり,リュエーユで王権と講和 (1649) 。 51~56年国璽尚書。『回想録』 Mémoires (4巻,1855~57) がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「モレ」の意味・わかりやすい解説

モレ
mole

メキシコの伝統的料理。モレ・ポブラーノ(プエブラ風のモレ)と呼ばれる種類が有名。チョコレート,数種のトウガラシ,バナナ,ニッケイ,ラッカセイ,アーモンド,クルミ,トマト,ショウガ,ゴマをすりつぶし,まず油で炒めてから煮てソースをつくり,煮たシチメンチョウかニワトリにそれをかけて食べる。結婚式,誕生日,村祭など祝日用である。他にモレ・ベルデ,モレ・デ・オヤ等がある。
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デジタル大辞泉プラス 「モレ」の解説

モレ

スズキが1986年から製造・販売したスクータータイプのオートバイ。総排気量49cc(原動機付自転車)。エンジン形式は空冷2ストローク単気筒。

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